■腐れ縁のその先に

※夢主の手癖が悪い / 五十万リラ=約三万円

「いいか、ナマエ。五十万リラだ。誰がどう見ても、五十万リラだった。これに『違うね』なんて言い出すやつがいたら、『おまえの目、イカれてんじゃあねーか!』って言いたくなるくらいに、オレの財布には確かに五十万リラあったんだ」
 ちらり、と私は、ここの部屋の主でありその声の主であるミスタの方を見る。ミスタは自分の財布片手に、叫ぶようにこう言っていた。
「だが、何の真似だよォ――これはッ! なんで、オレの財布の中が、千リラぽっちしか無いんだよォ!?」
 そしてミスタは私に財布の中身を見せる。……確かに全然ない。これじゃあ、お昼ご飯も食べられないじゃないか。

「あーあ……スられたんじゃないの? ご愁傷様」
 そして、私は笑う。その額が急に手元からなくなったのは多少痛いかもしれないが、まあなんとかなるだろう。ドンマイ、ってやつである。
「クソー……このオレとあろうものが、スリにスられたなんて、笑い話にもならねーぜ」
 ちくしょう、とぶつくさ言っているミスタを、私は、あくまで何気ない調子で見る。
 ……この調子なら気づいていないだろうか? 誤魔化せるかな……。そう思っていたのが、甘かったか。
 ミスタはふと、こちらに向き直り、至って冷静な口調で、こんなことを言い始めた。
「……で? ナマエ。オメーが潔白だと言うつもりなら、財布の中身見せてみろよ。それか……そのカバンの中、とか」

 少しの沈黙。探り合うように視線を絡ませ合う。ミスタの瞳は、今にでも、私の持つお金を射抜いてしまいそうだ。
 そして私は、降参するように手を上げた。
「あは……バレたか。ちょっとだけ借りて、後で返すつもりだったんだけどなー」
 そう。ミスタの財布からお金をくすねたのは、この私の仕業である。五十万リラ。気付かれることを前提にして盗ってカバンの中に入れたのだが、もし彼が気付かないようなら、そのまま失敬するつもりだった。
「ごちゃごちゃ言わねーで返せッ! 警察には突き出さないでおいてやるからよッ」
「警察なんて。それこそ笑い話だよ」
 言われた通りに五十万リラを返しつつも、私は、その人の名を呼んだ。
「でしょ? ギャングの幹部の、グイード・ミスタさん」
 いつも陽気なミスタの瞳が、ふと、冷たくなったような気がした。


 ギャングの幹部の、腐れ縁。
 私は、ミスタがギャングになる前から付き合いがある。ミスタが殺人容疑で警察に捕まり、ギャングとなって塀の外に出てきても、ギャングの下っ端からいつの間にか幹部になっても、私たちの関係は変わらなかった。
 私にとってミスタは、ただの遊び仲間だ。彼がギャングだろうとそうでなくても。お互いの家でだらけたり、たまに映画を観に行ったりするだけの。
 それはきっと、これからも変わらないのだろうと。私はそう信じている。信じているからこそ、私は、ギャングの幹部からお金をくすねてみたりするのだ。
 ミスタは私を、殺そうと思えばいつでも殺せる。ギャングの幹部からお金をくすねるなんて、即刻殺されても文句は言えない。それでもミスタが私を殺さないのは、私たちの関係が変わらないからだと。私はそれを、証明したかったのかもしれない。
 ……まあ、ミスタがギャングになる前からたまにこういうやり取りはしていたので、単に私の手癖が悪いだけなのかもしれないけど。


「ったくよォー。ナマエ、おまえ、その手癖の悪さ、なんとかした方がいいぜ」
「ミスタ以外から盗む……じゃなくて、借りることなんてないから大丈夫だよ」
「大丈夫じゃあねェーッ! それは盗むって言うんだよ、オメーよォッ」
 あはは、と笑う。笑い事じゃないのかもしれないけど。でも、ミスタがいつも通りで安心した。
 ミスタは最近、一週間程度家を空けていたけど、戻ってきたと思ったら幹部になっていた。そして、忙しかったのか、しばらく私と会えない日も続いていたけど――ようやく今日、また会えた。こうして軽く笑えるのが、私たちらしい。
 だから、安心する。幹部だろうとなんだろうと、ミスタはミスタだ。仕事で何があったかは知らないけど。でも、人生をハッピーに楽しむ、ミスタのままだ。


「ったく……ま、ナマエと会うのも久しぶりだからこれくらい許してやるけどよ」
「やった! ミスタ、太っ腹!」
「カネをやるとは言ってねーからなッ!? あとオメーはもうちょっと反省しろ!」
「はーい」
 けらけら笑う。普通なら許されないかもしれないけど、ミスタなら許してくれる。……私はそれに、甘えているのかもしれない。
「でも……本当に久しぶりだよ。もう、会えないかと思った」
 そんな中、ふと本音を出してしまった。一週間と少しどこかに行っているかと思ったら、ギャングの幹部になったとだけ連絡があって、それからしばらく、私たちは会えなかった。時間がなかったらしい。何が起きたかは、私は知らないけど。

「悪かったな……仕事が忙しいんだよ」
「そんなこと言ってたら女の子にフラれるよ?」
「……オレら、そんな関係でもねーだろうが」
 まあ、そうなんだけどね。会えないからといって、面倒くさいくらい着信を残すタイプでもないし、そんなことをするような間柄でもない。
 忙しくても、無理して会うような関係ではないのだ。私たちは。お互い暇なときに、たまに会って駄弁るだけ。
「そりゃあ、そうだけど。ミスタと会えなくて、ちょっと寂しかったというか……それだけ!」
 そして、慌てて笑った。落ち込むのは私らしくない。せめて、ミスタの前では、軽く笑っていたかったから。
 ミスタは少しの間、黙っていた。そして、考え込むような素振りを見せたあと、ふと、こんなことを言い始めた。
「じゃあ……『そういう関係』になってみるか?」
 ――えっ?
 思わず、きょとん、とする。予想外の言葉だった。……ミスタに会えなくて寂しいと思ったことはあっても、ミスタと付き合うことなんて、今まで考えたこともなかった。
 だけど。私は真っ先に、「悪くないかな」と思った。……それが、案外素直な答えなのかもしれない。私にとっての。

「……いいの? 私、普通の女の子だよ? ミスタと釣り合うかな」
 だって、ミスタはギャングの幹部なのに、私はただの一般人。そんな彼と、友達ではなくもっと深い仲になるなんて、なんだか変な感じ。
「人の財布からカネをくすねる女は普通の女の子なんかじゃあねえ」
 真顔で言わなくても。
「じゃあ、人の財布からお金をくすねるような女だけど、いいの?」
「……ナマエだから、いいんだ。カネはやらねーけど、まあ、メシくらいはオレが奢ってやるよ」
 そして、ミスタは手を伸ばしてきた。おずおずと、私はその手を握る。今までこんなに近くにいたのに、その手の温かさには初めて触れたなと、ただそう思った。


「ギャングの幹部の愛人かあ。私がそんなものになるなんて、なんか変な感じ」
「愛人じゃあなくて、恋人だっつーの。あと、オメーの前では、ギャングの幹部であり続ける気もねえよ」
「う、うん、そうだね」
 真面目な表情でそんなことを言われるとさすがに照れる。ミスタ、そんな顔もできるんだ、と思うと、今更のようにドギマギしてきた。
 私の中にこんな感情があったんだ。知らなかったな……。ミスタと一緒なら、また知らない感情を知ることができるのかな。今まで変わらなかった分、少しずつ。
 そう思いながら、私はミスタに見えないよう、もう片方の手を伸ばした。

「おいナマエ。その手は何に向けている? 言ってみろよ。オレの財布なんかじゃあねーってな」
「……バレたか」
 ……やっぱり、私たちの関係性はそんなに変わらないのかも。でも、私たちはこれでいいのかなと、私はただ、そう思った。


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