別に何かをしてほしい訳じゃなくて、ましてや逃げてほしくなんかない訳で。


「友香里!名前どこ行ったん!」

「名前ちゃんならクーちゃんの足音で逃げたで」

「あかん、また振り出しや…」


本気で落ち込んでいると実の妹が冷めた目を向けてくる。
少しは気を使ったらどうなんや。俺はお前の兄ちゃんやぞ。
その妹の目の前には手付かずのクッキーと飲み物。
本当についさっきまで彼女は居たらしく、逃げられたという虚しさの実感がひしひしと湧いてくる。


「さっきから何やねんクーちゃん。溜め息ばっかり辛気くっさいわ」

「そういうこと言うたらあかんって普段から言うてるやろ」

「私は名前ちゃんの味方やもん」


そっぽを向く妹はどうやら機嫌が悪いらしい。
最近兄ちゃんに冷たいんとちゃうか、と言いたいところだったが、妹の顔が怖いので言わないでおいた。
なるほど、これが反抗期ってやつやな。


「そもそもクーちゃんが何かしたんやろ」

「…まあ、な」

「なら早よ謝り!私が名前ちゃんとお話できんやないの!」


この一言を最後に部屋から追い出されてしまった。
何かというほど彼女に何かをした訳ではないけれど、ただの幼なじみという一線を自分から踏み出してしまったのは確かだ。
それに驚いたあっちが出てこんようになった。それだけ。


「…撫でただけなんやけどなぁ」


ふと零れた自分の声が予想以上に沈んでいて笑えてしまった。
いつもは頭だけのところを、つい頬辺りにまで手を伸ばしたら顔を真っ赤にして逃げられた、なんて。
相手の反応に自分まで萎縮してしまっていて情けない。
名前が好きで、大好きで、だけど何かをしてほしい訳じゃない。
気持ちが欲張りになる時もあるけれど、嫌われたら元も子もないから。


「なーんて、ただのヘタレやけど」


口にしたら情けなさが増した。
だから明日には解決しようと決めた。
学校で顔を合わせた時に絶対に話をつける。
そう思っていたのに。


「おー、スピードスターも顔負けの速さや」

「………うっさいわ、謙也」

「いだっ!」


なのに、これや。
視線が合うなり、ぴゃっと踵を返した名前を見ては隣でにやつく謙也をシバいてから、教室を飛び出した。
どいつもこいつも好き勝手言いよってからに、こちとら必死なんやぞ。
廊下をぐるりと見渡せば、角を曲がるちっさい背中が見えた。
現役のテニス部部長の脚力ナメたらあかんで。
上履きで廊下を蹴って追いかければ、みるみる彼女との距離は縮まった。


「ほい、お疲れさん」

「く、蔵…!」

「もう逃がさへんで、名前ちゃん?」


早回りをしてあっさり捕まえた名前はどこか気まずそうに表情を固くしている。
折角の綺麗な髪がボサボサや。
指先を伸ばしかけて、そもそもそれが原因だったと思い直して留める。
自分を落ち着かせるようにゆっくり息を吐いてから、ぽつりと話し出した。


「あんな、名前に話あんねん」

「…うん」

「手、昔みたいに握ってええか?」

「え…っと、ど、どうぞ」


緊張しているのか、名前の動きは多少ぎこちない。
その手を自分の手で出来るだけ優しく握る。
当たり前のように近くに居たのに、いつから躊躇うようになってしもたんやろ。


「名前にはな、今まで通り側に居てほしいんや。何もせんでええ。でも俺の肩書きが幼なじみじゃなくて……彼氏になったら嬉しいんやけど」


さて、彼女の返事はどうだろう。
握った手に自然と力が入る。
彼女の口からどんな言葉が出ようとも、この先は絶対に逃がさない。


捕まえた!



20100309
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