わたしはいわゆる匂いフェチである。しかも1番好きな匂いは汗というなんとも変態チックなやつだ。洗剤の匂いやシャンプーの匂いも好きなのだけれども。汗の匂いが好きといえば、たいていの人に後ずさりされることなんて目に見えている。だからわたしはずっとこの性癖のことを公言しないようにしてきたし、言ったとしてもせいぜい匂いフェチだというぐらいにしておいていた。絶対に汗が好きなんて言わなかったし、言えるわけなかった。でもそんなわたしを受け入れてくれる寛大な人も稀にいるわけで。目の前でがりがりと数列を書き進める彼もその一人だ。
今わたしたちは緑間くんのお家で勉強会をしている。来週から一学期最後の行事 忌ま忌ましき学期末テストが始まるからだ。わたしはそんな酷いくらいに成績が悪いわけではないのだけれど、今回の数学の範囲の問題が全然分からないので、無理矢理ながら緑間くんに教えてもらいに来ている。
答えを写しているではないかというぐらい緑間くんはすらすらと問題を解いていく。バスケも出来て勉強も出来てなおかつ顔も整っているとは、神様はなんて不公平なのだろうか。自分でいうのもなんだけれど、わたしなんて見た目は普通、頭も普通、性格も普通、それにプラス性癖が変態くさいという残念な子なのに。特技が匂っただけで洗剤の種類が分かるというどうしようもないものなのに。神様は狡い。
ちなみにわたしは完璧な彼とお付き合いをさせて頂いている。多分付き合って二ヶ月経ったか経たないかくらい。二人して記念日とかに疎いからよく覚えていない。もしかしたら緑間くんは覚えているのかもしれないけれど。付き合って二ヶ月の記念日も覚えない女の子はわたし以外にいるのだろうか。多分いないだろう。しかしそんな女子力低めのわたしにも引っ掛かることというか、友達に強く指摘されたことがある。それは、わたしが匂いを堪能するために了承を得て抱き着くとか、一緒に昼ご飯を食べたりだとか手を繋いだりだとかは何回もしてきたのに未だにキスすらしてないということだ。別にキスしなくても付き合っていけているからまだ良いのだけど。確かそれを友達に言えば呆れられたっけ。自分たちのペースでいけたらいいから気にしないけども。


すん、と鼻で息をすれば緑間くんの部屋の匂いで肺が満たされる。それと同時にわたしは幸せに包まれた。実は緑間くんの家に来るのは何だかんだいって初めてのことである。どうしてもっと早く訪れなかったのだろうと悔やむのは、緑間くんの部屋は言いようのないくらい良い匂いがするからだ。元々緑間くんの匂いが大好きであったわたしにとって、彼の部屋はまるで天国のようなところ。空気を吸う度に胸がぎゅっとしめつけられ、ぴりぴりと甘い痛みに襲われる。幸せだ、そう思いながらまた息をした。

「手を動かせ」
「……あ、うん」

匂いに夢中になっていたせいで、本来の目的である勉強を忘れてしまっていた。でも緑間くんの匂いに気を引かれてしまうのは性というものでありまして、わたしにはどうすることも出来ない。だって空気を吸う度に匂いが鼻をくすぐってきて、勉強どころではないのだから。さすがに呼吸をしないわけにはいかないし。
正直な話、わたしは緑間くんの家に来たのは失敗だと思っている。こんなにも匂いに邪魔されるだなんて思ってもみなかったもの。自分のノートを見ても書かれているのは数行だけ。向かい側の緑間くんのものには、数学嫌いのわたしは目を背けたくなるくらいの数字や図形。よくやるなあなんて思いながら、気持ちを切り換えるために机の端っこの麦茶をとり、一気に飲み干す。渇いた喉に染み渡る麦茶のおいしさは格別だ。
カランと氷とガラスのぶつかる音に緑間くんは顔を上げる。そして自分の麦茶をぐっと飲み干して立ち上がる。わたしのコップと自分のものを片手で持ち、「注いできてやる」と一言。そんな些細な優しさについ頬が緩む。
緑間くんがドアを開けると外から熱風が入り込んでくる。クーラーで少し肌寒くなっていたわたしにはその熱が気持ち良く感じた。
パタンとドアが閉まるのを見届けるとわたしは素早くノートと向き合う。だらだらしてしまうわたしのような人間にとって、勉強は切り換えとやり始めが肝心だと思うから。匂いの誘惑に負けず、カリカリと緑間くん程ではないけどテンポよく計算をしていくわたし。まだ簡単なところだからスムーズに解ける。こんな問題ばかり出題されたら3桁なんて夢ではないのにと頭の片隅でぼやいた。

ぺらり、数字で埋まったページをめくる。集中出来たから意外と早く問題を解けている気がする。息を吸うのだってどきどきしなくなってきたし。なんだか頭が良くなった気分だと思いつつも、中々帰ってこない緑間くんに疑問を覚える。麦茶を注ぎにいってくれただけなのに10分近くもかかるのだろうか。もしかして暑さのあまり熱中症で倒れているのかもしれない。床に横たわる緑間くんと割れた二つのコップの映像が頭を過ぎる。シュールすぎて思わず吹き出してしまった。有り得なさすぎる。口を押さえて笑っているとガチャリと音をたてるドアの取っ手。やっと帰ってきたみたい。

「遅かったね」
「麦茶がもうなくてな。沸かしていたのだよ」
「そっか、わざわざありがと」
「ああ、だがまだ沸かせていないから、これでも飲んでおけ」

ずいっと差し出されたのはお汁粉と書かれた缶。先程のように吹き出しそうになるのをなんとか堪えてそれを受け取る。お汁粉とか緑間くんらしいな。そう思いながらプルタブを開ける緑間くんに目を向ける。その瞬間、思わずわたしはお汁粉の缶を落としてしまった。
緑間くんの首筋には一筋の汗。暑い中でお茶を沸かしていたのだから当然のこと。よく見ると頬にも汗がにじんでいる。どきりと心臓が跳ねる。匂いたいなんて思ってしまうのはどうしようもないのだ。

「緑間くん」
「なんだ」
「あの、抱き着いても良いですか」

お汁粉に口をつけた間々緑間くんは固まってしまう。そんな彼にわたしは違和感をおぼえた。いつもの緑間くんなら抱き着いていいかと聞けば好きにしろとか何とかとそっぽを向きながら答えてくれるのに。暑いから思考回路が少し麻痺してしまったのかなと心配しつつも、返事のないことを良いことに緑間くんの方へ近づいて行く。そして横から控えめに抱き着けば大きく肩を揺らす緑間くん。やっぱりおかしいなと思いつつも緑間くんの脇腹の辺りに顔を埋める。緑間くんの品の良いポロシャツからはいつもの洗剤の匂い。大きく息を吸ってはいてを繰り返すわたしはいつもながら変態だ。でも緑間くんがこうやって受け入れてくれるからわたしもつい調子にのってしまうのだ。

「な、にしているのだよ…!」

出来心でうっすらと汗がにじむ緑間くんの首元に顔を埋める。すると珍しく吃る緑間くん。どうして今日の緑間くんはこんなに変なのだろう。わたしがこんなことするのは日常茶飯事なのに。しかしそんな疑問も匂いをかげば氷のように溶けていった。汗が混じった緑間くんの匂いに頬がだんだんと赤らんでいく。血液が逆流しているような、ジェットコースターに乗ったあとのような不思議な感覚。それはわたしの心臓まで刺激してくる。今日はいつもより感情が高ぶっている気がする。どきどきするのが止まらない。緑間くんがおかしいのと何か関係があるのだろうか。そう思いながら緑間くんのポロシャツの襟を軽く握る。するとふわり、体が宙に浮いた。

「ん、ひょ」

間抜けな声をあげて落ちたのはベッドの上。なにがなんだか分からなくて目をきょろきょろとさせていると、そんなわたしに緑間くんが馬乗りになる。どうしたのと聞きたくても言葉が喉をつっかえて出てこない。突然の緑間くんの行動にわたしは平常心を保てるわけがないのだ。
不意に緑間くんの顔が迫ってきて、目を強く閉じる。すると首にくすぐったい感触。もしや、と思い薄く目を開くと案の定緑間くんがわたしの首筋に顔を埋めていた。なにやっているの、そう言おうと口を開くと、べろりと首筋を舐められる。開いた口からは自分のものとは思えない小さな甲高い声がでてしまった。それが恥ずかしくて両手で顔を隠す。しかしその手は緑間くんの大きな手により頭の上に一つくくりにされた。恥ずかしくて心臓が破裂してしまいそうだ。


「……誘ってきたのはお前だろう」

重力で少しずれた眼鏡のフレームをあげる緑間くんは官能的すぎる。そんな緑間くんと目を合わせていることが耐えられなくて、わたしは強くまぶたを閉じる。あまり煽るな、という低い声が鼓膜を揺らすと同時に、わたしの唇は今までにない熱をもった。


ずっとたべたかった
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -