9.私のヒーロー
「じゃあ、オレはアポを取ってくる。暫く時間はかかるかもしれねーが……、まあ、待ってろ」
「……アポ?」
私が聞くと、ナランチャは答える。
「そうだ、幹部のポルポに紹介してやるよ……。運がよけりゃ今日中にでもできるかもしれねーが……まだ無理しない方がいいか?」
私は頷いた。もう少し体力が戻ってきてから入社試験(?)を受けた方がいいかもしれない。
「それなら、明日アポを取りに行くよ……今日はいいや。あー、暇だなァー……」
「……ねえ、ナランチャさん」
ん? と振り向く彼。私は意を決して尋ねた。
「もう一度聞くけど……、なんで私を助けてくれたの? 最初も、そして今回も。『イン・シンク』に頼まれたからといって、私に対してそこまでしてくれる理由は、ないはずなのに」
そう言うと、少しキョトンとした後に、ナランチャ自身も首を傾げた。
「ん〜〜、なんでかなァ……。ほら、アレだよ! 君はオレとおんなじ感じがしたと言うか、どうしようもなく助けたくなってしまったというか……。あぁー、もう! 上手く言えねえ!」
おんなじ感じ、という言葉に今度は私も首を傾げた。ナランチャも私と同じ境遇になったことがあるとでも言いたいのだろうか?
「そ、それよりさ! ナマエ、君、どこ出身とか覚えてねーの? というか、君のことを聞いてもいいか? わかる範囲でいいから」
「私自身の、こと……」
ナランチャに聞かれ、私は話した。
自らの名前、年齢(この時ナランチャは年上かよォ!? と驚いていた。ナランチャは十六歳で、私の一個下みたいだ。だが私は年下に見られていたらしい)。多分日本人だけどイタリア語も日本語もそつなく話すことができること。
「なあ、……ナマエ。日本人は名字と名前が逆だって言うけど、本当なんだな」
「? うん、そうだね。でも、郷に入っては郷に従え……これから、ナマエ・ミョウジって名乗ろうかな」
ここから先を言うことは少し躊躇ったが、ナランチャなら大丈夫だろう、と、いろいろと話した。一番最初の記憶は、気がついたら人が死んでいたということ。『イン・シンク』のこと。初めは盗みをはたらいていたが限界が来て、ゴミ箱を漁っていたこと。ナランチャたちに助けられたこと。それから逃げてきて、気づいたら倒れていたこと……。
「……これくらい。私は私がなんにもわからない。年齢だって本当にこれで合っているかもわからない。名前だって……。私、自分の誕生日もわからないし、そもそも今は何年の何月何日かもわからないの」
話していて、本当に私はなにも知らないんだな、と自嘲した。
「一九九九年だ」
「え?」
「一九九九年九月三日、金曜日。それが今日の日付だ。別によォ〜〜知らないことが多くたっていいだろ? 今から知ってけばいいんだからよォ〜〜。焦ることはないんじゃあねーか? オレだって……」
その続きの言葉は聞けなかった。
「ナランチャ、さん……」
何か声をかけようとしたところで、彼に遮られる。
「そのよォ〜、ナマエ。『さん』付けやめねーか? 悪い気はしねーけどよ、オレと君は対等だ。それに、ブチャラティ……オレの上司だってみんなをそう呼ぶし、オレだってブチャラティをそう呼ぶ」
ナランチャ、と呼び捨てで呟いてみる。呼べないことはない。
「ナランチャ……に、とって、ブチャラティは大切な人、なの? さっきから、よく話が出てくる」
「……もちろん! 彼はオレの、ヒーローなんだ!」
そして彼は語りだした。フーゴが見つけてくれて、ブチャラティに救われたこと。父親も教師も憂さ晴らしのためにしか彼を怒らないのに、ブチャラティは何の得もないのに叱ってくれたこと……。
……ナランチャも、もともと浮浪児だったのか。だから、私に共感して助けてくれた? さっき言ってた意味は、そういうことなのだろうか。
「ブチャラティはオレの、ナランチャ・ギルガのヒーローなんだ。それは、変わらない。君を助けたのは……もしかしたら、オレも誰かのヒーローになりたかったから、なのかな」
ふーん、と相槌を打つ。気づいたら、口からこんな言葉が走り出していた。
「私にとっての……『ナマエ・ミョウジ』にとってのヒーローは、あなただよ、ナランチャ・ギルガ」
それは、私の心にあった紛れもない本心であった。
ナランチャは少し、照れくさそうに笑った。