2.盗め!
「やれやれ」
どうしようもないから、お店の片っぱしからちょっとずつお金を盗み、素早く立ち去る。――正直盗みなんてやりたくないが、仕方がない。飢えたくはないし。
『私の命』と、盗みによって痛む『私の良心』。どちらが私にとって大切なことか? それは紛うことなく『私の命』の方であろう。私は、自分が何者なのかをわからないままに死にたくなんて、ない。まあ私が自分のことを知っていたとしても、自分の命を選んだことであろう。『死にたくない』と思うのがそんなに悪いことなのか? そんなわけ、ない。皆、生きたいと思う気持ちは共通するだろう。だから、私はお金を盗む。躊躇いなく。
「これください」
そして私は、その盗んだお金を使い、何食わぬ顔でパンを買うのだ。日本人である私が何故イタリア語を話せるか、それはわからない。イタリア語を読むこともできる。イタリアにもともと住んでいたのだろうか? でもそれにしてはしっかり日本語と使い分けることもできる。不思議だ。
とりあえず警察にでも行けばなんとかなるのでは、最初はそう思った。だが、すぐに気づいた。下手したらあの男を殺したのが私だ、ということになるかもしれない。そんなこと、あってはならない。実際に誰が殺したのか、それはきっと『記憶を失う前の私』と『もうひとりの私』以外に知るものはいないのだ。
でも、少し思う。ここまで盗んできたからにはもう遅いのだけれど……、最初に、警察に行っていれば私はもっと真っ当な人生を送れたのかも、なんて。もう遅いのだけれど。
ところで、私は盗みをはたらく時、人に見られることがよくある。人に見られなかったとしても、危ない時もある。そういう時はどうするか? 問の答えは簡単である。『イン・シンク』を使うのだ。何度か試してみてようやくわかったのだが、『イン・シンク』はどうやら普通の人には見えないらしい。店員から記憶を奪えば、私はひとまず安心できる。時には『イン・シンク』を使って盗むこともある。少しづつ盗むからそれぞれの店の勘定違いということになるだろうし、目撃情報も出ないだろうから私に足がつくこともない。嗚呼、なんて便利な能力なのだろう!
「これで一泊くらい宿はとれるかな」
少しづつ盗んだお金を見て呟いた。もともと持っていたカバン、その中にあったお財布の中からお金を出す。中身を何度か確認したあと、ホテルを探して走った。
暫くは毎日こんなことをしなきゃならないのかもしれない。なかなか厳しい話である。これでも罪悪感がないわけではない。『イン・シンク』を使うのは結構めんどくさい。疲れる。というのも、時折見せる『イン・シンク』の顔が、私を責め立てているようで気に入らないのだ。彼女に感情はないはずなのに。
「これからどうしよっかなぁ、どうしようもないなぁ」
なんとかとったホテルの中で、独りごちた私の言葉を聞いた『イン・シンク』はただ、悲しげにこちらを見ていた。
別にいいじゃない、私が死ぬほうが良いとでも言いたいわけ?
『彼女』にそう言うのは、やめておいた。