放課後の校舎は春だというのに寒かった。午後から降り出した雨はまだ止まないままだ。
夕日に照らされて長い影を伴いながら、神楽は廊下を歩く。
ときおりすれ違う関わりのない生徒の顔を少し眺めていたら、袖すりあうも他生の縁という諺を思い出した。今日の現国の時間、先生が言っていたような気がする。
階段を降り、北校舎へ向かう。濡れた中庭を通る渡り廊下を渡りきり、左に曲がると職員室。
部室の鍵を返せば、今日の学校での用事は全て終わるはずだった。
そのとき、廊下の向こうに、沖田の後ろ姿を見た。これから帰るところらしい。
神楽は声を上げかけた。一緒に帰ろうと言いたかった。
そんな神楽の肩を掠めて、後ろから誰かが飛び出してきた。肩の下で揺れる黒髪が振り返り、神楽をチラリと見る。しかし一言も発さず、沖田の背中に向かって駆けていった。
「沖田先輩!」
そう言った。
神楽の知らない女生徒は、沖田の隣に並んで歩き始め、廊下を曲がって消えた。
呆然としながら神楽は、女生徒とほんの少し触れた肩に手を当てた。そして、手の中の冷たい鍵を握り締めた。
神楽の知っている限り、沖田に彼女が出来たことはなかったはずだ。
王子のようだとか形容される爽やかな甘いルックスは魅力的だけれども、性格が悪すぎる。顔だけを好きになった女の子たちは、みんな勝手に幻滅して去っていった。
ただ神楽は、沖田の女を女とも思わない態度も嫌いではない。沖田の周りから女の子が居なくなるのも嬉しい。
だってずっと、好きだったのだから。
それなのに、先ほどの女はなんだ。
沖田が邪険にせずに、隣に並んで歩くのを許すなんて。それは神楽だけの特権だったはずだ。あの女は沖田の何だ。
神楽の胸の内に、ドロリとした思いが生まれた。そいつは怪物の姿をしている。長い舌と共に黒い息を吐き、炎を吐く。神楽の心を内側から焼く。
神楽は静かに目を閉じた。
不安と焦りが洪水のように神楽の理性を飲み込もうとしていた。
窓の外の大雨と似ていた。







「それ、柏木さんでしょう。一年生の可愛い子」
翌日の朝から、神楽は不機嫌だった。そもそもが昨日の出来事だが、先の山崎の言葉で更に気分が下降した。
山崎は沖田と同じ剣道部に所属しており、沖田と仲が良い。そんな彼なら件の女生徒のことも知っているかと踏んで、それとなく尋ねてみたのだ。
神楽の期待通り山崎は女生徒を知っていた。しかし、その答えが気に入らなかった。
「その子、可愛いアルか」
昨日は咄嗟にしか顔が見えなかったため、神楽は気が付かなかった。そうか、可愛いのか。
「ええ、剣道部のマネージャーやってくれてるんですけどね、何だか最近沖田さんといい雰囲気で……」
「ふーん」
神楽は密かに舌打ちをした。いよいよこれはただ事では済まされなくなったと思ったのだ。
「私より可愛いアルか」
焦りか、無意識にそんなことを聞いてしまって、山崎が変な顔をした。
「は?」
訝しげな声を聞いて、自分の失態に気付いた神楽。ぴりりと肩を引き攣らせた。
「何でもないアル! わ、忘れるヨロシ」
ちょうどその時にチャイムが鳴り、銀八が教室に入ってきた。天の助けと神楽は山崎から目を逸らし、自分の席に戻った。
背中に山崎の視線を感じる。神楽の背中がうっすらと汗をかいていた。
「……馬鹿アルか、私は……」
誰にも聞こえないように細く呟いて、火照った頬を手の平で包んだ。銀八の寝ぼけたような力無い声が念仏のように神楽の耳に届くが、欠片も記憶に残らない。
教室の誰もが話の半分以上を聞いていないだろう。証拠に、目が虚ろであったり、窓の外にある昨日と打って変わって快晴の空を眺めていたりする。
「おい神楽ー。おまえ」
それなのに神楽だけが名前を呼ばれて、びっくりして変な声が出た。
「ぬ」
「こないだの現代文のテスト、お前だけ赤点な。つーことで、放課後俺んとこ来いよ」
今日こそは沖田と帰ろうと思っていた神楽に、銀八は悪魔のような言葉を食らわした。呆然とするうちに、ホームルームが終わる。
最低だ。



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