「月島くんってなまえのこと好きなのかな」

 突然の言葉に、ぐるぐるとストローをかき回していた私の手が、ほぼ反射的にとまる。彼女の声は、少し、震えていた。耳をこらさなければ聞き取れないような、ちいさな震えだったけど、近くに座っている私の耳にはしっかりとその震えが伝わってしまっていた。
 目の前にいる彼女は目を伏せて、テーブルの表面に視線を落としている。

「突然どうしたの?」
「突然じゃないよ。ずっと思ってた。なまえといるときって、月島くんって楽しそうなんだもん」
「楽しそうっていうか、あれは、……そういうのじゃないと思うけど」

 楽しそう、というよりは私には嫌味をいえるから、というだけ気がする。月島は他の女の子(もちろん目の前の彼女にも)には優しいけど、私には吃驚するほど優しくない。他の男の子、例えば部活が同じ男子に対するような、そんな感じだ。
 優しくされないより優しくされたほうがいいにきまってる。だけど彼女にとっては違うらしい。恋人の意外な一面を見たいというやつなのかもしれないと、ぼんやりと思った。

「私、うらやましいの。なまえが」
「え、いや、そんな。重く考えなくてもいいと思う、けど」

 うらやましい、というその声が今まで聞いたこともないくらいに、重く、ほの暗くて、私は慌ててフォローの言葉を投げかけた。
 目の前にいる彼女は友達としての贔屓目なしに見てもかわいい。月島と並んでいるところは、それこそ雑誌の中にいるモデルとしてのカップルみたいだ。
 容姿の面以外でも私が彼女に勝てることなんて、ないような気がする。そんな私をうらやましいだなんておかしな話だ。そんな風に謙虚な彼女だから私は友達として一緒にいるわけだけど。

「月島のあの態度って、あれだよ、多分男扱い」
「そう、かな」
「そうに決まってるよ」
「だといいんだけど」
  
 店内には他の客もいて、話し声だった聞こえているのに、それらの音は遠くにあるようにわたしの耳に響いていた。ガラス越しに見える外は来たときと変わらずに土砂降りだ。湿った生ぬるい空気が一瞬だけ足を撫でたような気がして、スカートの上においていたてのひらを、テーブルの上におく。スカートはいまだに湿っぽい。

「……なまえは私のこと、裏切らないよね」

 当たり前じゃんというはずの私の声は、すがるように私の手に伸びてきた彼女のてのひらによって勢いが失われ、虚空に消える。
 彼女の白く、細い指先は、つたのように私の手に絡む。彼女の手は冷たく、湿気のせいかかすかに湿っていた。
 柔らかなおんなのこの、小さな手で、彼女は私を絡めとる。

「ね?」

 硝子のような透明な瞳が、こちらの様子を観察するようにじっと見詰めていた。そのうつくしい瞳は、ただひとつの答えしか望んではいない。

「……そんなこと、しないよ」

 私の返事はかすれていた。さっきシェイクを飲んだのに、口の中はいやに乾いている。
 うんと小さくうなずいた彼女は、やっぱりかわいらしい。それなのに、どうしてだかその様子をみると、ここから逃げたくなるような居心地の悪さを感じてしまう。
 じっと視線を下におろす。彼女の綺麗に整えられた爪は、輝いていた。




「今日は一人なの?」

 聞きなれた声に体をそちらに向けて、それから後悔した。後悔したということが顔に出ていたのか月島の眉間に皺がよる。

「なにその顔」
「……別に」
「別にって顔じゃないよね、ソレ」
 
 そうして当たり前のように隣に並んだ月島にあの子の声がよみがえって、胸の奥底がひりついた。疑われるようなことなどないのだからただ堂々としていればいい。それなのに、どうしてこんな風にかんじるのだろう。
 私の知る限りで、月島があの子以外に自分から隣に並んだ女の子はいない。だけどそれは、私が特別だからとか、そういうことではない、のだ。

「今日はあの子、習い事。ヴァイオリンだって」
「へえ」
「あの子、お嬢様だからね。小学校からだってさ。……てゆうかあの子から聞いたことないの」
「あったかもね」

 他人事のような返事に、むっとする。彼女なんだからもっと興味をもつのが普通なんじゃないだろうか。月島がそんなだから、あの子が不安がるのだ。
 男の子とまともにつきあたことがないので、こうだって断言できるわけではないけど、月島の態度はちょっと冷たいと思う。それが好きだから、とかいわれたら何も言えない、けど。

「キミも少しは見習ったら?」
「はいはいノロケごちそうさま。どうせ私はあの子に叶わないですから、知ってるます」

 返ってきた言葉に、少しだけほっとした。私のことを揶揄するようなものではあったけど、それはつまりあの子のことをほめているということだ。これ、ちゃんと本人に言ってあげれば良いのになあと思った。そうしたらちょっとは安心するだろうに。私なんかより、月島はちゃんとあの子のことすごいと思っているって。
 
「それにしても毎日毎日雨すごいよねー、今日は晴れてるけど」

 独り言を吐き出すように、そういった。
 日差しが肌を焦がすような、そういう暑さではないけれど、梅雨独特の蒸し暑さはそれはそれでうっとうしい。湿気で制服が肌に張り付くような感覚がいっそうそのうっとうしさを煽っている。
 今日は久しぶりに雨がやんでいるけど、曇りだ。だけど雨がふっていないくせに空気が生暖かくて気持ち悪い。雲に覆われている空は妙に明るい色をしていた。

「……気になってたんだけど、それってわざとなの?」
「え?」
「ボタン」

 そういって月島は、私の胸元を指差した。どういうことだと思って、月島を見上げるとあきれたようなため息が振ってくる。そんなことされたってわからないんだから言葉でいってよと反抗の言葉を上げようとした瞬間、月島の腕が私のブラウスのボタンにぐっと伸びて来て、触れた。私の足も、月島の足も止まる。
 リボンのしたにもぐるようにして、ボタンに触れている月島の手に、思考が停止する。月島の手が離れてから、そこでようやくボタンが外れていて、月島がそれをとめてくれたことを理解した。

「暑いからってそういうのどうかと思うよ」
「ちっ、違うよ。わざとなわけないじゃん!」

 月島がとめてくれたボタンのあたりを思わず手で覆って、慌ててそう返した。薄いブラウス越しに、感じた月島の手の感触が残っていて、心臓が変にはねる。
 もちろん私は故意にボタンをはずしていたわけじゃない。そんな風に見られていたのかと思うと、違うと大声で否定したくなった。だけどそうしたところで月島は流すだろうし、何より自分が悪いので、私は唇をかみ締めた。
 ボタン二つが開いていると、結構いかがわしい。わざと開けている人もいるけど、それによって出る肌が大きいから私はあんまりいい印象がない。それを月島に指摘されてということが、特に嫌だった。

「……冗談なんだけど。キミがそういうことすると思えないし」
「ほんとにそう思ってる?」
「思ってるよ」

 私が予想外に沈んでいるということがわかったのか。フォローの言葉を月島は投げてきた。妙に仏頂面だ。その表情になんとなく違和感を感じて首をかしげた。

「月島」
「なに」
「もしかして照れてる?」
「はあ? 何言ってるの」

 特に何も考えず、勘でいった言葉だったのに、月島は私の言葉にかあっと顔を赤らめた。自分でも顔が赤いとわかっているのか、手で隠すようにしてから月島は顔をそむけた。
 その様子に唖然とした。あの月島が私のせいで、照れていることが信じられなかった。それと同時に、意外と月島って照れ屋なんだなと、思った。あの子の前でも照れてしまって冷たくしてしまうのかもしれない。

「月島」
「……何?」
「照れ屋なのも良いけど素直になりなよ」
「………だから照れてないって」

 自分でも信憑性がないことがわかっているのか、月島は顔を背けたままだ。そんな月島の頬はまだ赤い。肌が白いせいかその赤さはよく目立つ。
 そんな月島の様子がおかしくて思わず笑うと月島の腕が伸びて来て、私の腕をつかむ。笑うなと月島は言いたかったんだろうし、それぐらいのふれあいなら今までしていたのに、月島のてのひらの冷たさに思わず体がこわばった。月島のてのひらは、大きさもやわらかさも違うのに、あの子の手によく似ていた。

「つき、しま」

 空気が、変わる。私の体がこわばっているのが感じ取れたのか、月島は不思議そうな顔をした。
 だけど月島のそのてのひらで握られていることが、とてもわるいことのように思えて
、体を動かせなくて、ただ月島を見返すことしかできない。

「はなして」

 私の声はちょっと震えていた。あの子の声みたいだった。
 だけど月島は、私のことを話そうとはしてくれなかった。視線が鋭くなって、まるで私を射抜くみたいに見つめるから、私は何も言えなくなった。

「こういうことするの、よくないと、思う。……触るの、とか」
「どうして」
「こういうの、不安になるよ、あの子」
「僕とキミのことなのに、あの子が関係あるの」
「あるに決まってるじゃん! 私あの子の友達なんだよ? そんなの、」

 だめだ、と続けるはずの声は月島の表情によって掻き消えた。月島が、まるで傷ついたような顔をしていたから、私の口はもう動かなくなってしまった。
 月島のそんな顔を見てしまったことに、そんな顔をさせてしまったことに、胸のおくそこをざらりとした痛みと焦燥が撫でる。
 どうしてそんな顔をするんだと思った。月島が私を好きだなんてそんなことあるわけがないのに。

「キミは知らないんだろうね」
「な、にを」

 月島のうすいくちびるが持ち上がる。確かな笑みの形ではあったけれど、嘲笑だとかそういう、いい意味のものではないことは、私にもわかった。
 
「なんでもないよ」

 さっきまでつかんでいたことが、まるで冗談だとでもいうようなあっけなさで月島は私の腕を解放した。ずっとつかまれていたせいか私の体はよろめく。そんな私を、月島はじっと見つめていた。そこにはさっきの笑みも、傷ついた表情もなくて、ただ安心した。月島が何も言ってくれないことに、安心した。
 あの子のやわらかなてのひらの感触が、てのなかによみがえる。
 私は月島が私に何を思っているか、けして気づいてはいけないのだ。


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