息をはきながら白いお湯に体を任せる。すると、大学の頭が痛くなるような難しい講義や、掛け持ちしているバイトに終われる日々でたまった疲れが溶けるように薄らいでいく。自分の住むアパートの浴槽よりもはるかに大きい浴槽は心地がよい。足を伸ばせるこの浴槽には今まで何度か入ったことがあるが、湯が違うだけでいつもよりも何十倍と癒されるのは、わたしがお風呂の好きな日本人だからだろうか。もしそうならば彼はどうなのだろう。確かに彼は日本人だけれど、少し前まではアメリカに住んでいたらしいから気になる。彼が日本に来てから何年もたってしまったからもう関係ないかもしれないが。それにしても入浴剤というただの粉だけでこんなにも幸せな気分になれるとは、わたしはなんて安い人間なのだろうか。

今、わたしは辰也のマンションでお風呂に入っている。今日は久しぶりのデートだった。そして、辰也の家に泊まることになったのだ。お泊まりということは、ほぼ必ずといっていいほど恋人同士のそういったことをするということだ。だから普段は次の日のバイトや大学のことを考えて泊まらないのだが、今日は違った。別に明日は月曜日で大学はある。しかしあるものがわたしたちの普通を変えたのだ。
そのあるものとは、まさしくこのお湯である。辰也とのデート中にわたしの住むアパートの水道管が壊れてしまい、お風呂に入るどころか料理すらできないと大家さんから電話をもらったためだ。その話を聞いたときは絶望的になったが、すぐに状況を理解した辰也がうちに泊まればいいといってくれたので助かった。あのときの辰也は本当に神様のように見えたものだ。
肩にお湯をかけると、ちゃぷんと波が起ち、おもちゃのアヒルが揺れる。なんでこんなものが辰也の家にあるんだろうと思いながらその嘴をつつく。
そろそろ髪を洗おうか。そう思って浴槽から立ち上がると、ガチャンとドアが開き辰也が入ってきた。

「え!」

一瞬思考回路が止まったが、我に返ったわたしはすぐさまお風呂に浸かる。そして彼に「何してるの」と、焦るあまりに舌足らずになりながらも尋ねた。そんなわたしの声はお風呂に響き、うるさい。しかし、そんなことも気にならないくらいに、わたしは冷静さを失っていた。漫画のような急すぎる展開に、わたしの煩悩ではついていけないのだ。
腰にタオルを巻き付けた彼は、爽やかな笑みをうかべて浴槽に入ってくる。あっけにとられていると、いつの間にか彼はわたしを足の間にいれて後ろから腕を回してきていた。
何しているのと聞きたくても、先ほどよりもひどいパニックに陥ったわたしは口をまともに動かすことができない。魚のように口をパクパクさせるわたしを見て、彼はクスリと笑った。

「一緒に入りたくなってね」

わたしの頬っぺたでぐにぐにと遊ぶ辰也は、さも当たり前かのように入ってきたその理由を口にした。入りたくなったからといってそんなにすぐ入ろうとするものなのだろうか。いや、でも彼は意外にも自由人なところがあるから、それ故なのだろう。
しかしいくら付き合っているからといってお風呂を一緒に入るだなんて、少し抵抗がある。別に彼と一緒なのが嫌なのではなくて、明るい中で裸を見られるのが恥ずかしいだけなのだけれど。
悶々としていると彼は、口を耳元に寄せ、「今更恥ずかしいことなんてないだろう?」とささやく。彼の低音の声が体の芯までも震わせる。辰也の溢れでるフェロモンに、危うく理性を失いかけるが、心を強く持ち、耐えた。彼はわたしをそういった気分にさせるのが上手い。いつもこうやって流されてベッドの中に連れていかれるのだ。しかし、今日はそういうわけにはいかない。なんせ明日は平日なのだ。彼と事に至ると、次の日にいつも、ひどい腰痛に見舞われる。下手をしたら歩けなくて、大学を休まなければいけなくなるかもしれない。そうなっては困るのだ。
今日は絶対に流されないぞと心に強く刻み、手のひらを握りしめた。

「あ、」
「なに?」
「まだ髪を洗ってないみたいだね」
「え、まあ」

嫌な予感がさっと頭を過る。これはもしやと口元をひきつらせていると、辰也は案の定、洗ってあげると口角をあげた。

「いや、大丈夫だから」

そういって浴槽の中で辰也から少し離れ、体を縮こませる。これはいつものように流されてしまうパターンだ。それに、わたしはこんな明るい中で、堂々と裸でいるという羞恥に勝てる心なんて持っていない。それから今更ながらに思うのだが、彼は腰にタオルを巻いているのにわたしだけ生まれたままの姿というのは、いささか卑怯だと思う。
離れていったわたしを見て彼は形のよい眉をたれさせた。そんな顔をするなんて、狡いではないか。それが彼の作戦なのだと分かっていても、わたしの良心はきりきりと痛む。まるで捨てられた子犬のようだと思いながら、「仕方ないから、タオルをつけさせてくれるならいいよ」と言ってしまう辺り、これから先、わたしが彼に勝てる日は来ないのだと感じてしまう。
わたしの言葉を聞いた彼は、すぐさま女の子が羨むようなきれいな笑みをうかべて、タオルを取りにお風呂から出た。その背中は嬉しさを物語っていて、いつか紫原くんが言っていた言葉を思い出す。「室ちんは信頼してる子の前だけは甘えたさんになるよねー」と彼は言っていたっけ。確かにそうなのかもと納得しつつ、信頼されているだなんて嬉しいなと頬を緩ませた。
一人でにやけていると、彼がタオルを片手に戻ってくる。そして、タオルを巻いたわたしに、「きれいにしてあげる」とお風呂用のクリーム色のイスに座らせた。

「リンスとかトリートメントないけど、大丈夫?」

シャンプーのポンプを押しながら辰也はそんなことを聞いてくる。普通男の人はそういうのをあまり知らないと思っていたから、彼の気配りの良さに感心する。彼は甘えてくることも多いけれど、やはりこういった配慮をすることに手慣れている。やはり紫原くんや火神くんとか年下の面倒をよく見ていたからなのだろう。彼はわたしにはもったいないくらいよく出来た人だ。

「一日くらい、やらなくても大丈夫だよ」

後ろを向いて、答えると、辰也は「それじゃあ遠慮なく」と、シャンプーをわたしの頭につけた。指の腹で頭をかくように彼は頭を洗ってくれる。それが気持ちよくて、うとうとしてしまう。しかし、ふと、うなじの辺りに息を吹き掛けられて、眠気など遥か彼方へ吹っ飛んでしまった。
びくりと肩を揺らすと、そんなことをお構いなしといったように、シャンプー流すよなんて言われる。いつものごとく彼のペースにはまったわたしは、肯定の意を示すしかない。小さくうなずいたわたしを見て、彼はシャワーで、髪を洗い流し始めた。その手つきはまるで美容師さんのようで、彼は本当に器用な人だと思われる。

「じゃあ、次は体だ」
「え、」

シャワーを止めた彼は、スポンジにボディーソープをつけ始める。そんな彼の手を掴み、それはさすがに駄目だと目で訴える。しかし、またもや彼が悲しそうな顔をするものだから、一瞬だけ罪悪感に心が揺らぐ。それでも、今はいつものように流されてはいけないと、わたしも目を潤ませて彼を見つめる。すると、彼は「仕方ないな」とスポンジを泡立てる手を止めた。ホッとしたわたしが、彼からスポンジを取ろうと手を伸ばす。

「え?」

辰也が突然わたしの背中に抱きついた。不意の出来事で、わたしは間の抜けた声がでる。どうしたのかと、動きの鈍い頭を働かせるものの、答えなど見つかるわけがない。もしかして、のぼせてしまったはのだろうかと心配になり、後ろを振り向く。すると、サッと鮮やかな動きで、巻いていたタオルを取られた。

「ええ!?」

思わず上げた声がバスルームに響くと、彼はスポンジをやさしく肌にあててきた。体を固く縮こませると、「隙がありすぎ」と耳元に口を寄せてくる。そのまま、耳に息が掠めるように話し始めるものだから、自然と体の力が抜けていった。まるでそれを狙っていたかのように、彼は笑い、わたしの背中にスポンジを滑らせる。
彼には敵わない。そうため息をつき、彼に体を預ける。すると彼は、良い子だと言わんばかりに頭を撫でた。






髪の毛だけでなく体まで洗われたわたしは、恥ずかしさのあまり放心状態になっていた。思い出しただけでも頭が爆発しそうなくらいに恥ずかしい記憶に血液が逆流しているようだ。くらりと揺れる頭を浴槽の縁にのせて、寝るような体制をとる。わたしがそんなことをしている間にも彼はシャワーを浴びていて、下手に見ることができない。のぼせそうだと思いながら、目を閉じていると、シャワーの音が消えた。顔をあげると、長い前髪をかき揚げながる彼が、視界に入る。頬が火を吹いたように熱くなり、心臓が早鐘をならす。顔を湯につけ、平常心を保とうとすると、湯が大きく揺れた。彼が浴槽に入ってきたのだ。

「のぼせたの?」

彼はわたしの顔を持ち上げ、親指で顎をくいっと上げる。水が滴っているため色気が五割増しの彼にそんなことをされると、心臓が痛いくらいに鼓動を繰り返す。だから、白旗を上げる変わりにわたしは体の力を抜くのだ。すると、それに気づいた彼は、クスクスとひねこびたように小さく笑う。彼の息が首もとにかかるので、こらえるように口を紡いでいると、不意に首筋にチクリとした痛みを感じた。まさかと思い、固く閉じていた口を開く。かわいらしいリップ音をならして付いた赤い印に、わたしは息をついた。首筋に付けないでといつもあれほど言っているのに、彼は聞いてくれやしない。この印は大人っぽい彼の、子供のような独占欲が垣間見える瞬間だから、純粋にとても嬉しい。ただ、彼は見えるところに付けようとしてくるから、なんとも言えないのだ。
明日はファンデーションを首筋にも塗らなければと呑気に思っていると、ゆっくりとした手つきで腰回りを撫でられた。ぎょっとして、体を震わせると背後にいる辰也は、そろそろお風呂から上がろうとささやくように言った。いつもよりも妖艶な彼に目眩がする。彼の家に泊まるということは、そういったことをするということなのだといつもの流れで分かっていた。しかしいざとなると初な少女のようになってしまう。もう何度も経験してきたことなのに。
首裏におとされたキスに体を火照らせながら、わたしは腰に回された彼の手を頼りなく握る。そして、優しくしてねと目で訴えると彼は眉をひそめ、目を細めた。

どうやら、明日の講義は休まなければいけないようだ。


スワロフスキーの銀河を泳ぐ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
dear moaさん
20000hit thanks
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -