■ただの私たち

※夢主過去表現(DV被害、殺人)

 全部忘れられればいいのに、と、時々思う。口には出さないけど。
 そうすれば、私もウェザーと同じになる。過去の記憶がなくて、刑務所の中の世界しか知らない。そして、刑務所の中の世界でだけ生きる。
 この部屋にいると、全てを忘れられそうになる。忘れられた音楽室の屋敷幽霊。危険人物だがウェザーに抑えつけられている限りは大人しくしているアナスイ。刑務所内で育った少年エンポリオ。そして、記憶のない年上の男、ウェザー。
 全部忘れたい。私の犯した罪のこと。刑務所内での生活は、留意すべき点が多すぎて疲れる。諍いもしょっちゅうある。金、金、金。ギリギリ舐められないよう生活できているが、ときどき精神的に厳しくなる。それが罰といえばそうなのかもしれないけど。

 そんなとき、私はこの部屋に顔を出す。エンポリオもアナスイも本を読んでいるくらいで大人しいし、ウェザーは物静かだから一緒にいて気分が楽。
「ウェザーは殺人未遂……だっけ。あなたが人を殺そうとするなんて、信じられない」
 そして、私はウェザーにときどき話しかける。彼と話すことは、この刑務所内で珍しく心安らぐ瞬間だ。低いボソボソ声で耳元で話されるのは、ちょっとだけクセになる。ちょっぴりだけ。
「……君だって、人を殺すようには見えないが」
 そうだろうか。そう思われていたから、私は殴られていたのかな。……昔、恋人だったクソ野郎に。
「私……私は、殴られて、痛かったから」
 我慢していた。好きだったから。だけど、我慢できなくなって、殺した。ただ殺しただけでなく、何度も何度も刃物で顔を抉った。あの男の顔なんてもう見たくないと、そう思ったから。
 恋なんてもうまっぴらと思ってたけど、ウェザーの側は落ち着く。これが恋だったっけ。そんな気持ち、もう忘れたけど。
「ウェザーにも昔、恋人がいたのかな?」
「……さあな。ただ、オレに面会が来たことはないし、手紙が届いたこともない」
 そして、私たちは黙り込む。彼のそばにいる分には、別に多くの会話を望んでいるわけではないから、これでいい。

 ウェザーには昔、恋人がいたのだろうか。いたかもしれない。私みたいな好みをした女は、きっと少なくない。
 だけど、そもそも記憶がない彼は、性格が違ったのかも。それなら、私の好きな彼は今、ここにしかいないのかな。
 彼の記憶が戻ることを嫌がっているわけではない。ウェザーは自分が何者なのか知りたがっている。それを止めたいと思っているわけではない。
 ただ……この関係がいつまでも続けばいいと、そう思ってしまっているのは、事実だった。
「ウェザー……あなたに記憶が戻って、昔のあなたに好きな人がいなかったら、私、あなたに告白していい?」
 告白同然の言葉。でもこれは、告白にはならないのだと、私は知っている。
「……別に、今しても構わないが」
「え? そうなの?」
 少し驚いてウェザーの顔を見上げた。彼の表情は、相変わらず変わらなかったけど。
「保留にしていいならな。……記憶がない状態で、ナマエの告白を受けるわけにはいかない」
「そうよね。知らずに二股かけるウェザーなんて、嫌よ」
 だけど私は、ウェザーの記憶が戻らなければいいのに、とほんの少しだけ思ってしまっている。そして、私も過去の記憶がなくなればいいと、そう思ってしまうのだ。
 だってそうすれば、私たちはただのウェザーとナマエになる。過去のしがらみなんて何もない。覚えていないだけでも。二人だけの世界で生きたいと、私は、そんなことを考えてしまう。
 そんなことが不可能だと、そう知っていても。


「暇ね」
「……そうだな」
 私はさっき、告白したも同然だ。それでも私たちの関係は、何も変わらない。
 何か大きな事件でも起きない限り、私たちの関係はそう変わらないだろう。それは、ウェザーの記憶の手がかりが見つかるときか。刑期はバラバラだけど、この刑務所から出たあとの話になるかも。その時、私達がどうなっているかはわからないけど。
 ただ、私がこの人の隣にいることは、落ち着く。それだけは変わらないのだろうと、そう思いたかった。
 彼が過去に何をしていようと、どんな罪を持っていようと、今私の目の前にいるウェザーはひとりだけ。ウェザー・リポートだ。私はそう、信じているから。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -