――厳密に言えば夢と現実の世界に境界線はなく、あなたが今現実と思っているものは夢であり、あなたが夢と思っているものが現実である。
 いつだったか遥か昔の記憶を巡らせれば狩屋の脳内にぽつりと思い浮かんだのは自分がまだ幼い頃の記憶で、その記憶とは自分と両親が仲紡がしく生活しているという所謂一般家庭の家ならば何処にでもあるようなごく自然でごく普通な思い出の内の一つであった。
 暇さえあれば大好きだった特撮ヒーローのごっこ遊びに付き合ってくれた父親は仕事が休みの日曜日になると、仕事で疲れているのにも関わらずそんな素振りも見せないで必ず何処かしら遊びに連れて行ってくれた。遊園地に連れて行ってもらった時なんて背丈の低い狩屋を父は軽々と自分の肩に乗せるとキラキラ光る電飾がふんだんに使われた遊園地限定オリジナルキャラクター達のパレードを必ず見させてくれたりしたものだ。パレードにはお決まりの付き物と言ってもいい程、もはや定番となっている華やかな雰囲気とやけに明るい音楽を狩屋は心の底から満喫し、楽しんだ。――マサキ、楽しいか?マサキ、次はあれに乗ろう。何だ、マサキはお化け屋敷が怖いのか?はは、そんな急いで食べなくても誰もお前のアイスを取ったりはしないよ。ほら、口の周りがベタベタじゃないか。マサキ、まさき、マサキ、まさきマサキ。
 何処か抜けている部分が目立ってしまう母親は狩屋が通っていた幼稚園のスモックや小学校の手提げ鞄、上履き袋などに狩屋マサキと名前を書くだけではなく、律儀にも兎や猫、熊といったキャラクター物のアップリケを必ず付けては狩屋にほぅら、可愛いでしょ。マサキの好きな猫さんよ。マサキの好きな熊さんよなんて、にこやかな笑顔を見せながら狩屋のことを毎度毎度泣かしていた。何故ならどうやらその当時から狩屋は妙なプライドがあったらしく、男の癖にそんな動物のアップリケは嫌だ嫌だと連呼すれば大好きな戦隊もののキャラクターがいいだの、缶バッジを付けたいだのと我が儘を言って母親を困らせていた。だが、母は母で狩屋のことを目に入れても痛くないと言ってもいい程、可愛がっていた為、可愛い息子には可愛い物を身に付けていてほしいと思っていたのだった。息子の願いを聞いてあげたいと思う反面、母は母なりに狩屋が駄々を捏ねるたび、苦笑いを浮かべることしか出来なかったのだ。そんなある日、母は古くなった給食袋を新しい物へと新調した際に狩屋が好きだと言っていた戦隊もののキャラクターが描かれたアップリケを付けてみたのだが、また
してもそれを見た狩屋に泣かれてしまったのだった。どうやら母が付けたキャラクターは主人公であるヒーローに悪さばかりをする敵の、所謂悪役キャラクターだったらしく幼い子供なら誰しも毛嫌うキャラクターの内の一人だったらしい。――お母さん、マサキが嫌いなキャラクターだって知らなかったのよ。ごめんね、ごめんね、マサキ。だからもう泣かないで。そうだ、今日はおやつにマサキが大好きなケーキを焼いてあげる。生クリームと苺が沢山乗ったケーキよ。お腹いっぱいそれを食べた後はお母さんと一緒に新しいアップリケを買いに行きましょうね。お母さんにマサキが好きなキャラクターを教えてちょうだい。ふふ、やっと泣き止んでくれたわね。マサキは笑顔がよく似合う子だからもう泣いたりしないで笑っていてちょうだい。お母さん、マサキの笑った顔が大好きよ。マサキ、まさきマサキ、まさきまさきマサキ。
 力強くて逞しく、優しい父親とおっちょこちょいな癖にいざという時は鋭い母親。そんな二人の元へ生を為した狩屋はある一件が起きるまでの間、不自由を感じることなく、幸せに幸せに暮らしていた。だが、そんな狩屋に不幸は突然やってきたのだ。父親の会社が倒産、そして多額の借金。そんな両親にまだ幼い狩屋を見ていく力なんてものはなく、当然狩屋を学校へ通わせる余裕さえもあるはずがなかった。仕方ないという簡単な言葉で済ましてしまうのは酷く不謹慎な気がしてならないが両親は悩み抜いた末に狩屋をおひさま園という養護施設へ預けることに決めたのだった。
 初めまして、狩屋くん。今日から此処が貴方の家よ。私のことは…、そうね、母親とまでは思わなくてもいいから姉のように思ってくれると嬉しいわ。さぁ、お友達を紹介するわね。此方へいらっしゃい。――大好きだった両親と別れ、狩屋がおひさま園に預けられた初日の日こと。自分のことを姉と思ってほしいと申し出てきた翡翠色の髪の女性は柔らかい笑みで狩屋に笑いかけると下を俯いている狩屋の手を引いて賑やかな笑い声が響く広場へと暗い顔をする狩屋を連れて行った。其処で紹介された自分と同じような年齢の子供達とすぐに打ち解けることは難しかったが瞳子の苦労の甲斐もあってか狩屋が雷門中学校へ転校する頃には何とか一言、二言の会話を交えれるまでには成長したのだった。
 そして、十三才の子供にしては中々波乱万丈な道を歩んできた狩屋にめでたくもつい最近恋人が出来たらしい。その恋人とは狩屋よりも一つ年上の先輩で名は霧野蘭丸という。霧野はその名の通り狩屋と同じ性を持つ男ではあったが、世間体はどうあれ狩屋は好きな人と結ばれたことに幸せを感じられずにはいられなかった。
 だが、いくら想いが通じ合っている恋仲とはいえ二人が男同士だということに違いはない。同性同士という壁は二人にとって非常に高く、他の、否、普通の恋人同士達のように思うように会話をしたり、スキンシップをとったりする行為は学校内や部活動の前後にとれたりするがないのだ。――仕方ないといえば仕方がない気もしなくはないが、狩屋はそれが不満でならなかった。どうしてもっと話したり、触れ合ったりすることが気軽に出来ないのだろう。折角、付き合っているのに。自分が女だったらよかったのに。狩屋は常にそのようなことを考えては溜め息を溢していた。




「あ、やっと出てきた。…もー、霧野先輩ってば着替えるの遅いですよ。俺、待ちくたびれちゃいました」




 次の試合に向けて激しい練習を終えた狩屋は一目散に部室へと戻ると急いで身支度を整え、神童や松風達と会話をしながら身支度を整えている霧野のことを待つ為に校門前へと足を走らせた。息を切らした霧野が待たせて悪かったなと、やって来たのは狩屋が校門前に着いて二十分程、経った頃だっただろうか。口先を尖らせて膨れっ面を見せる可愛い恋人に霧野は申し訳なさそうに微笑み掛けると乱れた呼吸を整えながらお詫びに何かお前の好きなものをご馳走してやるよと言って許しを請うた。そんな霧野に狩屋はまた子供扱いしてさー、でもまぁいいですよ。それで許してあげますと、言って小さく笑い返してみせる。普段思うように話せない分、狩屋にとって大好きな霧野とこうして二人で過ごすことの出来る時間は何よりも特別な時間だったりするわけで、その時間を過ごす為ならば狩屋は例え雨が降ろうと、雪が降ろうと、雷がなったとしても何時間でも霧野のことを待っていられるだろうし、それを苦だとはみじんにも思わないのだ。




「なぁ、狩屋」

「んー?」

「好きだよ」

「は…、え…?!あぁ…、はい、そりゃどうも…」

「狩屋は?」

「…そ、んなの、言わなくても…分かる、でしょ」

「駄目、分かんないから口で言って」

「〜…っ、好き、ですよ!俺も、先輩が…大好き、です…っ」




 霧野と二人っきりで帰宅出来ることが余程嬉しいのか酷くご機嫌な様子で小さく口笛を鳴らしていた狩屋に霧野が声を掛けると、思わぬ所で不意打ちをくらった狩屋は思わず自らの頬を耳まで赤く染め上げて赤くなった顔を霧野に見られぬよう、地面へと己の顔を俯かせたのだった。そしてそんな狩屋のことを霧野は愛しく思えば歯が浮くような愛の言葉をさらりと吐いてみせた。口角を妙に吊り上げて不敵な笑みを浮かべる霧野の表情が狩屋の羞恥心を更に煽らせる。あぁ、もう、どうしてこの人はたった一言で俺の不安を打ち消してしまうのだろうか。さっきまで悩んでた自分が馬鹿みたいじゃないか。なんて、自身の脳内で霧野に向けた屁理屈をいくら思い浮かべてみても最終的に辿り着くのはやっぱり俺はこの人が大好きなんだなぁという感情のみしか見当たってはくれず。男同士だとか年齢が違うとか性格の馬がたまに合わないだとか他にも色々な相性だったり、根本的な基準が合わない部分なども目立つけれど、それでも狩屋は柄ではないことは到底承知の上で不覚にも霧野との寄り添いあった幸せな未来を願ってしまったのだった。
 大好きだった両親と離れ離れになってしまったことは悲しいなんて言葉で済まされることではなかったけれど結局の所、あの一件があったからこそ今の自分にはあの頃の自分では想像もつかないような幸せを噛みしめられているのだと狩屋は霧野と出会って改めて、否、初めて思えるようになっていた。そして、あんなにも憎かった自分を捨てた両親に対する憎しみはいつの間にか消えかかる程までになっていたのだった。いつか自分がもう少しだけ大人になったらもう一度会ってみたい、そう思える程までに狩屋の心情は穏やかなものへと変化していたというわけで――…




 あなたは偏執病(パラノイア)という病気をご存知ですか?


 偏執病:精神病の一種で自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けているなどといった異常な妄想に囚われている人物のことを指す病気。
 強い妄想を抱いているという点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。

 症状:被害妄想‐挫折、侮辱、拒絶などへの過剰反応、他人への根強い猜疑心(さいぎしん)。自分は特別で何者かに監視、要注意人物と見られていると思う。
 誇大妄想‐超人、超越者、絶対者という存在へと発展する。
 激しい攻撃性‐誹謗中傷など。弱肉強食というような考えで弱者に対して攻撃的である。
 自己中心的性格‐自分が世界の中心ではという妄想で絶対者ではないかという妄想。
 異常な独占欲‐独占欲は多数から100パーセントに向かう。独裁者的な妄想を持つ。
 悪魔主義‐悪魔的なものに美しさを見る。




「先輩、先輩、…俺、幸せです。ねぇ、先輩、大好きだよ?」



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