32.見せかけの帰郷

 日本に着き飛行機から降りた私は、電車に乗り継ぎ、とある町に向かっていた。
 杜王町。どうやらその場所が、私の、『記憶を失う前の私』にとっての故郷らしい。

 外の景色を眺めながら、私はこの日本でやるべきことを整理していた。
 ギャングの仕事としては、今この国にいる、組織の裏切り者であるジュリオチームの最後の一人を始末することがある。
 しかしそれ以外にも、私にはやらなければならないことがある。
 まず、ジュリオチームの最後の一人を始末する前に、そいつからジュリオ自身の情報を引き出す。そうすれば、私が記憶を失った原因がわかるかもしれない。私は、あの男の死体の前で記憶を失っていたのだから。
 それから、私は自分の家に戻る。血の繋がっているであろう、記憶にない家族に会う。こうして、私は自分が何者なのかを知る。
 その上で私は、日本で暮らすべきか、イタリアに戻るべきか決めなくてはならないのだ。

 そして既に、記憶を失う前の私自身について判明している事実は、確かに存在している。私は息を吐き、懐からあるものを取り出した。
 それは、私の『学生手帳』だった。自分の荷物の中に入っていたのを、飛行機の中で発見したのだ。
 以前、ナランチャの家で見つけたことはあったが、中身を確認できていなかったものだ。今更のような話だが、このタイミングで初めて中身を確認したのは、逆に運命のように思えた。
 兎にも角にも、この学生手帳の中には、ぶどうが丘高校二年、と書いてあった。『苗字名前』という私の本名も、当たり前のように日本語で書かれている。
 そして当然――今から向かうべき、私の日本における住所も。
「…………」
 しかし、ジュリオチームの最後の一人を始末しないことにはどうにもならない。
 向こうも、私のことを狙っている。私の家族のことも。だから『私の家』に向かいつつ、ジュリオチームの最後の一人を探し出し、始末する。……家族が既に始末されているなどとは、あまり考えたくない。
 思わず、息を吐いた。既にイタリアのことを思い出しかけていたが、頭から振り払った。
 今は、余計なことを考える暇はない。ここで私は、自分の運命を決めるのだから。


「ここが、杜王町」
 駅に到着して、それから外に出る。とにかく、まずは自分の家に向かわなければ。
 そう思いながら辺りを見回した。
 その時だった。
「やっと見つけたわ、神殺しさん」
 神殺し? 突然背後からかけられた言葉――しかも、イタリア語だ――に、驚いて振り向く。
 私に対してそんなことを言うのは、ましてイタリア語で話しかけるのは、間違いない。
 ジュリオチームの、最後のひとりに決まっている――
「ふふっ。会いたかったわ、ナマエ・ミョウジ」
 そこには、明るい髪の女がいた。
 長く金色に輝く髪が、西洋的な顔立ちが、イタリア語で放たれる音声が。彼女の何もかもが、周囲から浮いて見えた。

「ジュリオチームの、最後の一人」
 探し出すべき相手が、まさかこんなに近くにいようとは、こんなに早く出会うことになろうとは。
 驚きつつも警戒しながら女の方を見つめると、彼女は嘲るような顔をした。
「そうね、その通りよ。あたしは、あんたが殺したジュリオの部下の一人、ファリーナ。あんたがここに来たってことは、あたしの仲間はあんたに報復することは失敗したみたいね」
 ファリーナと名乗った女の言葉に、あの男のことを思い出した。私のことを暗闇に引きずりこんで、仲間たちもろとも全滅させようとした男のことを。
「まあね、あの男は始末された、私の仲間に」
「ふん、それくらい予想していたわ。あいつ、頭も軽いし口も軽いヤツだったから。やめとけって言ったのに、勝手にあんたに向かっていった――まあ、あいつに勝ったあんたが、あんたの家族が狙われていることを知って、ここに来ることは織り込み済みだったわ。ふふ、だからあたし、あんたの家族にまだ報復していないのよ。このあたしが、あんたのことを直々に始末するのが、先だもの」
 どこか優しそうな声で言いつつ、ファリーナの目は冷たい。
 だが、私は不覚にも安心していた。私の家族が、まだ殺されていないことがわかったから。
 それは家族の身を案じると言うよりは、『記憶を失う前の私』の手がかりがなくなっていないことへの安堵感だったような気もした。

 ファリーナは私の心情など露知らず、冷徹な瞳で私を射抜く。
「だけどね。その前に、聞きたいこともあって。あなたがどうやってあの彼を殺したのか――聞きたいの」
 私は、彼女の言葉に困惑した。そんなことを聞かれるとは、思っていなかった。
「……どういうこと?」
「言葉の通りよォ。最初あたしたちは、あのジュリオを殺せたなんて、ボスくらい強大な存在の息でもあんじゃないかと思って『組織』を裏切ったっていうのに。まさか、あんたみたいなちっぽけな存在が、あのジュリオのことを殺せたなんてね。何か『裏』があるんでしょ? それしか考えられないわ。……答えなさいよ」
 あのジュリオの死について、答えるか、答えないか。
 ファリーナは私に、その二択を突きつけた。

 しかし私は、どうしても答えられなかった。答えないわけではない。……答えられないのだ。
「わからない」
 だから私は、率直に言った。
 ファリーナは、ぽかんとした間抜けな顔でこちらを凝視した。
「は?」
「私は、自分がどうしてあの場、あの男の前に立ち尽くしていたのか。わからない」
 だからもう一度言ったのに、彼女はただ、信じられないものを見るような顔をしてこちらを見る。しかし私も、これ以上のことを言うことはできない。私には、あの瞬間までの、記憶はないのだ。
「何を言ってるの? そのときの記憶がないなんて言わないでよ」
「まさに、その通りなんだけど」
 こう返答しても、ファリーナは淀んだ瞳を見せながら、しばらく黙り込んでしまうだけだった。
 しかし。

「ざっけんじゃあねーわよ、このアバズレ女! ジュリオに会った人間が、あの能力を前にして、『彼を忘れられるわけがない』わッ。それに、彼に勝てる人間がいるはずもない! この嘘つき、この卑怯者ォォ――ッ! ああ、もう、何も聞くことはない。いいわ、今すぐ殺してやるッ!」
 ファリーナは、突然爆発した。凝縮された殺意が、肌で感じられた。
「『イン・シンク』ッ」
 ファリーナが言っていることの意味は即座に理解できなかったが、確実にわかることはある――このままでは、まずい。本能的にそう感じた私は、なんとか自らのスタンドを出して対応する。
 『イン・シンク』の能力は、とにかく先手必勝だ。拳が当たりさえすればいい。
 幸いにも、ファリーナとの距離は近い。彼女に向けて拳を繰り出したとき、確実に当てられると確信していた。
 それなのに。
 すかっ、と『イン・シンク』の拳は、空気を殴っていた。
 手応えは全くなかった。どういうことなのかと、呆然としながら拳の先を見た。
 すると――

 ファリーナは少し離れた位置で――文字通り、浮遊していた。
「ざまあみやがれッ、ナマエ・ミョウジ!」
 そして、ファリーナは私を嘲笑う。
 露骨に挑発する態度を見せながら、殴れるもんなら殴ってみろと言わんばかりに、自分の能力を見せびらかした。
 それはまるで、手を伸ばしても届かない風船のように遠く、それでいてどこまでも軽い鳥のようだった。
「あたしの能力はねェェー、自分の重力を最小限にすること! 月面に着陸しているとき以上に、今のあたしは『軽い』ッ! 誰より素早く、誰より軽々、動くことができるの。拳で戦う相手との戦いで、このファリーナに弱点はないのよォッ」
 ファリーナは軽々と、目に見えないほど素早く動く。彼女は、何をどうやってもこちらの攻撃を避けるようだ。
 混乱した脳内で思考した。この状態で彼女に攻撃を当てるには、どうしたら良いのだろうかと。
 しかし、私が何か案を思いつく前に、ファリーナは嘲笑いながら――懐から、銃を取り出した。
「ふん、あんたがあたしに攻撃する方法はないわ。たとえあんたがあたしと同じように飛び道具を使おうと、それは当たらない。だけど、あたしの飛び道具はねェ、絶対に命中すんのよ!」
 そして彼女は、私に向かって銃口を向けた。
「さあ、ジュリオに誠心誠意心の底から懺悔して全力でひれ伏せながら――もがき死ねッ!」
 ――まずい。
 とにかく、今の私は『イン・シンク』で、私に向かう弾丸を弾き返すことしかできそうになかった。どれだけ乱射する気かはわからないが、多少は身体に命中することも、一瞬で覚悟した。
 自分の力を信じ、弾丸が放たれた瞬間に備え、『イン・シンク』を構えた。周りの空気が、ゆっくりになったように見える――
 ついに彼女が引き金を引かんとした、その時だった。

「『エコーズ ACT3』ッ!」
 それは、あまりに突然のことだった。知らない少年の声が、私たちの鼓膜を揺らす。
 その一瞬の後――ファリーナがドスッ、とものすごい音を立てて落下し、コンクリートの地面にめり込んだ。

 ――何が、起きた?
 私は、呆然としながら目の前の状況を眺めた。
 ファリーナが落ちた先のコンクリートに、ヒビが入っている。どう考えても、月より軽い重力の為せる技ではない。普通に地球上にいるより、何倍も重い重力が、彼女にのしかかっている。
「ぐッ!? お、重いッ! このあたしが、『重い』ですってェ――ッ」
 何が、何が起こった。私はゆっくりと、知らない少年の声が聞こえた方向へ、顔を向けた。
「S! H! I! T! ソノ『女』ノ身体ヲ重クシヤガリマシタ」
 そこには、見知らぬ少年と、彼のものと思わしき『スタンド』が――ファリーナに顔を向けて立っていた。

 少年は、ファリーナに向けて険しい顔をしている。
 ――スタンド使い? これは、この少年の能力か。とすれば、もしかして、私のことを助けてくれたのだろうか? ……何故?
「クソ、クソ、このあたしが、『重い』、なんて……」
 その言葉を最後に、ファリーナは一度、気絶したようだった。彼女の手から離れた銃を見て、今更のように自分が無傷であることに気がついた。
 気絶した彼女のことを見て、少年は息を吐く。それから、その少年は私の方に顔を向け、心配そうな表情を見せてきた。
「名前さん、えっと、これはどういう状況なんです?」
 そして少年は、私にこう聞いてきた。少年は確かに、私の名を呼んでいた。日本語で、私の日本名を。
 ここで私は、私のことを助けてくれたのは、私のことを知っていると思わしき少年だったということを確信した。
 ――本当にここは、私が、『記憶を失う前の私』が住んでいた土地なのだ。
 それを実感して感じたのは、安堵というより、どこか不気味な感覚だったが。

「とりあえずは、助けてくれてありがとう。でもまずは、この女をどうにかしないと」
 そうだ。この少年に感謝するのはもちろんだが、まずはそれより先に、この女から『ジュリオ』についての情報を引き出さなければ。その上で、この女を始末しなければ。本来の目的を思い出し、私は身を引き締める。
「それも、そうですね。今は気を失っているけど……名前さんは、この人をどうする気なんですか?」
 何も知らない少年の質問に、私は少しだけ考えてから答えた。
 否、質問の答えにはなっていない。無茶な要望ともとれるかもしれない。だけど、今の私には、こうするしか思いつかなった。
「……君。悪いけど、この女のこと、しばらく押さえつけておいてくれない? ちょっと、こいつに用があるの。ちょっとの間でいいから」
「えっと、わかりました」
 少年はどこか腑に落ちないようであったが、さっき私がこの女に襲われていたのを見たためか、特に何も言わずにファリーナのことを『重く』し続けてくれた。

「な、にする気なのよ、ナマエ・ミョウジ」
 そこでファリーナは気がついたようで、抵抗しようとあがく。
 しかし、少年の能力で『重く』なってしまっている彼女は、身動きすらとれそうになかった。
「悪いけど、私は真実を知りたいの。ジュリオ自身のことも、あなたが絶対に勝てるはずのないと言っていた、『ジュリオの能力』も。それを知れば、私は自分が記憶を失った原因を、知ることができるかもしれないから」
「何を、言って」
 その瞬間、『イン・シンク』はファリーナのことをその拳で殴りつけた。
 私がファリーナに対してジュリオのことを質問したため、彼女の脳内は否が応でもジュリオのことで埋め尽くされたことだろう。それを狙って、ファリーナの脳内から、『ジュリオ』に関する記憶を、文字通り引きずり出した。
 そして、彼女が知る『ジュリオ』の記憶が、私の目の前に広がっていった。

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