影山くんは、人と話すのが余り得意じゃないみたい。けれど、バレーに関してなら難しい事や苦しい事にも逃げずに挑戦するような格好いい人だという事をわたしは知っている。

彼と初めて会話をしたのは、数学の授業中だった。彼とは隣同士の席。影山くんは居眠りで有名な男の子だったから、よく眠っている姿を隣から見てた。だって数学キライなんだもん。時々、わたしの席がある方に顔を向けて寝ている時もあって…、何時もは険しくて難しそうな表情をしているのに、寝ていると子供みたいな顔になっているから、ちょっと、かわいいなあって思ってた。数学を乗り切るパワーを貰ってた。「なあ、」初めてお話したあの日。彼は珍しく授業中なのに起きていた。外は雨だった。先生がアヤシイ魔法の呪文のような方程式を黒板が可哀想なくらいにビッチリ書いている。わたしはただ事務的にそれを書き写していた。「ん?なに」小さな小さな声での遣り取り。だって今は授業中、バレたら2人セットで怒られちゃう。だから静かに、静かにお話してた。でも…起きている時の何時もの顔、眉間にシワを寄せている険しい顔をしてる影山くんがそのおっきな体から先生にバレないように小さい声を出していると思うと…面白くて仕方なかった。凄くたのしい気持ちになれた。「あー………いや、……そのー‥…アレだ、アレ……ノート、をだな‥」青い瞳がキョロキョロしてた。折角の綺麗な色なのに、わたしの普通のありふれてる目玉と正面から合わさってくれない。それが緊張なのか躊躇いなのか迷いなのか何なのか、わたしは知らない。知らないままでいいかなって思ってる。知っちゃったら、影山くんの不器用さがなくなっちゃうから。影山くんは不器用だけどそれだけ優しい良い人でいてほしいから。「……見る?きたない字だけど。」多分、彼が望んでるのはコレかなって思った。写し忘れたか何かで、今新しく黒板に書かれるより前の数式が知りたいんじゃないかって。わたしはノートじゃなくてルーズリーフ派だから、授業中の貸出も全然問題ない。だから影山くんも、わたしに頼んだんだと思う。彼にルーズリーフを差し出すと、わたし達の席と席の間の空間で、へにょ、と紙の端が傾いた。ちょっと可愛い。「……わりぃ」そう言って彼は、そんなに大きい手をしているのに、長い長い指をしているのに、ルーズリーフの限りなく端っこを持った。それも凄く面白くて、吹き出しそうになるのを頑張って我慢した。

「…助かった」
「どう致しまして。読めない部分とか、なかった」
「ああ、すげー見易かった」
「なら良かった」
「…………あと、‥」
「ん?」
「……え」
「え?」
「…え、うまいな、お前」

その授業が終わった後に影山くんがルーズリーフを手渡しで返してくれた。席に座ったまま、手を伸ばした状態で。…実はわたしには、授業が退屈で退屈で仕方ない時にルーズリーフの端っこに落書きをする悪い癖がある。小学生の時に開発されてしまったその癖は未だに直す事が出来ていない。直さなくちゃなあとは思っているんだけど、中々…。(見られちゃった‥)中々良く描けた物を女の子の友達に見せた事はあるけど、男の子に見せた事は今まで一度もなかった。影山くんが、さいしょ。やっちゃったなー、って思ったし、ちょっと恥ずかしかったけど、存外影山くんからの言葉が優しくて…嬉しかった。それが絵を褒められたからなのか影山くんだったからなのかは‥未だ知らなくていい。まだ、もうちょっとだけ…悩んでいたい。その後直ぐ影山くんは居眠り体勢に入ってしまった。外では雨が止みかけていた。
それから、わたし達は時々話すようになった。話す…といっても、何回か、何個か、言葉を交わすだけのとてもコミュニケーションと呼べるような物ではないけれど……それでも。影山くんは、わたしにとっては男の子で一番お話した事のあるひとになった。

ある時、自動販売機で彼とバッタリ会った。あ、って話しかけると、ああ…って言ってくれた。どうやら顔だけは覚えてくれてるみたい。「お前も何か…飲むのか」「うん、りんごジュース。」彼はぐんぐん牛乳を手に持っていた。その高い高い身長はその牛乳のお陰でぐんぐん伸びたんですか、凄いです。テレビのCMとか、ドキュメンタリー番組に出演出来るよきっと。(ぁ、れ……)影山くんは制服のポケットに手を突っ込むと硬貨を取り出した。不思議…影山くんが持つと、どんな物でもとっても小さく見える。百円玉なんて、シルバニアファミリーのお人形さんが使うおぼんみたい。「影山くん?」お金が投入口に吸い込まれた。忽ちボタンの所の緑色のランプが一斉に灯る。影山くんはそのまま、ぐんぐん牛乳やぐんぐんヨーグルのある一番上の列に並んでいるりんごジュースのボタンを人差し指で押した。ガコッ、。パックの落ちる音がした。大きな体を窮屈そうに屈めて…プラスチックの蓋の内側からりんごジュースのパックを取り出して……そのまま、自然な流れで、わたしに、りんごジュースを差し出した。「…やる。」あの雨の日にルーズリーフを挟んで見た、眉間にシワが寄っている顔がわたしを見下ろす。何だかくすぐったいカタチをしてる言葉を、たった一言。僅かな一言だけ口にするとりんごジュースをわたしの手にぽんって乗せて、そのまま何処かに行っちゃった。…その日飲んだりんごジュース、何時もよりとっても甘かった。ふしぎ。

ある日はグラウンドの隅のゴミ捨て場で遭遇した。教室掃除のわたしは袋毎に燃えるゴミやカンビン類に分別されているそれを学校の決まりに従って仕舞っていた。「おい」後ろから声がした。影山くんは黒いジャージを着てた。バレー部のジャージ、真っ黒なんだ…シンプルで格好いい。影山くんに似合ってるなぁって、そう思った。「影山くん。」「……これから、帰りか」「うん、わたし部活やってないから」ゴミ捨てが終わったら、わたしは教室に戻ってカバンを取って学校を出るだけ。その日は友達とファストフード店で宿題をしたりお喋りする約束があった。楽しみだった。ご機嫌だった。それだけわたしは上機嫌だったから、何時もは聞かれた事しか答えないのに余計な一言を加えたりしてた。我ながら単純だなあ。そ、か……。影山くんは小さい声でもしょっと呟いた。完全には口の外に出ていない言葉が不器用に空気に溶けていく。「影山くん?」どうしたんだろう。彼には部活がある筈。こんな場所で道草を食べている場合じゃない。‥それなのに、影山くんは暫く其処に立って居た。わたしの後ろにあるゴミ捨て場を見つめながら頭の中の海に潜って言葉を探しているみたいだった。青くて綺麗な目が忙しく泳ぎ回っていた。「えと、………なんつーか‥、……気をつけて、な」小さい声だった。先生に怯える必要なんてないのに、とっても小さい声だった。生まれたばかりの子山羊みたいに、ふるふるしながら空気の中に立っていた。影山くんはそのままわたしの言葉を聞かないままピンっと弾かれたように体育館に向かって走って行った。子供みたいな言い逃げだ。ありがとうって、影山くんが残してくれた言葉の名残にわたしは笑った。背中がどんどん小さくなっていく。サラサラしてる黒髪がきれいだった。

ある日、先生に影山くんを止めるように頼まれた事があった。あれは体育の授業の終わり。女の子と男の子に分かれてそれぞれ割り当てられた種目をしていたんだけれど、女の子はバドミントンで、男の子は‥運が悪い事にバレーボールだった。バドミントンのラケットや羽根を元有った場所にしっかり仕舞った事を報告しに行ったら、先生が困り切った顔をしていた。明日先生が死んでしまうお告げを聞いてしまったとか、奥さんに浮気がバレたとか、兎に角、とんでもない事態から脱出を諦めてしまったような‥死にかけている表情。吃驚した。元気さとフレッシュさが取り柄の体育の先生が見たのことない顔をしているから。みょうじ、頼む……先生を助けてくれ‥。声も体もフラフラしている先生の様子からして、何かとてつもない事が起きているに違いないって。そう思ったんだけど……(あ、本当だ‥)…先生が困っていたのは、影山くんがコートから出て来ないって事だった。ずっとボールを持ったまま、ずっとサーブをしているままで、全然動かないんだって。聞く耳を持ってくれないんだって。先生はゾンビになりながらそう話してくれた。「影山くん」影山くんがサーブを打ち終わってから声を掛けた。用具はとっくに仕舞われてしまったみたいで、彼は今ボールを1つしか持っていないようだった。ボールを取りに行こうとした格好で、彼が振り返る。少し顔が吃驚していた。「……みょうじ、」あ、名字、覚えてくれたんだって思った。この日初めて彼はわたしの名前を呼んでくれた。すると何だか‥胸が、むずむずした。何でだろう。あの日のりんごジュースの甘さを思い出した。「もう終わりの時間だよ、職員室行けなくて先生困ってる、帰ろう?」お前影山と仲良いんだろっ頼むみょうじ!お前しか居ないんだ!!先生はそう言っていた。わたしにバレースイッチが入ってしまった影山くんを退かしてほしいって。…そんなの無理だよーって思った。第一、わたしと彼はそんなに仲良くないですよって。でも‥あんなに必死に頼まれたら、断る方が無理だった。先生、本当に本当に困ってる顔をしてたから。「……なあ‥」「ん?」わたしが彼をどうこう出来る訳がない。そう思っていたけれど…彼は、床をじいっと見つめながら、広い体育館に、ポツリ。一滴の声を漏らした。意外だった。一蹴されるだろうなって、てっきりそう思っていたから。彼は床を険しい表情で見下ろして、綺麗な目を忙しく動かしていた。……言いたい事があって‥けれど、どういう風に言ったら良いのか分からないんだなぁって。そう感じた。だから…わたしは待つ事にした。ごめんなさい先生。だけど影山くん、こんなに頑張っているから‥待っててあげてください。「………見て、たか」彼はやっと、声帯を震わせた。足りないものがいっぱいある不器用な言葉だった。だけど‥軽い沈黙で、ほんの少しの間違いで、簡単に消えてしまいそうな繊細な言葉だった。「…ああ、うん。さっき来たばかりだから、少しだけだけど‥」本当は何が聞きたいのかは、直ぐにではないけど…分かった。多分、影山くんがバレーをしていたことの事を言っているんだろうなって。……だって、影山くん、本当にわかりやすいんだもん。さっきからずっと、床じゃなくてバレーボールを見つめている。「そ、か…………わかった。」なら、やめる。影山くんはそう言ってボールを拾って、やっとバレーボールのネットの紐に手を伸ばした。流石だなあ…手付きが何だか職人さんだよ。バサッとあっと言う間に床に落ちた、ネットの片方。わたしはそれを拾い上げて、手伝うよって、そう言った。……あ、目、逸らされた。

そして……本日。「みょうじ。」放課後に影山くんから声を掛けられた。外は綺麗に晴れている。多分、彼が授業中寝ていてくれたお陰だ。

「なに、」
「…………今日‥なんか、…そのー……用事とか、約束とか…あ、あんのか」
「ううん、今日は何も」
「そ、か………ぁー…それなら…、…その……」

影山くんは今日は部活が無いんだって話してくれた。だから今日は真っ直ぐ家に帰るんだって。…そう言って、彼は……わたしを真っ直ぐに見つめた。

「付き合って、くれねぇか」


 


男の子と帰り道を一緒に歩くのなんて、初めて。少し緊張。‥そういえば、何だか影山くんが色々な初めての人のような気がするなあ。授業中にお話したり、ルーズリーフを貸したり、落書きを見られたり、ジュースを買って貰ったり。…うん、此処最近で影山くんには色々な事をしてもらったなあ。今まで男の子とこういう事、したことなかったから。とても新鮮な気持ち。ふしぎ。この間まで、隣の席に座って居たのに大して話した事なんて無かったのに。あの雨の日から突然、こんなに濃厚な学生生活を送る事になるなんて。影山くんとこうして、帰る事になるなんて。そんなの全然、考えていなかった。「……なあ…みょうじ……」影山くんに名前を呼ばれて、そして、ん?って返す。これがわたし達の会話の最初のかたち。後はわたしは、影山くんが不器用ながらも一生懸命に言葉を探しているのをゆっくり構えて見守るだけ。頑張れ、影山飛雄くん。「あー……そのー…だな、……えっと………た、例えば、だからな……例えばの、話だからな」うん、分かった。わたしは頷いた。わたしも彼も、真っ正面を向いたままで、未だ一度も互いの方を向いていない。そもそも、わたし達はそういう関係じゃあないからね。影山くんが珍しく、自分からいっぱいお話してくれようとしているし…わたしもこのまま、空だけを見つめていよう。段々日が傾いて、空がゆっくり夜へとシフトしていくのを見守ろう。透明な…そう、りんごジュースの色をしている日差しを浴びながら影山くんの声に耳を澄ませた。

「あのな、…えー………誰かと、仲良くなりてえヤツが、居ると、する。」
「で、…それで……ソイツが、仲良くなりてえヤツと………ぁー‥もっとその…お近付きに、だな…なる為に、知りてえって、色々……思ってる、ワケだ」
「その、だな‥ケー番、とか……メアドや、…誕生日……好きな食いモン、とか、そ…そういうヤツだ、色々、そういう、…」
「…んで………いや、‥何つーか…あー……っと………その、な…す、すき、な……ヤツの、…おぉおおっとこの、たたタイプ……っつうか‥好みっつうか……そういうのも…色々、だな‥」

たっぷりの沈黙をクッションにしながら影山くんはゆっくり、辿々しく、不器用にそう話した。誰かが誰かの事が好きで、好きだから色々知りたいって、そういうお話だった。聞いていて、青春だなぁって思った。漫画やドラマとかにぎゅうぎゅうに詰め込まれている、女の子にときめきをくれる魔法みたいだなぁって。影山くんからその話を聞いただけで、フィクションだっていう前置きを忘れて胸がほっこりしたくらい。わたしには無縁の世界だけれど……うん‥やっぱり、憧れの気持ち程度はあったんだなあ。「素敵なお話だね」思った事を、思ったままに伝えた。何時の間にか、視界の前の方に下り坂が近付いていた。影山くんの声を聞きながら、もう此処まで歩いていて来ていたなんて。ふしぎ。時間も、距離も、全然感じなかったよ。影山くんの声には何か特別に、そういう不思議な効果があるのかな。「っ………で…例えば、みょうじが、そう聞かれたら…教える、か……俺とか、聞いたら‥」「え?」其処で初めて、わたしは影山くんを見上げた。影山くんも、わたしを見ていた。…あかい。とっても、あかい。耳とか、目許とか。それに、少し泣きそうな…そういう顔を、してて……何時も以上に、眉間にシワがぎゅーってなってた。何で、かは……わかんない、‥でも、なんか……むねが、ぎゅぅうって、した。ああ…この人、かっこいいって、その気持ちが心の中の一番くすぐったい場所から、ふわぁ…って上がってきた。今……わたし、彼の綺麗な青い目と、やっと目を合わせられてる。2人の足が、どちらともなく止まった。硝子で出来ているような雰囲気が生まれた。ほんのちょっとの事で、壊れちゃいそう。泣きそうな影山くんが、唇を震わせながら‥ゆっ…くりと、不器用な言葉をわたしにくれた。

「あ………そ、その…例えば、が、‥全部、ホントで……お、れの‥事で、……だったら…お前……ど、する…?」

融けているようなオレンジ色に染まる坂道。下り坂。その直ぐ近くに‥何歩か歩けば直ぐこの坂を下れる場所に、わたし達は立っている。……影山くんが、不意に目を逸らした。そのまま坂道に向かって歩き出す。わたしは彼の後ろ姿を見た。綺麗な夕焼け空と、真っ赤な影山くんの耳が重なった。さっきの言葉が蘇る。りんごジュースの甘さを思い出す。心臓の近くで、さっきまでの言葉の全部が生きているのが分かった。視界がりんごジュース色で満たされる。夕日に混ざって溶け込んでしまいそうな影山くんの耳が振り返る。ああ…泣いてるのかな、零れたのかな、溶けちゃったのかなって‥思った。だって、そういうかお、してるんだもん。

「……俺…………おれ、……っ俺…!……っ〜〜…!ッ‥おま、……っ好きだ……っ!!」

とろり…、‥とけた。わたしの視界から彼が消えた。焦っているような駆け足が遠ざかっていくのが聞こえる。わたしは下り坂の一番高い場所に立った。影山くんが、滅茶苦茶な格好でめちゃめちゃなスピードで走ってる。エナメルのスポーツバッグが、吃驚したように揺れ動いている。
わたし……影山くんの、大きな声、はじめて…きいた。男の子の、こういう声って……何ていうか、こわいってイメージがあったけど‥なん、だろ……なんか……なんか……何、か、あつい。ほっぺ、あつい。「………、…!……っ……〜〜〜‥」言わなくちゃ。なにか、なにかを。だって、行っちゃう。影山くん、見えなくなっちゃう。なのに、言葉が溶けていく。彼が溶け込んだ夕日に、わたしの言葉も泡になって消えていく。ああ……ああ、泡になっていく言葉が胸につっかえて、酸素が奪われる。苦しいよ、苦しいの影山くん、ねえ。言い逃げなんてずるいです。わたしが追い付けるスピードで走ってよ。捕まえられて、わたしもですって言われてよ。

そうしたら、ぶきっちょな影山くんのやり方でいいから、影山くんの酸素をわたしにちょうだい。




/「あなたの後ろ姿がゆうひにやけてまぶしすぎたの」


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