■偽りの背徳感
「……今更だけどあなた、『Dio』って呼ばれることもあるのね」
「本当に今更だな」
戸籍上の義父は、そう言ってくつくつ笑った。そんな彼を見て、私は内心苛立つ。
「しょうがないじゃない、競馬になんて興味はなかったし、何よりあなたに興味なんてなかったんだから」
「フン? 今は興味があるってことか?」
「……茶化さないで」
はあ、とため息をついて新聞を畳んだ。その紙面には、競馬界の貴公子がレースで優勝を飾った、なんて書いてある。無性に腹が立って、私はそれを放り投げた。
「別に、今は興味があるなんて言ってないじゃない。興味があろうとなかろうと、『お義父さま』のことは知っておくべきでしょう?」
皮肉を込めて、男のことをそう呼んでみた。―――私とそう年齢の変わらない男に向けて、『お義父さま』と呼んだのは初めてだったかもしれない。
「『お義父さま』……か。年齢もそんなに変わらない君にそう呼ばれるなんて、なんだか奇妙な話だな」
「……実際、戸籍上、あなたは私の『義父』だもの。何もおかしくはないわ」
「ま、それもそうだな」
男はそう言ったと思ったら突然、ニヤリと口角を歪めた。そんな彼を見て、私は顔を顰める。
そして男は、少しだけ黙ったと思ったところで、ふと呟いた。
「―――でもオレは、君に『お義父さま』と呼ばれるより、『Dio』と呼ばれる方が嬉しいかな」
「……あなたのこと、そう呼んだことはないと思うんだけど」
「そうだったか?」
男は平然とこう言った後に、突然顔を近づけ、そしてそっと囁いた。耳元に彼の吐息がかかり、ビクリと反応してしまう。
「なあ、それならこのオレのことをそう呼んでみてくれよ。『Dio』ってな」
「……なんでよ」
眉根に力を込めると、彼は少し顔を離し、そして笑った。私はさらに眉根を寄せる。
「何故って? 君にそう呼ばれてみたいからさ。生憎、そう歳の変わらない女に『お義父さま』なんて呼ばれる趣味はないんでね」
「趣味も何も、実際『親子』であるのに何を言っているのよ。……Dio」
思わずそう言う。私が『Dio』と呼んでしまうと、彼は愉快そうに、そして満足そうに笑った。
「フン。『Dio』、か。確かに、君が言う『お義父さま』に比べたら悪くない響きだ。―――でもまあオレは、君には『ディエゴ』と呼ばれる方が好きかもな」
「……うるさい」
男から顔を背けると、彼はそっと手を私の頬に持ってきた。そして、強制的に彼と目を合わせることとなる。
「ほら、呼べよ。簡単だろ?」
彼が耳元でそっと囁く。甘い低音が胸に響き、不覚にもドキドキしてしまった。いけない、と私はそんな想いを振り払うように、数回深呼吸をする。そして仕返しとばかりに、私は彼にこう囁いてみた。
「……『愛してるわ、ディエゴ』」
「―――!」
流石のディエゴも目を見開く。平静を装ってはいるが、突然、偽りとはいえ愛を囁かれたため、かなり驚いたようだ。してやったわ、と内心ほくそ笑む。
「驚いた? 嘘に決まってるじゃない! この私が、『お義父さま』のことを愛してるなんて、言うと思う?」
「……君、段々強かな女になっていくよな」
参った、と言わんばかりに肩をすくめるディエゴを見て、そう? と私はただ笑ったのだった。