私は彼を、本の栞のような人だと思っている。 それは私の話を聞いた友人に違和感と、時に疑問を与えるらしい。 当人である彼は、少しだけ驚いたような顔をして次いでにこりと笑い、ありがとうございますと返すだけだった。 白いページの隙間から不意にはらりと落ちてくるような、色彩。 それは彼が私に度々持ってくる花束に似ていた。 ぱたぱたと静かに音がする。 柳生が花瓶を探しているのだ。 ここは私の家であって、しかしその様子は勝手知ったる足取り、とは少し違う。 私自身それほど使わない花器は置き場所を思い返すのも扱うのも難しい。 だから、柳生は自分が彼女相手に買ってきた花を自分で生けている。 少し申し訳ないけれど、その方が見栄えがいいことも確かだ。 初めて届けられた花を、私の珍妙な生け方のせいで駄目にしかけたことは忘れない。 「この薄紫のもの、お借りしてもいいでしょうか」 「どうぞどうぞ」 すっかり寛いでいる私を見てか、ドアから顔を覗かせた柳生が小さく笑って再び顔を引っ込める。 洗面所の方から涼やかな水音が聞こえてきた。 これではどちらが客人なのか分からない。 ようやく腰を上げた私はお茶の用意を始める。 彼が訪ねてきてすぐに準備を始めてしまっては、折角のいい紅茶も台無しになってしまうからだ。 私は、冷めたお茶ほど不味いものはないと思っている。 「いい香りですね」 「わ…っと。びっくりした、いきなり後ろに立ってるんだもの」 「運びますよ。終わりましたから」 言葉の通り、私から受け取った紅茶を持って柳生が向かう先、リビングのテーブルにはガーベラのケリーがある。 今日、柳生が買ってきたものだ。 彼は訪ねる度に花を買ってくるものだから、家中のあちらこちらが四季折々の植物で埋め尽くされている。 全て柳生が選び、柳生が生けてくれた。 どうして毎回買ってくるの、嬉しいけれど、と尋ねたことがある。 ここに来る時に通りがかるお店がいつも綺麗なのでつい、と困ったように彼は言った。 その表情に私もつられて笑ってしまったのを覚えている。 「それでは、いただきます」 向かい合わせの柳生がカップを手にしたので、私もこくりと一口、飲み込む。 ふんわり香る琥珀色と、花瓶からこぼれるように咲き乱れるガーベラの芳香が入り混じって、不思議な感じがする。 砂糖もレモンもないストレートの紅茶が、フレーバーティーのように溶ける瞬間は好きだ。 私が淹れる紅茶と、柳生が持ってくる花々と。 本当は彼が淹れた方が美味しいのではと思う時もあるけれど、この幸福の時間の片方くらいは担わせてほしい。 それを知ってか知らずか、やはり彼は微笑むのだ。 「美味しいです」 「…どうも」 「あなたが言葉少なになるのは大概が照れている時だと、知っていますよ」 「柳生は静かにお茶も飲めないの」 「ふ、すみません」 これが謝罪を口にしている顔だろうかと疑うくらい穏やかに、彼は言葉を交わしていく。 手の中でじわり温かいカップに目を落とす。 可愛くない見栄を張っている場合ではない。 今日こそは、今日だから、私は彼に伝えることがある。 「お菓子、用意してるんだけど」 「そうなんですか」 「手作りの、やつ」 「…それはまた、珍しい」 つくづく率直な反応をする人だ。 台所に引き返し、時間ばかりやたら費やしたケーキを持ってくると、柳生はますます目を丸くする。 それもそのはずで、私はお菓子づくりどころか料理も碌にしないのが常で、またその味の微妙さには定評があった。 しかし今回は(正しくは今回も)頑張ったのだ。 頑張った、そう思いたい。 「知ってる?柳生が持ってきた花の数、百を超えたんだよ」 「もう、そんな数になりますか。早いものですね」 そう、それだけ私たちはこうしてお茶会を重ねてきたことになる。 週に二回、時に三回訪れることもあるから、一年ほどで私は百の花をもらい受けている。 私だって甘んじて優しさを受けるばかりじゃない。 だからこれは素直なお礼というより、あなたの隣に居たいという、ちょっとした意地だ。 「柳生が花をくれて、それより女の子らしいお返しなんてこれぐらいしか思いつかなかったのよ」 「苦手なのに、ですか?」 「悪い?」 「…いえ、」 立ち上がり、私へと距離を詰めてきた柳生が口元を手のひらで覆っていた。 やはりその手のひらの下で、緩やかに優しく笑っているに違いない。 私がテーブルにケーキを置いたと同時に、空いた手を引かれた。 抱きしめられるのはいつだって慣れない。 そんなことを気恥ずかしさから逃れようと考えてみる。 「柳生、笑うのやめてくれない」 「あなたがその可愛い顔をやめるなら、いつでも」 「…はあ」 そんな嬉しそうにしなくたって、私が作ったケーキも私の思いも柳生の花束や柳生の優しさには到底敵わないと思う。 ただ敵わなくたって、相手のために何かをするのは楽しかった、本当に。 もしかしたら柳生もこんな気持ちで花を買ってくるのかもしれない。 それが分かっただけで、どこか嬉しい気分になる。 ただ、向かい合った彼は言ってしまうのだ。 いつもありがとうございます、なんて私が一番彼に言いたくてたまらなかったことを。 私を素直にさせないくらい優しくしているのは一体誰なのか、きっと分かっていないのね。 extra bouquet (花が百を数える頃に) 20110620 |