5.相性
「……ジュリオ? そんな名前、聞いたことないよ。そして、橋の上なんて、記憶を失ってからでも何回も行ったことあるし、いつ『ジュリオ』と会ってるかなんてわからない。会ってるかもしれないし、会ってないかもしれない」
私はこう答えた。
この言葉は本心だ。何も嘘は言っていない。……橋の上。『ジュリオ』と言う名の……恐らく、男。……心当たりが全くないわけでは、ないのだが。
私の返答を聞いたブチャラティは、暫し思案した後に、再び私に問いかけた。
「……そうか、なら率直に聞こう。君は……『橋の近くで誰かを殺さなかったか?』」
これは、私にとって『死刑宣告』に近いものであった。
突飛な質問。しかし、ビクッ、と自分の体が揺れたことを感じた。心当たりがありすぎる。……頭の中を駆け巡るは、あの日、気づいたら私の目の前で倒れていた男。私が、蹴飛ばして川に沈めた男。
……その男を、私が殺した(かもしれない)、とバレたのか? いいや、バレていない。まだ。大丈夫、大丈夫、大丈夫。
こんなところでバレて、警察行きなんて、まっぴらごめん。私はまだ、私が何者かをわかっていないのに。
「……知らない。人を殺したことなんてないよ……、記憶を失う前はあったかもしれないけど」
声が上ずっているかもしれない。私、演技は上手ではないのかも。変なこと口走ってしまったかもしれない、と後悔する。
「……そうか。失礼なことを聞いた」
ブチャラティはゆっくり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。冷や汗が滝のように流れてくるのを感じる。―――バレたか?
「いや、オレな……実は人が嘘をついているかどうかわかるんだよ……呼吸とか脈拍とか表情、特に汗なんかでな。舐めれば一発だ」
私から見て右側から、男は迫ってくる。この男が何を言っているのか瞬時に理解できないほど、頭が働かない。どうする。どうする。どうしよう、どうしよう、どうしよう。―――どうしよう。
こんなとき、『イン・シンク』が、助けてくれたら。お願い、助けて。
嗚呼、こんな都合の良いときだけ『彼女』を求めるなんて、よくないわね。
―――刹那。
ブオン
背中のあたりから、ずっと出てこなかった、全くいなかった『イン・シンク』が……出てきた。私の後ろから。出て、きた。やっと、出てきた! こいつがいれば、きっと、なんとかなるッ!
目の前の男三人が驚いているように見えるが構いやしない。その時の私は、自分にしか見えないはずの『イン・シンク』が、目の前の人たちに見えている素振りがあることについて警戒し、作戦を練り直す時間なんてなかった。
先手必勝。ただ、それだけだ。
記憶を、消して。そう念じただけで『彼女』には伝わったらしい。おかっぱ男は、既に青い『何か』を出していた。そこに面食らうより先に『彼女』は、どこからか矢を取り出し、三人に向けて放つ。
一瞬、静止。
その間に、彼らが今考えてることから私に関する『箱』を取り出し、『彼女』はそれを食べる。まるで、一瞬の出来事のかのように思われた。もし、私、そして『彼女』が一瞬でも遅かったらどうなったろう、と背筋が寒くなる。―――あの青い『何か』に一体私はどうされてしまいそうだったのだろう? それは、考えないことにした。
―――これで、ひとまず、大丈夫。彼らに対する恩を忘れたわけではないが……。捕まってしまうのは良くない。……いろいろと。
そして逃げる。彼らが正気に戻るその前に。折角記憶を消したのに知らない女が目の前に座っていたらおかしいでしょう?
「ご馳走さまでした。美味しかったよ。……ごめんなさい。まだ警察に行くわけにはいかないから。……死ぬわけにもいかないんだけど、ね……」
彼らが私を捕まえたとして、警察に渡されるはずなんてない、そう知ったのは随分後のことだった。
もっとも、警察に渡されるより酷いことになったかもしれないことを、その時の私は知りようもない。
そして、彼らが何故私を疑ったのか。私には何も、わからなかったのだった。
「―――あれ、ナランチャ。いつからそこにいたんです?」
「……変な事言うなよ、フーゴォ。オレはさっきからいたぞ? スープも飲んでたし」
「……まあいい。それよりフーゴ、ナランチャ、仕事だ」
「はい、わかりました―――」
レストランの外で彼らの会話を少しだけ聞いたところ、別に不信感を抱いているような素振りはない。――助けてくれたあの少年、ナランチャと言うのか。もう一人の少年、フーゴと言うのか。……まあ、今となってはどうでもいい話。
もう、ここから去ることにした。あーあ。これからどうしよう。『彼女』はいつの間にか消えて、やっと出せたのでもう一度出そうと思ったけど出せなかった。……また、食事の心配をしなければならないのね。何故『彼女』はあの時出てきて、今はもう出せないのか……不思議で、腹立たしい。
***
「……」
フーゴとブチャラティが仕事のことについて話し合っている時に、ナランチャは思案していた。
『アナタニダケハ助ケヲ求メマス』
『アナタト「名前」ハ「相性」ガ良サソウデス』
『オ願イデス。「名前」ヲ助ケテクダサイ』
『アナタノ記憶ハ貰イマセン』
『ソノ変ワリ、貧シク飢エタ、「名前」ヲ助ケテ。私ハモウ……、彼女に悪い事を、して欲しくないの』
そう、自分が連れてきた『彼女』にスタンド攻撃を受けたとき、確かにそう囁かれた。今のは何か、とブチャラティたちに聞こうとした時、彼らは言った。
「ナランチャ、いつからいたんだ?」
ナランチャは少し考え、理解した。彼らは、『彼女』に、一部記憶を盗られた、そういうことを。
「……最初からオレはここにいたぞ?」
そしてナランチャはこう言った。それは、誰も知らない決意の表れであった。
彼女をもう一度探し出して、話をしよう、そして助けようという、決意を。
***