きゃあきゃあとはしゃぎ騒ぐ声の中に、同年代に近しい声の低さが一つ混じっている。 隣で小学生と一緒になって遊ぶ男子高校生にため息。 切原くーん、と力なく名前を呼べば彼がくりんと振り向いた。 「なんすか?先輩」 「なんすか、じゃないよもう。採点する分溜まってるよー」 「ああ、すんまっせん。へへ」 注意されて何が楽しいのやら、私が指差した教材の山に向き直った切原くんは仕事を再開させた。 理由を問えば「先輩の叱り方はムカつかないんで」と返ってきた。 全然分からない。 私は切原くんが小学生との戯れを始める前から終えた今まで絶え間なく丸つけをしていたのだし、そうなると必然仕事以外への注意力が散漫になる。 気の抜けた物言いになるのは当たり前だ。 でも確かに、同じ高校の後輩である切原くんの噂はちらちらと耳にする。 今は昔に比べて随分穏やかになったとか、中学の頃は今よりキレやすく暴れん坊だったとか。 「赤也ーここ教えて!」 「切原先生って呼べって言ってんだろ!」 「切原ー!」 「先生つけろ!」 手のつけられない問題児、そんな風には見えないけれど。 噂で聞いた彼を形容する言葉の数々を思い返す。 やって来た生徒相手にも笑顔で対応しているし、思いやりを持つ一面もあるのではないだろうか。 遊ぶ思考に作業が鈍る前に意識を目の前の問題へ戻す。 採点のバイトというと届けられた教材を自宅で丸つけするような、一人きりの自由気ままな内職だと思われることが多い。 私たちは教室に通い、生徒が解き次第提出する課題をその場で採点や説明を施して返却する。 質問をされれば答えるし、教室内が騒がしければそれを諫めるのも仕事の内だ。 仕事の内…なのだが、さっきの生徒とポケモンの話題ですっかり盛り上がっている切原くんの頭を軽くはたくと「あいて、」と呻いていた。 「切原くん?」 「すんませんっした!」 「まったく…」 ふう、とため息を吐いた時だった。 こんこん、と音がして見れば教室の入り口に銀髪が目立つ同級生が立って微笑んでいた。 「取り込み中に悪いのう。うちのやんちゃ坊主を迎えに来たぜよ」 「あ、仁王先輩!迎えっすか?」 「赤也…、迷惑かけんとしっかり働きんしゃい」 「よけーなお世話っす!」 「切原くん。いくら同じ部の先輩とはいえ生徒の保護者さんでしょ」 たしなめるように言えば少しだけムッとした顔をして切原くんが黙り込んだ。 そんな私たちの横を通り過ぎた小さい影が迎えに来た兄に駆け寄った。 「兄ちゃん!」 「おー。しっかり勉強したか」 「へへ、兄ちゃんが来るまでにしっかり終わらせたし!」 「くり下がりのある計算は苦手みたいだから見てあげてね、雅治くん」 「…ほーう」 「あっ!先生、告げ口しないでくれよ!」 途端に騒がしくなる弟を適当に受け流し、雅治くんは踵を履き潰したローファーを靴箱から出していた。 置いていかれると思ったのか、小さい姿がそれに倣う。 こういう兄弟の姿はいつ見ても微笑ましい。 「お疲れ様ー」 「いんや、これも兄の務めやけんのう」 ひらと手を振って二人は帰っていった。 さあ戻って仕事、と視線を戻せば子供たちと遊ぶでもなく丸つけに取り組むでもなく、切原くんがこちらに向けてなんだか恨めしそうな顔をしている。 「切原くん、どうしたの」 「…話長くねーっすか」 「まあ学習の経過報告も兼ねて色々と」 「先輩ってなんで仁王先輩のこと、名前呼びなんすか」 「だって雅治くんは割と仲いいし、あの二人は兄弟だからどっちも仁王くんだし」 「うちって生徒はみんな名前で呼んでますよね。なら仁王先輩は仁王でいいじゃないすか」 「何をそんなに…、ああ」 ぽん、と軽く手を叩く。 この動作も古典的だ、なんて思いながら座ったままの切原くんを見下ろせば不思議そうな顔をしていた。 「そっちの丸つけも手伝うからさ。拗ねないでよ、赤也くん」 「や、俺はそういう話をしてんじゃ……あれ?」 首を傾げる前に顔をやや赤くした彼がガタンと椅子を蹴飛ばして立ち上がった。 その音に生徒がぱっと揃って振り返る。 反対に私は何食わぬ顔でその隣に着席する。 「い、今、名前…」 「悔しかったら私のことも名前で呼んでみなさい。ね、赤也くん」 笑いかけると顔を逸らされてしまった。 興味深そうにこちらを見つめ続ける小学生たちに「ほら、勉強するよー」と声を掛ける。 生徒が勉強を再開したあとも、隣の彼はしばらく立ち尽くしたままだった。 分かりやすいなぁ、小学生よりずっと。 そう言えば怒るだろうか。 20110824 |