「なぁ、まだ目ぇ開けちゃ駄目なのか?」

「う、うるさいですよ…っ!今着替えてるだから少しぐらいは黙ってたらどうなんですか?!」




 本当に落ち着きがない人ですね、あんたはなんて小言をぶつくさと漏らしながら霧野の自室で脱衣をしていた狩屋は霧野が自分の為にわざわざ用意した自分の性にそぐわないヒラヒラとしたスカートを手にとると、思わずひぃっ…と息を飲んでしまった。霧野が狩屋の為に用意したという衣装は所謂某歌人形(ボーカルアンドロイド)のメインキャラクターとして知られている緑色、もしくは絵師によっては水色の長い髪を左右二つに結った女の子のキャラクターの衣装であった。今や世界各国で知られている彼女の人気は計り知れない壮絶なものでオタクを初めとした人種から、ましてや最近では一般人でも聞く人によっては聞く音楽に変化しつつある曲を歌うバーチャル世界での歌手のことである。勿論、霧野もその中の一人であり、彼の部屋にはボーカルアンドロイドのフィギュアやポスター、CDなどが多数存在していた。以前、霧野からボーカルアンドロイドのことを教えてもらった時、緑色の髪をした女の子が一番可愛いと言い張っていた霧野にあぁ、そうですか。何て言うかその…可愛らしいですもんね、彼女、なんて呆れたような表情で適当に相槌を打っていた狩屋だったが実際の所、自身の中では一人だけやけに大人びた身なりをした桃色の髪の女性が気になっていたことは断固として霧野には秘密にしておきたい一件である。そして、つい先日。部活動を終え、霧野と二人っきりで帰宅していた狩屋に霧野は、なぁ、お前コスプレしてみないか?と何ともまぁ唐突な一言を言ってみせたのだったがその一言が今の現状を造り出していることは言うまでもない。どうやらネット動画でコスプレをしながら踊ってみたというカテゴリーに登録していた女の子の姿がやけに可愛かったらしく、霧野はその動画を見て瞬時に狩屋にもコスプレをさせたいと思ったらしい。そして、思い立ったらすぐに行動に移さないと気が済まない性格の霧野は狩屋の了承も得ないままその場の感情のみでコスプレ衣装を通販サイトで購入したらしい。ちなみに原価六千九百円の新品未使用品。だが、送料は別途である。他にもウィッグだったり、ウィッグを被る前に被るネット、小道具だったりと必要だと思える品を全て購入して合計一万九千円近くの出費は中学生である霧野にとって、とてつもなく痛い出費でもあれば、恋人のきっと可愛いであろうそんな姿を見る為の幸せ感に溢れた出費でもあった。――つくづく痛い考えを持った男である。
 そんなこんなで狩屋は今、霧野の自室にて着替えを行っているというわけなのだが何分、生まれて初めて着る女の子の衣装というものに苦戦しているというわけで。抵抗がないのかと聞かれればまったくもってないわけではない。が、それよりもこれ以上霧野に一緒に居るのにも関わらず空気のような扱いをされるのが狩屋は嫌だったのだ。負けず嫌いな一面を持つ狩屋にとって実際に現実世界に存在している自分よりも他人の手によって造り出された二次元の存在に負けるということは自分の中にある自尊心を踏み躙られた気がしてならなかった。――負けて堪るものか!と、狩屋は羞恥を飲んで使い勝手のよく分からない衣装に袖を通し始めた。




「なぁー狩屋ー」

「もう着替え終わったかー」

「狩屋ってば!」

「…狩屋?」

「ああああぁぁ…っ、もう!先輩まじでうるさい!黙れって言ってるだろ!!」




 上着を羽織って袖を通してみるまではよかった。だが、スカートを履くのにあたって一体どのようにして履けばいいのだろうと小首を傾げていた狩屋に霧野がちょっかいを掛ける。否、正しくは目を瞑らさせられている為、ちょっかいと言ってもひたすら話し掛けているといった方が正しいのかもしれないが。そんな霧野に狩屋は苛立ちを覚えれば、元々吊り上がっている自身の目を更に鋭く吊り上げて文句の言葉を吐いた。




「目が見えないとお前が今どんな格好してるのかが分からないから余計気になるんだよ。…あ、じゃあさ、ちょっと口で説明してってくれないか?そしたら黙るからさ」

「…はぁ?!」

「それぐらいはしてくれてもいいだろ。…大人しく目瞑ってるわけなんだし」




 構い方はどうあれ、狩屋は先程まで自身に対してまったく興味を示さなかった相手が自分のことを気に掛けてくれているということに少なからず喜びを感じると、仕方ないですねーと、言って今の自分の姿をこと細かく説明し始めた。




「上着はもう着ましたよ。だけどスカート?の履き方がよく分からなくて今ちょっと手間取ってます」

「…普通にズボンを履く感覚で着ればいいんじゃないか?」

「え、やっぱりそうなんですかね?…流石は先輩。言葉に説得力を凄く感じます」

「どういう意味だよ」

「やだなぁ、まんまじゃないですか〜」




 けらけらと笑い声を上げながら霧野のことを小馬鹿にしたようにおちょくる狩屋に霧野はいいから黙って早く着替えろよ!なんて、少しだけ強い口調でものを言えば流石の狩屋もはいはい、分かりましたって、と言って素直に従った態度を見せた。




「よし…っと。せんぱぁーい、スカートも履きましたよー」

「なら、もう目を開けてもいいか?」

「んー、いいんじゃないですか…ってあれ?…あ、まだ靴下?んん?やけに長い靴下とわけわかんない物が残ってました」

「靴下じゃない、ニーハイだ!」

「あぁ…、そう、ですか…。何か…その、間違えちゃってすみませんでした」




 とは、口では言ったものの狩屋は自身の心の内で靴下もニーハイも要は長さと言い方が違うだけで使い道は一緒だろと、わざわざ自身の間違いをご丁寧にも訂正してきた霧野に毒吐いてみせた。そして、ニーハイソックスに脚を通せば残るは得たいのしれない物のみとなったのだが流石の狩屋もニーハイソックスの時とは違ってそれに対しての例えようが見つからず、霧野に使い方を聞くにしても聞きようがなかった。さて、どうしたものか。それにしてもこれは一体何なのだろう。とりあえずと思ってそれを手にとってみるもやはりよく分からない。寧ろ、謎が深まっただけだ。そんな時、狩屋は霧野の部屋の壁に自分が今着ている服を着た女の子のポスターが貼られていたことを思い出したのだった。




(なるほど…、これは腕に付けるのか)




 ようやく使い道の分かったそれに腕を通して着替えを済ませた狩屋だったが一通りの衣装を着終えてしまうと改めて自分のしている行動が馬鹿馬鹿しく思えてきて仕方がなかった。




「先輩、着替え終わりましたけど…」

「え、まじ?…あ、ウィッグは?ウィッグは被ったのか?」

「いや、まだですけど…ってあんた!ウィッグまで俺に被れって言うんですか?!!」

「だって折角買ったのに使わなきゃ勿体ないじゃないか」

「ったく…、だったら初めからこんな物に金掛けたりすんなっての。てか、せんぱぁーい?俺ウィッグの被り方とかよく知らないんですけどー」




 ウィッグの被り方を訊ねてくる狩屋に霧野は自身の知っている範囲での知識を教えるも、狩屋は今一つそれを理解出来ていない様子だった。普段からコスプレを趣味として活動しているコスプレイヤーならまだしも生まれて初めてコスプレをした狩屋に口先だけでの説明ではやはり霧野の伝えたいことは伝わりきれていない様子で霧野は頭を悩ませた。自分が被せてやりたいのが本音だが狩屋自身がそれを嫌がってしまう為、それは出来ない。ならば、どうすればいいのだろう。霧野は考えた。やはり此処は無難に一から丁寧に説明していくのが妥当ではないだろうか。




「まずさ、ウィッグと一緒に入ってるネット被ってみて?」

「ネット…?あぁ、これのことですかね?」




 目を瞑っているのにも関わらず、これかと聞いてくる狩屋には思わず盛大に突っ込んでしまいそうになったが霧野は何とかその衝動を抑えると、たぶんそれだと言って返事を返した。




「ネット被る時に地毛をちゃんと閉まっておかないと後々の処理が面倒だから気をつけるんだぞ」

「はいはい。…うわ、予想以上に難しいですね、これ」

「初めてだからだよ。回数を重ねたらきっと上手くなるさ」

「いや、たぶんもうそんな機会なんてねぇし」

「え…っ?!!!」

「先輩の反応一々鬱陶しい。…ほら、早く次」

「つれない奴だなぁ〜、まったく…。んじゃ、次は本題のウィッグ被ってみて。ちなみにツインテの部分はバンスにしたからウィッグ被った後にちゃんと付けるんだぞ。ツインテがなきゃ俺はお前をミクさんと呼んでやらないし、認めてもやらないんだからな」

「あんた本当に黙ってキモい」




 心底、オタク気質でもあり気違い染みた発言を平然とする霧野に狩屋は呆れた感情を通り越して、もはや引くことしか出来なかった。だが、何だかんだ言っていても霧野の気を引いたり、霧野に構ってもらえたりすることは狩屋にとって物凄く喜ばしいことなのである。只、自分とは少し住む世界が違うだけのことであって狩屋が霧野のことを好いているのには違いがないのだ。だから当然の如く、今も自分という人間に興味を示してくれている霧野のことが愛しくて堪らないというわけで。




「よし…っと、こんな感じでいいのかな…?あ、先輩。ちょっと鏡借りますよ」

「ん、机の上にあるやつを使ってくれ」

「うわ…ぁ、これはまた…」

「どうかしたのか?」

「いや別に、何でもないんでお気になさらず」

「そうか、ならいい」




 ゲームの攻略本や霧野が気に入っている絵師のイラスト本、学校で使っていると思われるノートや筆箱、教科書などが無造作に置かれた机の上にある鏡を手に取った狩屋はその鏡の裏に描かれた魔法少女ものと思われる女の子のイラストを見て、何とも言えない反応を見せた。だが、そんなことは今更どうこう言う話でもないと思った狩屋はこんな物を平然と店頭で買ったりしている霧野に対してある意味別の意味での尊敬を覚えたのだった。自分なら例えいくら好きだったとしても恥ずかしくて絶対に買えるはずがない。中性的なあの面で涼しい顔をしながらレジへと並ぶ霧野の姿を思い浮かべた狩屋は思わず笑いが込み上げてきてしまって仕方がなかった。以前、霧野と交際を始めた時に霧野の幼馴染みでもあり、親友でもある神童から色々と苦労することはあるだろうけど頑張ってくれよと、言われたのはきっとこのことだったのだろうと狩屋は改めて納得してしまった。何故なら普段、学校やプライベートなどで他人に自分が重度なオタクだということを隠している、否、霧野の性格上オタクなのかと聞かれれば隠しもせずそうだと言って返すのだが身なりからしてオタクらしさを一切感じられない霧野のことを誰もがオタクだとは思うはずもなく、勿論狩屋もその内の一人だったというわけで。付き合ってから初めて遊びにお邪魔した霧野の自室を見た時は心底言葉を失うしか他はなかった。その時、初めて知った霧野の趣味に面食らったのを狩屋は今もはっきりと覚えているし、たぶんあの時の感情はきっと一生忘れたりはしないだろう。それ程までに驚いたのだ。




「せんぱぁーい、もう目ぇ開けてもいいですよー」

「ん…、おおぉ…!!!?」




 鏡を見ながら不自然だと思える部分を一通り手直し終えた狩屋が霧野にそう言うと霧野は待ってました!と、言わんばかりに瞑っていた目を勢いよく開かせた。瞬間、長いこと目を瞑っていたせいか白熱灯の光がやけに目を刺激してきたのだが、それ以上に自身の目の前にいる恋人の姿に霧野は悶絶してしまいそうな衝動にかられると思わず言葉を失ってしまった。




「だ、…黙ってないで、何か言って下さいよ…っ!??そ、そんなに似合ってません、か…?」




 目を開けるや否や先程まであんなにも五月蝿かった霧野が何も言わなくなったのを変に勘違いした狩屋が恐る恐る問い掛けると霧野は不意に掛けられた声に自身の肩をビクリと反応させた。その様子はまるで今まで一人だと思っていた空間の中でいきなり第三者によって背後から声を掛けられた時の驚きかつ感情と酷く激似しているものだった。だが、未だに不安気な表情を見せる狩屋に霧野は満面の笑みを見せると妙に上擦った嬉々な声色で一言を放ったのだった。




「お前のこと写真に納めたいんだけど」


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