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「苗字さん、一生のお願い…降谷くんに勉強を教えてあげて……お願い……」
「お願い…します」
「え、絶対嫌」

放課後。さっさと家に帰ってゴロゴロしようと意気揚々と鞄を持ち上げたところで野球部の二人に行く道を塞がれ、綺麗な直角のお辞儀をされた。これから部活だの、掃除だの、バイトだの、色んな理由で皆が教室のなかでガヤガヤしている中、私とこの二人の間だけ空気が変わったのが分かる。
勉強を教えてだなんて理由は分かっている。自分の成績は学年一桁。いつもトップ争いで、今回は解答欄を間違えるという有り得ないミスでいつもより順位を落としてしまったが、それでも10位以内には入っている。
自慢ではないが自分は頭がいい。それ故クラスメートからもわからない問題を教えてほしいということも多々ある。教えない理由もないのできちんと引き受ける。出来るだけわかりやすくを心がけて解説をしているからか、分かりやすいと好評だったりする。
だからこそ目の前で絶望の二文字を浮かべる二人は私を頼ってきたんだろう。まさか“嫌”なんて言われるなんて思ってもいなかったんだろうが。いや、私自身も普段だったら断ったりなんか絶対しないのだが相手が“降谷暁”だからだ。
「な、なんで!?そんなこと言わずにお願いだよ、もう頼れるのは苗字さんしかいないんだ」
「だって……」
チラリと降谷をみると焦ってはいるもののそこまでダメージのあるリアクションをしていない。
そう、問題はこいつの態度にあるのだ。こいつ、自分のことなのにまったく心配している様子もないし必死さもない。むしろ一緒に頼み込んでいる小湊のほうが必死である。このまま服をつかんででも引き留めようという勢いだ。大方前回の夏の期末で赤点をとって顧問の先生にこっぴどく叱られたか脅されたかしたのだろう。けれど本人は余程図太いのか、はたまた現実が分かっていないのか……。

身体の中にためていた嫌な気持ちを大きな溜め息と共に吐き出し、しぶしぶ口を開く。
「降谷、全然やる気ないでしょ」
小湊の唖然とする顔とは裏腹に降谷の肩は小さく揺れる。
「テストで追試になっても補講があるし、試合だってちゃんと出れる…って、なんとかなるって思ってるでしょ」
「……」
うっと詰まったような表情に変わる
「はー…、私はさ。別に教える教えないはどっちでもいいんだけど、本人にやる気がないならやっても無駄だよ。赤点回避も難しいよそんなんじゃ」
「うっ」
そこで小湊が反応するということは、小湊自身もこいつに必死さが足りないことを理解しているということ。それでも「でも」とか「うー」と食い下がらないのは、そこまでして降谷に赤点回避してほしいということ。十中八九部活のためにしていることだろうけれども、ここまで粘るのはこれから大事な試合があるからなのか?
流石に見ていて周りも可愛そうになってきたのか「おいおい苗字あんまいじめてやんなよ」「なんだ?苗字、野球部二人下僕にしてんの?」と野次ってくる。これ以上注目の的にもなりたくないし、冷やかされるのも癪にさわる。ここは私が折れてやることにしよう。
「…やる気含めて見るならテスト期間までの間、見返りとして毎日ジュース一本奢ってよ。それなら勉強みてあげてもいい」
先程までお通夜だった二人(お通夜だとしても降谷は遠い遠い親戚みたいな反応だが)はあからさまに顔色を明るくして、感謝の言葉を連呼してきた。(主に小湊、降谷は当事者なんだからもっと感謝しろ)
とりあえず部活にすぐに行かなきゃいけないということなので、夜にテレビ電話で勉強をみるということにし、連絡先を交換してうちへと帰った。
正直な話、野球部の練習なんてどれほどハードでどれほどの量をこなしているかがさっぱり検討つかないので、責任者の小湊には勉強に当てる時間は絶対に監視役をつけろと念入りに言っておいた。本人は視界の端で無言で首を横に降っていたが、お前の意見なんぞ当てにならんの意を示し無視してやった。


夜、いつものようにベッドの上で仰向けになり学校で借りてきた小説を読んでいるとスマホがブーブーと振動する。時間からして降谷だろう。そうだと願いたいが。
画面に電話マークと降谷という文字が出ているのを確認して机へと移動しながら「はい」と返事をする。
「こんばんは」
「こんばんは」
ケータイの画面がインカメにかわり画面いっぱいに口許が写ったと思ったら、どこかの天井が写り、がたごとという音と共に机に向かってる降谷が現れた。
「勉強しにきました」
「不本意そうだな…まぁ、いいや。やる気含めで了承しちゃったからね」
相変わらずの無表情で挨拶をしてくる降谷に対し、後ろにいる監視と思われる小湊はにこやかにすこし照れながら手をふっている。
「――じゃあまず質問なんだけど、勉強嫌い?」
「嫌い」
間髪いれずに返ってくる返答に「ですよね」と自虐的に笑い、さらに質問する。
「好きなものは?」
「…野球」
「他は?」
「釣りとか、白クマ」
「ふむ……」
で、何?って顔でこちらを凝視してくる降谷。勉強っていってるのに、こんな合コンみたいなテンプレの質問されたら戸惑うよね。しかし、そこを勉強と結びつけることで多少なりともやる気をあげる。すこし上がればいいのだ。すこしだけ上がればあとは問題を解いていき、正解すればするほど勉強は面白くなる(はず)
「私みたいな野球を全然知らないやつにこんなこと言われるのは腹が立つと思うけど、勉強ができないやつは野球は伸びない」
「……」
腹が立つと前置きをしたものの、ムッとした顔をしてる。当然だよね。それでも構わず続ける。
「野球に限った話じゃないけどスポーツでも文化系の部活でも、仕事でも、なんでもだけど、勉強しないやつは良いとこまでいったとしてもその先は伸びる見込みがない。なんでこんなこと言うかっていうと、いくつか理由があるんだけど
全部野球で例えていくと一つ目が、そもそもの知識のなさをカバー出来ない。ルールを完璧に理解してないとか、ストライクゾーンを覚えてないとか
二つ目、変化についていけない。サインがどんどん新しいものに変更されるのにそれを覚えないとか、上が引退してチームが変わっても周りを理解できずにチームとして連携が組めないとか
三つ目、自ら学ぶことに消極的になるってこと。めんどくさくなるっていったほうがいいかもね。新しい作戦とか球種とかバッティングの仕方とか、それがあるにも関わらず自らそれを取り込もうとすることをやめてしまう」
「野球でそんなことはしないけど」
「そうだろうね。野球は好きだからそういうことを意欲的に出来るでしょ?じゃあ勉強は?」
「…」
「無言になるな。勉強も変わらないよ。というか、逆に言えば勉強ができれば降谷はもっと野球が上手くなるし楽しくなるってことを理解してほしい」
首をかしげる彼に対し、後ろの小湊は神妙な顔でこちらをみていた。
「また例えばの話になるけど、物理ができればその計算で、バットの当たりかたとか飛びかたとかある程度計算できるようになる。それを踏まえた体作りも出来る。降谷ってピッチャーだったっけ?ピッチャーもそう。腕の振りとか、角度とか、足にかける体重とかそれも極端な話物理のことが少しでも頭にはいれば多少なりとも自分で考えてフォームの調整ができる」
無表情で無言なのはいつものことだけど、全然反応しないのでそもそもこの話自体理解できないのだろうか。いやそれともこういうタイプは慣れるより慣れろの精神だから理屈よりも体でという感じなのか?話の広げ方ミスったかな。
すこし不安になりながらも続ける。
「そういう調整ができるようになると、自分の出来ることに幅が増える。それをチームと共有することによってよりチームとしての戦略も広がる。野球で例えたから全然勉強を意識して貰えてないと思うけど、勉強も同じで少し出来ればそれは次のレベルのものを解くための架け橋になる。だからどんどん自分の出来なかったとこが見えてきて少しずつだけど出来ることが広がっていくの」
降谷の顔が下に向く。
「それが多少なりとも野球と関わりがあって、それによって野球での自分のレベルを上げられるのだとしたら…最高じゃない?」
「……」
後ろの小湊がコクコクと首を縦にふる。
「でも、国語とか…歴史とか全然関係ない」
「そこら辺はね、まだやる気の上がる話がある」
自信満々にいう私が気になったのか降谷の顔が上がる。
「まぁ今回はその話しはしないけどね、そんなことまで話していたら勉強する時間なくなるし」
「ほら降谷くん腹くくって」
「うっ…」
とうとう始まってしまうのか。言葉にださなくてもその苦い顔ですぐに分かる。こいつってやっぱり分かりやすいやつなのか?
「ともかく、数学や理科系、英語に関しては野球の為になるから、野球のためと思ってやってたらいいとこまでいけるよ」
「…分かった、野球のためなら」
「そ、好きなことのためなら人間なんでもできるもんだよ、じゃあ数学からやっていくか。この前の期末のおさらいから」
テストの話題をだしたとたんうっ、と苦い顔をする彼に心のなかでもう何度目か分からないため息を吐いた。

――――――

降谷と勉強をして気づいたことがある。
あいつやればできる。
この前勉強の合間に話したらここの学校へは一般入試できたらしい。そんなことできるなら私の力は正直必要ないとは思うのだが、それはそれとして遅れを取り戻すためにはやはり誰かに教えて貰うのが一番だと保護者の小湊がいってた。
だからこの勉強会もとりあえずは一学期の範囲さえやってしまえばどうにかなる。そして私も晴れて自由の身。凄く嫌だったわけではないが自分の時間を潰されるのはそれなりのストレスだったからとても嬉しい。
「そういえば今日の監視いないの?」
机に向かいカリカリと音を立てていたシャープペンの動きが止まる。風呂上がりですこし湯立ってる降谷は首を縦にふり口を開く。
「監視がいなくても苗字さんが目を光らせてるから大丈夫そうって」
「まぁそうだよね。自分の時間割いてまで監視なんてずっとできるもんじゃないもんね…」
「ねぇ」
「ん?」
「苗字さんはどうしてそんなに勉強できるの?」
なんだその質問は。
質問の意図が分からなくて答えあぐねてるとさらに続けて問われる。
「いや……なんでそんなに勉強好きなの?」
「なんでって」
そんな質問生きてきて初めてされた気がする。というかなんで私が勉強好きだなんてことを……。
「授業中とかたまに苗字さんみたら凄くイキイキしてた。皆が野球やってるときみたいに。だから勉強好きなんだなって」
そんなに私の顔は光り輝いていたんだろうか、恥ずかしいにも程がある。そしてそんなとこをたまたまではあるがこいつは見ていた。油断ならないやつだ。
「勉強好きだなんてどーせ皆に変っていわれるから公言してなかったんだけど、あんたってボーッとしてる割に鋭いよね」
ボーッとというところで 若干ショックを受けているようにも見えたがそんなこといちいち反応していられない。
こんなことを誰かに話すなんてこと考えてもみなかったが、別に答えたくないというわけでもない。今まで話さなかったからすこし話しにくく感じるだけだ。
「……勉強ってさ、自分が知らないことをひたすらに吸収するでしょ?それが楽しいの」
全然分からんって顔をする降谷に分かりやすいよう続けた。
「きっかけは小さいことなんだよ。小学校のころ、体育で逆上がりの練習をしてたとき先生に脇を閉めて体は棒につけたまま坂道を駆け上がるイメージでって教えて貰ったの。そのコツを聞いて何度かやってみたらいつの間にか出来るようになってた。その時にビビってきたの。自分の知らないことを教えてもらって尚且つそれが出来てしまった。知らないことを知るって凄いことなんだって」
「それ、小学生なのに感じたの?」
「そう、小学生なのに。そこから自分で自分の分からないこととか興味があるけどまったく知らないこととか、“知る”ってことが凄く楽しくて夜更かししながら辞書とかひいてたよ。自分でも子供らしくない子供だなって思うくらいにね。
だから自分の知らないことを知るっていうのはね、凄く楽しいことなんだよ」
自嘲気味に画面の向こうに語りかけると、降谷はキョトンとした顔をしていた。
「え?なにその顔。自分から聞いといてそのリアクションはなくない?」
流石にキレそう。ムカついたからテレビ電話切ってやろうか何て考えていたらボソッと口許がうごく。
「…あぁ、なんとなく分かったかも」
今度はこっちがキョトンとする番だった。
「え?理解したの?」
「うん、今理解したの二回目」
「は?」
理解しているって言葉の意味を分かっているのだろうか。適当にわかる〜みたいな感じで相づちうってるだけなのか?眉間に皺をよせ考えていると、降谷の口角が上がりなぜか微笑みを浮かべていた。



(自分の知らない苗字のことをしった時、なんとなくだけど楽しくなった)


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