「切ってやろう」

そう言った真太郎の左手には爪切り。先程まで自分のものを切っていたそれをわたしに見せる彼に、わたしは相変わらずだなあと内心つぶやく。何故なのか分からないが、真太郎は妙にわたしの爪を切りたがる。始めは怠け者のわたしが、なかなか爪を切らないために真太郎がぶつぶつ言いながら切ってくれていたのだが、今は定期的に真太郎がわたしの爪を切ろうとする。別に頼んだ訳ではないのに。ペットの爪を切らなければいけないというような使命感にでも駆られるのだろうか。謎だ。けれど真太郎はさすが爪の手入れを神経質なくらいに行っているだけあって、爪を切るのはとても上手い。わたしはどうしようもないくらいの不器用だから、爪を切るとたいてい深爪になっていた。そんなときはプルタブを開けたりするのが大変だったが、今はそんな苦労などしなくて良い。真太郎に感謝だ。

「早くこっちに来い」
「わ、」

急かすように真太郎はわたしの手をとり、自分の方へ引き寄せる。お前はいつもとろいのだよとため息をつく真太郎。何も言い返せないので、とりあえず渇いた笑いをかえし胡座をかいた真太郎の足の間に座る。身長差がありすぎるから真太郎の顔はわたしの頭の少し上。つむじとか見られているんだろうなあと思うと何だか恥ずかしくなった。自分の見れない部分を人に見られるのって気恥ずかしいもの。頬っぺたに熱が集まり出したのを感じ、ペたりと手を当てる。案の定頬は熱を持っていた。不意に真太郎がわたしの手を取る。早く爪を切りたいのだろうか。顔が赤くなっているのがばれやしないか気になったが、すぐに諦めた。
テーピングを施した指が手の甲を何度もなぞる。それがくすぐったくて体をくねらせれば真太郎は動くなと言った。自分がくすぐったせいだと思いつつも、そんなこと言っても無駄だということは分かりきっているから、わたしは口をつぐむ。
パチンと人差し指の爪が切られた。それを境にパチンパチンと軽やかな音をたてて切られていく爪。迷いなど無く爪切りを扱う真太郎に、さすがとのんきなことを思う。そしてぼんやりとしている間に右手の爪を切り終えた真太郎が丁寧にヤスリで爪を磨き始める。それらの動作一つ一つが流れるように進んでいく。ぶきっちょなわたしでは有り得ないことだと改めて関心しながらも、綺麗な形をした自分の爪に優越感に似たものをおぼえた。こんなに綺麗な爪になって、しかもそれを真太郎にしてもらったとはなんと贅沢なのだろうか。一応真太郎はわたしの彼氏なのだけれど、そう思わずにはいられない。
パチン、パチン。左手の爪も爪切りによって整えられていく。今気づいたのだけれど、今回はいつもより切られた爪が長い。確かに切られているが、こんなのではまたすぐに切ってもらはなくてはいけないのではないか。

「真太郎」
「何なのだよ」
「爪さ、いつもより長くない?」

ぴくりと真太郎がわずかに揺れた。そんな些細なことも密着しているので伝わってくる。真太郎が動揺するなんて久しぶりに見た。見たというよりも感じたのほうが近いけど。
一瞬の動揺も無かったかのように切り進める真太郎。何か裏があるのかと疑ってしまうが、どうせ真太郎のことだからあほらしい考えでも持っているのだろう。真太郎は頭が良いくせにばかだから。
左手の爪にヤスリがかけられる。もうすぐでこの爪切りの時間が終わってしまうことに、何故かしんみりとしてしまう。この感覚を例えるなら、日曜日の夕方に感じるあの湿っぽい感覚だろう。別にこれが終わることによって真太郎とお別れするわけでもないのに。
コトン、ヤスリを置いた音がわたしの心を揺さぶる。とっさに真太郎の手を握り、テーピングに覆われた左手を抱きしめるように体にくっつけると、頭上から息をのむ音。

「……何をしている」

平然と口を動かしているであろう真太郎に、わたしはさっきは驚いたくせにと悪態をつく。そうすれば真太郎は罰の悪そうなため息をついた。きっと眉を八の字にしているだろう。
なんだか寂しくなったのとわたしにしては珍しく素直に口を動かす。本当は寂しいわけではない。ただ今の自分の心情を表す言葉が見つからなくて、少し似ていたそれを使っただけに過ぎない。それでも、真太郎ならなんとなく理解してくれると思っている。このどうしようもない気持ちを。
真太郎の左手を抱いていた手を、右手で掴まれた。そしてそのまま後ろの方へ持っていかれ、かぷり。見えないが確かに分かるその感触に、大袈裟なくらい肩を震わせてしまった。有り得ないことだ。わたしの指先は間違いなく真太郎の口に含まれているにちがいないなんて。ぬるりとした真太郎の舌が人差し指の爪を這う。ぞわりと体中が栗立つが、わたしは動けない。人差し指だけではなく、中指も薬指も、先程磨かれて滑らかな爪の断面を舌は楽しげにすべっていく。少し強く指を噛まれたと思えば、優しく舌が痛む部分をなぞる。その感触がだんだんと気持ち良く感じられてきてしまう自分がいて、本日何度目かの羞恥心をおぼえた。

「し、真太郎」

震える声で名前を呼べば、真太郎はその行為を止めた。早鐘を鳴らす心臓を抑えつつ顔だけを後ろを向け、何しているのと問う。平然と舐めただけだと答える真太郎にわたしは困ってしまう。真太郎はここまで抜けた子だったかしらとお母さんのようなことを思った。いつもこんな真太郎だったら、わたしの心臓はいくつあっても足りそうにない。

「真太郎」
「何だ」

いつもながらのすまし顔の真太郎。無性にその表情を崩したくて、でも何をしていいか分からないわたしは視線を泳がすことしかできない。そんなわたしを真太郎は鼻で笑う。見下されているのは分かっている。なんだか嫌だ。何かして真太郎を驚かしてやろう。そう思って頭をフル回転させていると、ちんけな頭なりにあることを思いつく。
かぷり。思い立ったが吉日、その言葉に従ったわたしの目にうつる真太郎は目を丸くして少しだけ顔が赤い。してやったり、と思ったが自分のした行動にわたし自信も頬を染める結果となった。真太郎の右手の三本の指をくわえてみるという行為はもろ刃の剣でしかなかった様。

「な、何をするのだよ…!」

わなわなと震える真太郎にわたしは気まずいのでくわえるのを止める。自分だってわたしの指をなめたくせにと思いながらも、真っ赤になった真太郎にそんなこと言えるはずもない。もしそれを言ってしまったら真太郎から湯気がでるかもしれないもの。それにしてもわたしも真太郎に負けないくらい赤くなっているにちがいない。ああ、もうこんなことになるなら仕返しだなんてしなければよかった。恥ずかしすぎて倒れてしまいそう。

「真太郎、次からは自分で爪切るね」

そうしないと真太郎に爪を切ってもらうと度に、このことを思い出しちゃうから。顔を合わせたくなくて、下を向いてそう告げる。すると、両肩に勢いよく真太郎の手が置かれた。痛みより驚きが勝り、思わず顔を上げてしまう。そこには少しだけ赤みがおさまった真太郎の顔が、目と鼻の先にあった。真太郎の切れ長の目に見つめられ、つい息をのむ。

「お前は爪を切るのが下手だから、俺が切ってやる」

真剣な表情でそんなこと言われたら、わたしは頷くしか選択肢がない。コクリと首を縦にふれば真太郎は近くにあった顔を離し、それでいいのだよと眼鏡のブリッジを中指で上げた。その動作にわたしの胸は大きく高鳴る。今にも緩んでしまいそうな唇を噛み締めて真太郎を見つめれば、真太郎はわたしの頭に手をのせ髪を乱してきた。わしゃわしゃと髪をぐしゃぐしゃにされる中、少しだけ見えた真太郎は目を細くして、口元は緩やかな弧を描いていた。


指先の魔法
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -