28.私の征く道
次の日。午前中は家で、のんびりナランチャと話をしながら過ごしていた。
この調子で、一日中ナランチャと穏やかな時間を共に過ごせるのだろうと、ぼんやり思っていたし、私自身それを望んでいたのだが――実のところ、そうもいかなかったのが現状だった。
午後になって、私はフーゴに呼び出されていた。
何でも、日本での『仕事』の計画の再確認だそうだ。ブチャラティは今日別の仕事があるため、フーゴに頼んだらしい。
といっても、大した話でもなかった。重要なことは、大方昨日のうちに既に伝えられていたように思う。
フーゴと長く話せるのも、これで最後なのだろうか。
そう思いながら私は、彼の説明を聞いていた。そのように思うと、少々寂しくなるような気持ちもあった。
フーゴは私に、淡々と一通りの説明をした。そしてその後に、次のように言ってみせた。
「再確認です。今ぼくが言ったことを、繰り返して言ってみてください。あなたは日本に着いたら、何をしますか」
「ええと、ジュリオチームの最後の一人を探して始末する。おそらく、そいつは私の家まで割り出してはいないから、まずは空港付近を探索する。ただ、その人が日本に行ってからもう日が経っているから、私の家族の家を割り出している可能性も考える。私は自分の家を探し出す。向こうも私を探しているだろうし、そいつに遭遇しだい始末する。……こんな感じだったかな」
「ちゃんと覚えましたか。さすがに、ナランチャとは違いますね」
彼は何気なく言ったが、その言い方に私は、思わずムッとなってしまった。
「ナランチャが馬鹿って言いたいんですか? ナランチャのこと、馬鹿にしないで」
「……そういうところは、ナランチャに似てますかね」
そうだろうか。音楽など、ナランチャに影響を受けた部分は多いけれど、あまり性格面は私に似ているとも思えないけれど。
彼はただ、皮肉を言っただけなのかもしれない。それはそれでナランチャのことを馬鹿にされたようで腹が立つ話ではあったが、あんまりしつこく言うのも良くないかと思って、やめておくことにした。
「あと、飛行機に乗る時刻は――」
フーゴはそんな私のことなんて気にもとめず、素知らぬ顔で私の手に航空券を渡した。
私はそれを手にとって、まじまじと眺めてみる。その航空券には、出発時刻などが書かれてあった。
「なるほど。明日の昼頃に出発して、日本に到着するのは日本時間で朝になるんだ」
それにしても、国外へのチケットをとるなんてもっと時間が必要なものだと思っていたのだけど、一日二日で手に入れることができるものなのだろうか。
こんな芸当をできるのは私たちがギャング組織に属しているからだろうか。そう考えると、少し恐ろしい。裏切り者を追うために、そこまでするものなのだろうか――
「ええ。時差ボケのことを考えて、今日はあまり寝ない方が良いかと。飛行機には何時間も乗ります。飛行機の中で寝ておくのがいいでしょうね」
「ふうん」
それにしても、飛行機に乗るという感覚は、いったいどんな感じなのだろうか。
日本からこの国にやってきたときに飛行機に乗ってきたはずだが、そのときの記憶は、もちろんない。
そのため、初めての体験に少しだけ緊張した。それ以外にも、多くの感情が私の中に渦巻いていく――
「さて。ぼくからは、こんな感じです。……それと、ナマエ。ナランチャから、伝言を受け取っています」
説明を終えたフーゴは、息を吐いた。そして、私にとって少し意外なことを伝える。
「伝言? ナランチャから?」
不思議に思って聞き返すと、フーゴは頷いて、説明を加える。
「ええ。確か、ここの近くの公園に来てくれ、とか言っていました」
「……わかりました、伝えてくれてありがとう」
どうしたのだろう。ナランチャに、何かあったのだろうか。
疑問に思いつつも、結局は彼に会ってみないことには、何もわからない。私は、彼に急いで会いにいくことに決めた。
そして私は、フーゴに今日の礼と別れの挨拶を言い、その場を立ち去ろうとした。
そのつもりだった。
「ナマエ」
だが――意外なことに、フーゴの方から呼び止められた。まさか、彼に呼び止められることがあるとは思っていなかった。
そして、彼は私に、さらに意外な言葉をかけた。
「一応言っておきますけど。ブチャラティはあんたに、故郷で平和に暮らしてほしいだけですよ。できれば、人殺しもさせたくないはずだ」
フーゴから、こんなに率直に、この件に触れられるとは思っていなかった。
私はしばらく思考を止めて、彼の瞳を見つめ返してしまった。彼の瞳は、あくまで真剣に光っていた。
ああ、わかっている。わかっているつもりだ――ブチャラティは、私を日本に帰したいのだ。それはおそらく、純粋な彼の優しさから。
しかし、私はそれを知った上で、フーゴに聞いた。
「……でも、私がいなくなったら、ブチャラティもいろいろと大変なんじゃ?」
これは、ブチャラティ本人にも、ナランチャにも言えないことであった。
突如ギャング入りした、身元不明の女。そんな女が仕事のために海外へ飛び出し、表向き、行方知れずとなる。
そんなことが起これば、チームメンバーにも、組織にも、何かしらの影響はあるだろう。特に、上司のブチャラティ、チームメンバーのフーゴ、ナランチャには、何かしら迷惑はかかるはずだ。
それでも彼らは、私が故郷に帰れるならそれでいいと言っている。
彼らに甘えてしまっても良いものかと疑問に思うくらい、彼らには優しい面がある。
迷っている私の心を見透かしてか、フーゴは、諭すように言った。
「それは君が気にすることじゃない。……ブチャラティなら、そう言うでしょうね」
そしてフーゴは、言葉を続ける。私の心を揺さぶるように。
「ともかく、こちらとしては最後の一人を無事に始末さえしてくれればいい話です。……その後のことは、君の好きにすればいい」
好きにすればいい。彼が言ったその言葉が、やけに頭に残った。
日本に行って二度とこの国に戻ってくるなとも、逆にこの国に戻ってギャング組織に残れとも、彼は言わなかった。少なくともフーゴは、あくまで私の意志に委ねようとしているのだ。
それをどう受け止めるべきなのだろう。自分の道がよくわからなくなってしまって、目を伏せた。