■変わらないもの
「シオバナ、ハルノ……」
「……その名前ではあまり呼ばないでくれないか」
「ああ、ごめんね」
汐華初流乃。それがジョルノと呼ばれている、同級生の少年の本名。
以前日本に住んでいた私からすると、可愛い名前だな、なんて思ってしまうけど。
「嫌いなの? ハルノって呼ばれるの」
「嫌いというか……慣れないんだ。昔から、ジョルノと呼ばれることの方が多かった」
母親は? とは聞けなかった。母親から呼ばれることすらあまりないのかもしれない。
「でも……不思議ね。黒髪から、いきなり金髪になるなんて」
話を変えるように私は言う。実際私は、学校の休み時間中、人気の少ないベンチに座っていたジョルノに、この件を聞くために話しかけたのだ。
今のジョルノは、金色の髪を下ろしている。無造作に流れていて美しい。前までは黒く短い髪だったが、いつの間にか伸びて、金色に輝いていた。
以前私は、黒髪で半分日本人の血が混じっているジョルノに親近感を持って、彼に話しかけるようになった。あんまりうるさくしなければ、ジョルノは私を遠ざけはしなかった。私に他に友達がいないのが幸いしたのかもしれない。彼は、周りが騒がしいことを嫌うから。
金髪になったら雰囲気がすごく変わる。金髪になったことで彼のファンがジョルノの周りでよく騒いでいて、私は最近、なかなか彼に近付けなかった。
金髪になったジョルノは、日本の血が混じっているとは思えない。彼の本名が汐華初流乃と言っても、最初に違和感が出てきてしまうくらいに。
「……これは、遺伝だよ。エジプトで死んだ、ぼくの父親の……。髪も急に伸びたんだ」
「ふうん……?」
彼の父親が日本人でないことは知っているが、だからといって、突然金髪になるだろうか? しかも、急に伸びるなんて。
不思議に思っていると、ジョルノはおもむろに財布からあるものを取り出した――ブロマイドだ。それを、私に見せてくれる。
「……昔、母から渡された父のブロマイドだ。今までぼくは、彼と本当に血が繋がっているのだろうかと思いたくなることもあった。星型のアザがあるから、父の遺伝なのだろうとは思っていたが」
その写真を見る。ジョルノの父親の写真には……名前が、書いてある。
「……ディオ・ブランドー? じゃあジョルノって、ジョルノ・ブランドーなの?」
「かもね。だが、母は父と結婚しなかった」
私はDIOという男のブロマイドをまじまじと見る。それから、ジョルノのことを見つめた。超越した雰囲気のある、金髪の美しい男……。
……似ていると思う。顔があまりはっきりと見える写真ではないし、顔立ちがそこまで似ているとも思わないが。だが、何か――金髪だけだなく、魂の姿のようなものが似ているのではないかと、そう思った。
「こうも長いと、少し邪魔なんだけどね。だが、短く切ってみてもまたすぐ伸びてしまう」
ジョルノは写真をしまい、ため息をついた。確かに、今まで短い髪に慣れていたのに、急に伸びたら邪魔かもしれない。前髪も伸びて、顔に垂れている。
「それ、ちょっと怖くない?」
「そうかな。そんなものなのかもしれないと、ぼくは思っているよ」
ジョルノは何気ない様子で言う。自分の体質について思い悩んでいるわけではないらしい。
「ねえジョルノ。切っても伸びてきちゃうなら、結んだらどうかな? 後ろに一本で三つ編みにするとか……どう?」
私が思い切って言うと、彼は一瞬、きょとんとした顔を見せた。その後、小さく微笑んで、こう言ったのだった。
「なら、ナマエ――君が、ぼくの髪を結んでくれないか?」
「私が?」
今度は私が目を丸くする番だった。今、ジョルノの髪について考えていたけど、触れることなんて、考えていなかった。
だけど、ジョルノがそう言うのなら。彼の髪に触れてみたいと思ってしまったことも、事実だった。
だから私は、そっと頷いた。ジョルノはそんな私を安心させるように、柔らかく微笑んだ。
「ジョルノの髪、さらさらだね……」
櫛を入れてみるが、櫛を入れる必要も感じないほど通りが良い。こうしてジョルノの髪に触れたことなんて初めてだから、やけに緊張した。
彼の後ろ髪をひとつにまとめて、三つに髪の毛の束を作り、編み込んでいく。痛くならないように引っ張りすぎないで、だが編み込みが緩くなりすぎないように。
無言で、ちらっとジョルノの様子を窺った。目を瞑り、されるがままになっている。意識しすぎるとさらに緊張してしまいそうだったので、私は、手早く三つ編みを完成させて、そして結んだ。
「はい、完成! ……どうかな?」
するとジョルノは目を開けた。そして、どこか機嫌が良さそうに、結った三つ編みに触れた。
「グラッツェ、ナマエ。さっぱりしたよ、爽やかな気分で過ごせそうだ。……明日からは、前髪もセットしようかな」
「うん。素敵だと思う」
どうやらお気に召したらしい。彼は爽やかに微笑んで、こちらを見る。
良かった、と思いながら、私は改めてジョルノの顔を見た。
金髪になって伸びた髪を、ひとつの三つ編みにしている。たったそれだけなのに、前とは随分雰囲気が変わった。
……まるで、私の知らない人みたいだ。
「ねえ、ジョルノ。あなたが汐華初流乃でも、イタリア人でも、日本人でも、……ジョルノは、ジョルノだよね?」
急に怖くなった。雰囲気が変わって、違う人みたいで。これからもっと変わっていって、ジョルノがどこかに行ってしまうのではないかと。
いつか彼が、私の知るジョルノでなくなってしまうのではないかと。私は急に、そう思ったのだ。
そんな私に――ジョルノは、静かにこう言った。
「……そうだ。ぼくはジョルノ・ジョバァーナだ……このジョルノ・ジョバァーナには、夢がある」
「夢?」
「そう、夢だ。その夢が叶うとき……ナマエ。君が、今までと同じように、ぼくの近くにいるとは限らないけど」
ある意味、私の不安が的中するような言葉だった。夢という言葉の具体的な説明はなかったために、不安はさらに増幅される。
私はため息をついた。いつかそんな日が来たとき、私はどうするのか、それは分からない。それでも、言っておきたいことはあった。
「……それでも私は、ジョルノと一緒にいたいけどね。友達、だから」
「…………」
ジョルノは少々表情を固くした。何か悪いことを言っただろうか。
不思議に思っていると、彼は、そっと囁くように言った。
「ナマエ。いつか、ぼくが夢を叶えたとき――君にはもう一度、会いに来るよ。その時、君が決めればいい。ぼくらが友達であり続けるか、そうでないかは」
それはまるで、誓いのようだったけれど、その時の私には、何も答えられなかった。
――それから、数ヶ月後。
「ギャング・スター……?」
「はい、そうです」
「……なんで、そんなに畏まった話し方をしているの?」
「ギャングのボスですから。『お客さん』相手には、畏まる必要があるんですよ」
そして、彼は肩をすくめる。私はその言葉に、ただ、唖然としていた。
金の髪。セットされた前髪。後ろにひとつに結んだ三つ編み。学校で見慣れているはずのジョルノの姿が、やけに遠い人のように感じた。
ジョルノに呼び出された私は、とある場所にいた。質素な普通の家、だがどこか物々しく感じるのはジョルノがいるからか。ギャング所有の建物、とのことだったが。
「学校では伏せていますが、ナマエにはお世話になりましたから。伝えておこうと思いまして」
学校に行っているのにギャングのボスもやっているのか。……意味が分からない。分からないけど、彼が以前言っていた「夢」とはこのことなんだろうなと、そう思った。
「……いつかこんな日が来るんじゃないかって、思ってたよ」
そして、ため息。最近はあまりジョルノと学校でも話していなかったこともあって、遠い人のように感じるし、誰か私の知らない人のようにも感じる。そう思ってしまうことは、事実である。
だけど、ジョルノはジョルノだ。そう思う気持ちも、変わらずにあった。
影を身に纏いながらも、黄金のような。ジョルノは、夢を叶えた。それだけは分かった。
「さて、ナマエ。ぼくがギャングのボスだったとしても、あなたは、ぼくの友達でいますか?」
「……えっ?」
そう優雅に微笑む彼に、何の話だ、と一瞬思ったが、すぐに思い直す。確かに、前にその話をした。ジョルノが夢を叶えたとき、私は彼の近くにいるか否かという話を。
少しだけ考えて、私は、答えを出した。
「ギャングのボスだろうと、ジョルノはジョルノだよ。私は、ジョルノと友達でいたい」
私にとって、ジョルノはジョルノ。日本人だろうとイタリア人だろうと、黒髪だろうと金髪だろうと、学生だろうとギャングのボスだろうと。
以前、私は不安だったけど――ジョルノが、私の知らない人にならないかと。
だけど、こうして対峙してみて分かった。不安になる必要なんてなかったって。
私たちはきっと、これからも変わらずにいられるんだって。
「……そうですか。ですがぼくは、あなたと友達でいたいとは思っていません」
「えっ」
だけど、ジョルノはこんなことを言う。彼のその言葉に、思わず固まってしまった。
……流石にショックだ。私は、ジョルノとこれからも変わらずに一緒にいられると思ったのに。それは勘違いで、結局、私が抱いていた不安の方が正しかったとでも言うのか?
呆然としていると、ジョルノは、私に手を伸ばした。そして――彼は私の頬に、優しく優しく触れた。
「何か勘違いしていませんか? ……友達では物足りない、ってことさ」
「……えっ?」
再び固まってしまう。理解が追いつかない。
そして、彼の言葉の意味を理解した瞬間――急に、顔に熱が集まったことを感じた。
「わ、私は……」
ジョルノの真っ直ぐな瞳が私を射抜く。前から変わらない、希望に満ちた瞳。痛いほど見つめられ、私は、自然とこう答えていた。
「ジョルノと一緒にいられるなら、それが、いい……」
そして、目を閉じる。全てに身を委ねるように。
永遠のように思える数秒の後、やがて、唇にジョルノのことを感じた。
こんなにジョルノのことを近くに感じることは初めてだなと、そう思った。
「ジョルノ・ジョバァーナ。……汐華、初流乃」
「……なんだい? ナマエ」
金の髪。黄金のような少年。ギャングのボス。夢見心地のようで、だけど、確かな現実だ。
「決めたよ。ジョルノの隣にいること。だからまた、その髪を結んでみてもいい?」
「……ナマエになら、喜んで。むしろ、お願いしたいくらいだ」
そして、私たちは見つめ合いながら微笑む。
風のような、爽やかな空気が、辺りに舞っていた。
まるで、私たちを祝福するように。