アルカディア


 後ろの大きなリボンが特徴の、光沢のあるピンクパールのドレス。王道のプリンセスラインのシルエットは、誰にでも似合うだろう。もちろん彼女にも十分似合っていた。しかし、泉はあえてそれを口にしない。
「どう?」
「んー……名前には子供っぽいかも」
 そう言いながらも、泉は構えていたスマートフォンをカメラモードに切り替え、その中に彼女をおさめた。ディスプレイに残る写真に、気付かれないようほくそ笑む。次はアップを撮ろうと、指で画面をズームにすると、カメラ越しの名前が不機嫌そうに口を尖らせていた。
「いつまで続くの、これ」
「俺の気が済むまで」
「それって終わらないのでは?」
「次はそっちねぇ」
「……もう」
 名前は、泉の指したドレスを手に取ると、試着室へ戻っていった。先ほどから、何度も繰り返されているやり取りだ。彼女は文句を言いながらも、着替えるたびに泉にその姿を見せる。律儀なのか、可愛らしいのか。
 ホテルの一角、ウェディングドレスの衣装室には泉と名前、そしてスタッフが数名いるのみだった。ここは、あの天祥院家が所有するホテル。スタッフは天祥院の息がかかった者で、だからこそ泉がこうして名前と自由にすることができていた。
 当たり前のことながら、泉の立場からして、自由に名前と行動することは難しい。それこそブライダルフォトを撮るなんて、漏れたりなどしたら洒落にならない。色々と策を考えている中で見つけたのが、ホテルの経営欄に書かれていた天祥院という名。今回は天祥院英智の力を借りることで、こうして場を整えることができた。正直、英智に借りを作るなど苦渋の決断ではあったことは言うまでもない。一応切り札を用意して交渉したが、本人は元クラスメイトのよしみだとか言って微笑んで了承した。その笑みの下にどんな思惑を考えているのやら。だが、こうして着飾る彼女を見ることができたならば、後悔はなかった。
 スマートフォンにおさめられている、何枚もの彼女の写真を眺める。イエローのシンプルなプリーツドレス、花の刺繍が豪華なブラウンのドレス、幾重にもレースが重ねあわされた淡い水色のドレス。写真が送られるごとに、被写体である彼女の表情は段々と曇っていっているのは、まあ仕方ないことだろう。
 泉が写真を見て楽しんでいると、再びカーテンが開いた。
「どうでしょうか」
 フリルが何段にも重なったティアードスカートが特徴のピンクゴールドのドレス。可愛いデザインに対し、落ち着いた色が、彼女の大人びた雰囲気を引き出す。再び泉はスマートフォンで彼女をとらえる。また一枚と、フォルダーの中に彼女がおさめられた。
「次はどのドレスにしようかなぁ」
「泉、楽しんでるよね」
 楽しいに決まっている。いろんな衣装を着せることも、名前を振り回すことも。こんな機会などめったにないと、彼女を着せ替え人形のようにして楽しんでいた。いくらやっても飽きることはないだろう。しかしそろそろ頃合いらしい。泉は彼女の様子を見て思った。
 たかが着替えといえど、繰り返せば疲れがたまる。それはモデルである泉はよく分かっていた。もちろんプロの彼はその疲れをカメラ越しに出すことはしないが、一般人である彼女はそうはいかない。それに彼女は普段着なれないドレス、ボリュームもあるのだから余計にだろう。今日のメインはドレスを着ることでなく、あくまでその姿を写真にするということ。撮影前に疲れさせるわけにもいかない。
 泉は立ち上がると、あらかじめ近くにかけてあったドレスを手に取った。
「はい、これ着てみて」
「まだ着替えるの……」
「これで最後だから」
「……本当だよね?」
 疑いのまなざし余所に、ドレスを押し付ける。しぶしぶと受け取った彼女が、試着室へと戻るところを見届けてから、泉は近くで待機していたスタッフに声をかけた。
「彼女が着替え終わったら、ヘアメイクお願いします」
 最初から彼女の着るドレスは決めてあった。靴も、髪型も。いろいろ着替えさせていたのは選ぶためでなく、彼女の言う通り自分が楽しむためだけだった。バレたらきっと怒られるだろうが、それに見合うほどの満足は得られた。
 さて、名前に関しては、あとのことはスタッフに任せておけばいいだろう。泉はウェディングドレスの試着室を後にする。美しい花嫁には、それに見合う素敵な花婿が必要だから。

 小さなフォトスタジオで泉は待っていた。待たされるのは好きではない性分であるが、今日だけはこの時間を愛おしく思えた。
 リズムの悪い足音が聞こえてくる。その音を奏でているであろう彼女を思い浮かべ、泉は一人、くすくすと笑う。履きなれない靴を履いているからだろう。それにドレスの重量もあるから歩きづらいのかもしれない。それにしても、もう少し華麗に歩けないだろうか。だがまた、それで良いとも思う。そんな彼女をエスコートするのが泉の役割だった。足音が止まる。部屋の前に来たのだろう。彼女が開ける前に、泉はそっと扉を開いた。
 見立ては間違ってなどいなかった。ライラックのドレスは彼女の白い肌を際立たせていた。髪は後ろにまとめ上げられているため、首から背中のラインが大胆にさらけ出されている。しかし淡い色味と、ゆったりとしたスカートのシルエットが上品さを醸し出し、むしろ女性らしさが際立たせていた。予想通り、いや予想以上だった。泉は柄にもなく、彼女の姿に惚け、言葉を失ってしまっていた。互いに見つめ合ったまま、沈黙が流れる。ふと泉は我に返り、何か言わなければと口を開こうとしたが、それは彼女が先だった。
「泉、かっこいい」
 先を越された、と思う。こういう時、とっさに言葉が出てこない自分が憎い。気の利いた言葉でなく、名前のようにそのままを伝えれば良かっただけなのに。いつも言われ慣れている言葉なのに、彼女に言われると特別で、今日は特にそれを感じる。
「……俺がかっこいいのは当たり前でしょ」
「そうだったね」
 往生際悪く憎まれ口を叩いても、彼女の素直な返答に結局してやられた気分になる。気を取り直し、泉は姿勢を正した。言われてばかりでは面目がたたないというもの。ふうと息を吐く。それから名前の前に膝をつき、左手をとった。
「今だけは、俺は誰の騎士でもない。もちろんあんたのでも、ね」
 手の甲に、そっと唇を落とす。
「お姫様をエスコートするのは王子の役目でしょ」
 顔を真っ赤にする彼女に、泉は満足げに笑った。

 いざカメラを向けられれば、その先に立つのは完璧な被写体だった。本職とはいえ、プロのなせる技というところ。いつどのタイミングで撮られても、モデル、瀬名泉であった。だが、その隣に立つ彼女は、そうもいかない。
「あんた、なんて顔してるの」
 目線の先にある名前の顔は、カメラを向けられてから、ずっとこわばっている。お世辞にも、誉め言葉一つ出なかった。
「緊張しちゃって……」
「カメラ意識しすぎ。変に顔作る必要ないし、こういう時は自然にしてるのが一番なの。家にいるみたいにしなよ」
「服装も場所も非日常なんだから、いつも通りにはいかないよ」
 彼女にしてみれば慣れない状況だろう。着飾って記念撮影なんて、七五三、成人式、家族写真ぐらいか。理解はできるが、それにしても今の表情はひどい。まだ友人と撮ったという例のブライダルフォトの時の方が良い表情をしていた。それはそれで、泉としては癪なのではあるが。
 自分だけならどうにでもなるが、それでは二人で撮る意味がない。泉は少し考えてから、両手を名前の固くなった頬へ伸ばした。そして頬を挟むと、そのままむぎゅっと押しつぶした。
「……にゃんにゃの」
「ふふ、いい顔」
 つぶされた彼女の顔に泉は笑う。名前が腕を掴むと、泉はあっさりと離した。
「お化粧崩れるじゃん」
「こっちの方がさっきの能面みたいな顔に比べたらマシ」
「ひどい!」
 本当のことだった。今の怒った顔だって、引きつった表情に比べればずっと良い。作った顔よりも、ころころと表情を変えるいつもの名前の方がずっと。さすがにこの顔を写真に残すわけにもいかないが。泉が欲しいのはいつもの彼女。自分に向かって微笑んでくれる、そんな表情が欲しかった。別にモデルのように完璧な姿など求めていない。
 これで多少緊張もほぐれただろうか。そんなことを考えていると、今度は泉の頬に向かって手が伸ばされていた。
「……ちょっとぉ、何すんの」
 決して強くはないが、頬をつまむ手は泉の端正な顔を多少なりとも崩していた。
「泉もたまには変顔で映ってみなよ」
「俺がそんな顔を残せるはずないでしょ!」
「カメラマンさん、今!シャッターチャンスですよ!」
 泉は手を払おうとするが、名前は先ほどの仕返しと言わんばかりに離そうとはしなかった。ならばと泉も、再び彼女の頬へ手を伸ばす。名前は顔を振って、その手をかわそうと試みる。気付けば、互いに顔を崩してやろうなんて、取っ組み合いが始まってしまった。せっかく着飾っているのに、二人して何をしているのだろうか。ある意味、これがいつも通りと言えばいつも通りなのかもしれない。名前の顔には、いつもの豊かな表情が戻ってきていた。
 手から逃れるように背を向けた彼女を、泉は後ろから捕まえる。そのままぎゅっと抱きしめてやれば、くすぐったそうに笑う声がする。つられて泉も顔をほころばす。本来の目的など忘れてしまった。ただただ、今が楽しくて。
 どんなに着飾っても、どんな場所にいても、結局いつもの二人になってしまうのだ。



 名前は立ち止まると、その目を一枚の写真に向けていた。
「楽しかったな」
「あんた、その前通るたびに毎回言ってるよねぇ」
「だって本当にそうだったから」
 少し上等な写真立てが、リビングのキャビネットの上に置かれていた。その中には先日の写真がおさめられている。
「この私、すごくいい表情してるよね。けっこう綺麗じゃない?」
「自分で言う?」
 呆れたように言えば、彼女は口をとがらせた。
「だって、一番に言って欲しい人が言ってくれないから」
 一瞬だけ考えるが、名前から送られるもの言いたげば視線に、泉はすぐにその人物が誰かに気付く。
「……言ってなかった?」
「聞いた記憶はありません」
 あの日は終始、彼女に目を奪われていた。それは紛れもない事実だった。しかしそれを明確に言葉にしたかと問われれば、イエスとはいえない。あの日のことを思い起こすが、彼女の言う通りで、言った覚えがなかった。
 名前の様子からして怒っているというわけではなさそうだった。だがわざわざ言うということは、気にしてはいるのだろう。あの日、流れで言えば良かったと後悔する。今更改めて言うのは、気恥ずかしいというもの。けれど、きちんと言葉にしなけれないけないこともある。泉は写真の中の彼女に目を向けた。
「すごく、綺麗だった」
 名前は一瞬嬉しそうな顔をするが、次には意地の悪い表情をしていた。
「過去形?」
 これは根に持っている。彼女から言葉をもらっていただけに、今回の非は完全に泉だ。
 写真と同じように、彼女を後ろから抱きしめる。写真の中で幸せそうに笑う彼女を確かめてから、腕の中にいる彼女へ視線を移した。
「綺麗だよ」
 いつだって。あの日のように美しく着飾ってる姿も、今みたいなスッピンで無防備な姿も。どんな場所でも、どんな時でも。迷いなくその言葉を彼女に贈ろう。
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