■深緑
「髪、切ってくれないか」
次に行く街の道中の休憩中。勇者に突然こう言われたので、私は面食らった。
「いいけど、私そんなに手先器用じゃないし、他人の髪なんて切ったことないよ?」
「……別にそれでも良い」
長い緑の髪が揺れた。精悍な瞳に貫かれ、どぎまぎしてしまう。
利害が一致して以来、私は勇者一行として旅をしている。だけど実際、勇者のことは、少し苦手だ。
私に対して心を開いているのか、それとも閉ざしているのか、なんとなく掴めないから。こうやって、私に頼る素振りを見せることがあっても、私に感情を見せることは無い。いつも、勇者の表情は固まっているのだ。
「ええっと、馬車にハサミあったかな。クシって自分のもの使ってる?」
「特に……。そういえば旅をして以来、髪をとくことなんてなかったな」
「それでそんなにサラサラなの? 羨ましいな。……クシ、私が使ってるものでも良い?」
「別に構わない」
勇者が頷いたのを確認して、私は馬車に戻った。そして、ハサミを見つけ(マーニャのものらしい。有難く貸してもらうことにした)、自分のクシを取り出し、勇者のもとに戻った。
座っている勇者の後ろに回る。今からこの人の髪を切る、ということを考えると少し緊張した。
「じゃあ、髪、切るね。どれくらい切るの?」
「軽くなれば何でも良い」
どうでも良さそうに、彼は言った。だからと言って、人の髪をあまり適当に切るわけにもいかない。今の髪型を崩すことなく、いくらかばっさり切る、という加減だろうか。どう考えても、素人には難しいと思う。
「そっか。じゃあ、とりあえず髪をとかすね。良い?」
「ああ」
彼の髪に触れた。少し癖はあるものの、やはり滑らかな感覚がある。
本当にこんなに綺麗な髪を私が切っても良いのか? 戸惑いながらも、私は彼の髪をとかした。
髪をとかす習慣はない、と言っていたとは思えないくらい、あっさりとクシは彼の髪を通る。勇者は目を閉じ、どことなく心地良さげに見えた。
「いつもは髪、どうしてたの?」
「……シンシアに切ってもらっていた。村に居る時は、自分で髪をとかすこともあったんだがな」
「そっか……」
シンシア。彼の幼馴染の名だという。髪を切ってもらっている間、勇者と彼女はどんな会話をしていたのだろう。
そんなこと、わかるはずもなかった。
「切るね」
一通り髪をとかしたので、少しずつ、髪にハサミを入れた。勇者は相変わらず、目を閉じなすがままだ。
緑色の髪が少しずつ、ぱらりと地面に落ちて、草原の葉と同化していった。綺麗な髪が短くなっていくのは、なんだか勿体ない気がした。
「伸ばしてみても良いんじゃない、あなたの髪、すごく綺麗なのに」
「邪魔だし、伸ばしたくなんてないな。今のままが丁度良い」
思わず飛び出た言葉も、勇者にあっさり切られる。それもそうか、女ならともかく、男で長い髪は戦闘に邪魔か、と苦笑する。
「……それでもさ、やっぱり勿体ないよ」
手を動かしながらも、諦めきれなくて私は言う。緑の髪は、どんどん落ちる。
「ほら、貴方の髪って、緑色ですごく綺麗だし……。それにほら、勇者の髪って、伸ばして切って売ったら高く売れそうだよね。なんか魔力ありそうだし」
「案外俗っぽいんだな」
私の冗談に対し、勇者は呆れたように笑っ――え?
今、この人、笑った?
「それにさ、おまえ、俺の髪がキレイだのなんだの言うけど」
勇者は、あくまで一本調子に言った。そしてそのまま、言葉を続ける。
「おまえの髪の方が、よっぽど綺麗だと思うんだけど」
え。手の動きが思わず止まった。今この人、なんて言った?
動揺を悟られぬよう、もう一度手を動かす。だけど切るべき長い髪はもうなくなっていて、大体が短く揃えられていた。何と声をかければ良いのかわからず、私は少しの間、立ち尽くしていた。
「ん、終わったか」
「うん、まあ……」
勇者は立ち上がり、私の方を振り向いた。初めて他人の髪を切ったにしては、まあまあ良い出来だと思う。少なくとも、変な事故にはなっていない。
「そうか。良い感じに短くなってるな」
勇者は、満足そうに自分の髪を触った。そして勇者は、確かに微笑んだ。
「ありがとな」
勇者に礼を言われ、思わず口ごもる。勇者は踵を返し、馬車の方へ戻って行くので、私は慌ててこう言うしかなかった。
「どう、いたしまして」
だけど、私の頭は、別のことを考えていた。――勇者が今まで、あんな顔を私に見せたことはあっただろうか?
考えても、答えは出ない。ただ、自身の顔が赤くなっているような気がして、そして――
いけない、と私は頭を振った。そして、勇者たちがいる馬車の方へと戻る。
少しだけ、彼のことを掴めたような。そんな気がした。