もぐもぐといつもお菓子を頬張っている彼は、わたしのことを好いていないのだと思う。確信はないが、直感的にそう思うのだ。嫌いではないのだが、好きでもない。そんなあいまいなところに、わたしは位置付けられているのではないだろうか。
わたしもわたしで、彼のことが得意ではなかった。何を考えているか分からないし、理解し難い怖さがある。そして何より、とてつもなく大きいのだ(これは彼だけに言えたことではないのだが)。
さて、そんなお互いを苦手としているわたしたちは、なぜ二人っきりで、夜の体育館に寝そべっているのだろうか。しかも制服で。スカートが皺がついてしまうことよりも、わたしの脳内を占領するその疑問に考えを巡らせる。彼とわたしは、部室でいつものようにミーティングをする片割れと緑間くんを待っている。今までにも何度か二人で待つことはあったが、こんな風に横に寝転ぶのは初めてのことだ。今日も、いつもみたいに待っていただけなのに。何があったのだろう。
あお向けになったまま、頭だけを横にして、まいうぼうを口にする彼を見つめる。行儀悪いなあなんて思っていると、相変わらず眠そうな目がわたしを捕らえた。ぱちりとあった目に気まずさを感じたので、横にしていた顔を戻す。照明がついていないため、明かりといえば月の光しかない体育館は、先ほどまで部活をしていただなんて感じさせないくらいに、静けさを纏っている。閑散とした空間で、彼のまいうぼうを頬張る音が響く。ぼーっと窓から見える月を見上げていると、眠気がよぎった。このまま横になっていると寝てしまいそうだ。それはまずいと思ったわたしは、のそりと起き上がる。
口に手を当て大きな欠伸をしていると、視線を感じた。それは、片手をついて体を起こしつつ、お菓子の包み紙をぐしゃぐしゃと丸める彼のもので。頬に熱が集まった。こんなにも欠伸をする姿を凝視されると私でなくとも、わずかばかりの羞恥心を覚えるだろう。

「何かついてる?」

おどおどしながらそう聞くが、紫原くんは首を横に振る。どうしたんだろうと眉間に皺をよせていると、紫原くんはわたしの頬っぺたに人差し指を突き刺した。

「全然似てないよね」

ぷにぷにと頬をつつく彼に苦笑する。これはわたしと片割れのことをいっているのだろう。確かにわたしと片割れは全く似てない。外見もさることながら、頭脳や運動神経といった能力や性格なんかもだ。昔はよく片割れと比べられて、コンプレックスを感じたりなんかした。今はそうでもないが。
先ほどの彼の言葉に、否定するようなことはないので、「そうだね」と返す。その返事に何を思ったのか、紫原くんはわたしの頬っぺたをつねった。

「別にバカにした訳じゃねーし。赤司さんには赤司さんの、赤ちんには赤ちんの個性があるって意味だし」
「え、あ……」
「ていうか、赤司さんって呼びにくいから名前ちんでいい?」

まくし立てるように話す紫原くんに圧倒されたわたしは、「あ、」だの「う、」だのといった、言葉とは言えないものしか口に出来ない。なのに彼が急かすように、再度「名前で呼んでいい?」と聞いてくるものだから、わたしは何も考えずに頷いた。そんな、わたしを見て紫原くんは口角をあげ、つねったところを優しく撫でる。
こそばいなと目を細めていると、彼は手を離し立ち上がる。そして、「赤ちんたちまだかな」と大きく伸びをした。座っているわたしから彼を見ると、まるでビルのようで、彼の大きさに今更ながら感嘆する。
二メートルも上から見る世界とは、一体どんなものなのだろう。並みの身長の私では全く想像もつかない。やはり彼のような天才とわたしとでは、同じ世界に住んでいるのにも関わらず、瞳にうつるものまで違うのだろうか。
そんなことを思いつつ、じっと見ていると、彼が見込んできて、わたしの鼻をつまんだ。あまりに突然の出来事だったので、間の抜けた変な声が出る。紫原くんは少し笑った後、「何を考えていたの」と首を傾けた。普通の私たちの年代で、しかも彼ぐらいの巨漢が首を傾けるだなんてしたら、気持ち悪い以外の何物でもないはずのに、彼がすると可愛らしく見えるのはなぜなのだろう。日頃の子どもっぽい彼を見ているせいなのか、はたまた彼の放つ緩いオーラのせいなのか。どれにしたって、二メートルを越える大きな彼が可愛いだなんて矛盾は消えない。

「紫原くんって大きいよね」
「う〜ん、まあね」
「やっぱりさ、紫原くんから見る世界と、わたしが見る世界って全然違うんだろうね」

いいなあ二メートル。そうぼやいていると、彼は何か思い付いたといったように眠そうな目を見開いた。そしてポリポリと、ウサギのように食べていたポッキーを詰め込み、口を動かしながら言った。「じゃあ体験してみる?」と。





「いやあああ」

体育館に響き渡るのは、わたしの叫び声。無理やり肩車をされたわたしが、その高さに悲鳴をあげたのだ。肩車をされているから紫原くんの高さとは少し違いがあるが、今のわたしにそんなことは関係ない。下を見ると床が遠くて、よく彼はこんな高さでも大丈夫だなと感心する。

「も、もう体感したからさ、」

そろそろ下ろしてほしいな。そう言おうと口を開くが、同時に彼が走り出したので、言うことは出来なかった。

「ちょ、紫原くん!」
「もっとスピードあげてほしいの?」
「いや、ちがっ……!」

人の話を聞かない彼は、わたしの両足を持っていた手を離し、本気で走り出す。このままでは落ちてしまうと、急いで彼の頭を抱えるようにしがみついた。女の子らしからぬ叫び声をあげるわたしを、紫原くんは肩車したまま薄暗い体育館を走り回る。高さにスピードと揺れがプラスされ、わたしの意識はどこか遠くに旅立ってしまいそうだ。下ろしてと髪の毛を引っ張ったり、後ろ足で彼の胸の辺りを攻撃するが、止まる気配など見えない。
風のせいか、恐怖のせいか、目の端に涙がたまる。遠退いていく意識に必死に食らいついてなんとか正気を保っているが、そろそろ限界がきそうだ。
もう、無理……。そう思って目をつぶると、浮遊感に襲われた。驚いてまぶたを開くと背中に衝撃がはしった。

「痛……」
「もー名前ちんが暴れるから転んだじゃん」

むすりと頬を膨らませる彼にわたしは苦笑いをするしかない。それくらい背中がひりひりと痛む。さっき、尻餅をつくように紫原くんが倒れたため、床に強く背中を叩きつけられたのだ。痛いと顔を歪ませて悶絶していると、「大丈夫?」と珍しく焦っている紫原くんが背中をさすってくれた。少し意外だった。彼はあまり、他人を気にするタイプではないから。こんなにも心配してくれるだなんて思ってもみなかった。よたよたと起き上がって、眉毛を垂らす彼に「大丈夫だよ、ありがとう」と言えば、彼は嬉しそうにわたしの頭をなで回す。それがくすぐったくて、わらっていると、急に体育館のドアが大きな音をたてて開いた。
驚いて音がした先に目を向けると、月の光をバックに仁王立ちをしている片割れ。先ほどまで漂っていた和やかな空気が、一変にしてはりつめたものになった。

「紫原、あれほど名前に近づくなと言っただろう」

腕を組みわたしたちを見下ろす片割れは、真っ黒いオーラを出す。片割れがこんな風になるのは、この前の青峰くんを叱っていた時以来だと思いつつ、こっそりと横を見る。すると、あの紫原くんが正座をして汗をだらだらとながしていた。紫原くんって正座出来たんだ、なんて失礼な感想を心のなかで述べる。紫原くんをこんな風にしてしまうだなんて、いったい片割れは彼に何をしてきたのだろう。想像するだけで恐ろしい。
それにしても、あれほどわたしに近づくなと言ったとはどういうことなのだ。それではまるで、今まで紫原くんがわたしにあまり話し掛けてこなかったのは、片割れのせいと捉えられるのだが。まあ、このことに関しては後々片割れに聞かせてもらおう。
終わりの見えない片割れの説教にため息をもらす。もちろん腹の中で、だ。もし今の状況でため息をついたらわたしの命が危ぶまれるからね。片割れの話を聞き流しつつそう思っていると、体育館の入り口に立っていた緑間くんが額に手を当てていた。なんだか、うちの片割れが迷惑をかけているようで申し訳ない。今度、彼の好きなお汁粉をおごってあげよう。そう思いながら片割れの無駄に長い説教が、出来るだけ早く終わることを祈り始めた。




あれから一時間程経ち、わたしと片割れと紫原くんは、特になにか話すわけでもなく、のんびりと帰路についている。緑間くんとは先ほどの分かれ道で別れた。30分の長い説教に付き合わせたことをこっそりと謝れば、緑間くんは、「お前こそいつも大変だな。そうだ、これをやろう」と突拍子もなく、駄菓子屋さんでよく見る小さな箱をくれた。巣昆布と書かれたそれをまじまじと見ていると、「今日のラッキーアイテムなのだよ」と妙に自慢げに緑間くんは眼鏡を押し上げた。が、正直なところ、巣昆布はあまり好きではなかったりした。
手の上で巣昆布の箱を転がしていると、紫原くんが「あ、もう別れなきゃ行けねーし」と、不満げな声をもらした。ふと辺りを見渡せば、そこはいつも紫原くんと別れる道で、もうこんなところまで歩いたのかと少し驚く。

「赤ちんと名前ちん、バイバーイ」

ポテチを片手に紫原くんは、のそのそと私たちとは違う道を行く。バイバイと手を振りかえしていると、ひやりと冷たい視線が背中に突き刺さった。心臓がありえないくらいに動き、汗が背中や頬を伝う。そろりそろりと横にいる片割れを見る。ギギギッと鈍い効果音がでそうなくらいに固いその動きに対して、片割れはさらりと口を動かした。

「いつから紫原とそんなに仲よくなったんだ?」

前は名前呼びではなかっただろうと訴えてくる片割れの目は、青峰くんや紫原くんを叱っていた時と同じ目だ。
尋問をしているかのごとく、質問攻めをする片割れのせいか、気がつけばわたしはベットに倒れこんでいて、ケータイの時計は午前2時を表示していた。



赤司名前と紫原敦
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Dear 柚子さん
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