甘美なご褒美をください


 昼食を終え、食器を洗っていればリビングから泉の楽しそうな声が聞こえた。
「迷惑なんてこと、あるはずないでしょ。住所送るから、ちゃんと来てよねぇ。待ってるから!」
 何の話をしているのだろうか。顔をのぞかせれば、ちょうと泉が通話を切るところだった。
「泉、なんだか嬉しそうだね。何かいいことでもあったの?」
「まあねぇ」
 ほくそ笑む泉は、いつになくご機嫌な様子だった。むしろ不気味なほど。彼の含みのある笑みが気にならないと言えば嘘となる。しかし、聞いたら聞いたで嫌な予感がする。機嫌が悪い泉に絡むのも面倒くさいが、逆に機嫌が良すぎる時に絡むのも面倒くさいことは経験から知っている。つまりは放っておくのが一番ということだった。
 私は鼻歌を歌う気味の悪い彼を放っておき、洗い物へと戻った。

 これが理由かと、泉の機嫌の原因を、玄関で申し訳なさそうに佇む彼を見て悟った。
 インターフォンが鳴るなり、勢いよく部屋を飛び出した泉に付いて行けば、ドアの先に見覚えのある青年の姿があった。一方的に見知っているというのが正しいか。日の光を集めて紡いだような、眩しい金糸の髪に、トレードマークの青い眼鏡。レンズ越しのエメラルドの瞳が揺れている。普段テレビで見る時は衣装だからか、派手な色合いを着用するイメージがあった。しかし今着ているのはアイボリーの落ち着いた配色で、年相応よりか少し大人びているように感じた。
「待ってたよ!ゆうくん!」
 泉の意識は完全に目の前の彼にしかないらしい。背を向けられているので見えないが、おそらく私ですらめったに見ない気持ち悪い笑顔、もとい満面の笑みをしていることだろう。それを向けられている彼、遊木真君は現在進行形で顔が引きつっている。
 遊木真君。大人気アイドルグループTrickstarの一人であり、泉とはキッズモデル時代からの付き合いだそうだ。遊木君が出るテレビ番組を、泉が必ずチェックするものだから、私もよく見かけている。バラエティで体を張っている姿を見ては、その一生懸命さにテレビに向かってつい応援したり。そんな人を引き付ける力が彼にはあるのだろう。
 後ろから彼らの様子を眺めていれば、遊木君がじっと私を見ていることに気付いた。
「泉さん、その後ろにいる人って……」
「ゆうくんは気にしなくていいよぉ。ほら、俺に相談があるんでしょ、早く中に入って」
 気にしてほしいわけではないが、そう適当にあしらわれるのも癪に障るのだけれど。
 事情はよく分からないが、泉の言葉から察するに、遊木君は泉に相談ごとがあって家に訪ねてきたというところか。いや、おそらくそれを理由に、泉が家に来るよう、無理を言ったの方が正しいのかもしれない。
 泉に促され部屋にあがる遊木君は、すれ違いざま申し訳なさそうに目を伏せた。
「ご迷惑ですよね、僕……」
「いいよ、気にしなくて。ゆっくりしていってね」
 腰の低い遊木君に、むしろおもてなしを何も用意していないこちらが申し訳ないと思う。泉も一言ぐらい言ってくれれば、ちょっと近所のケーキ屋さんにでも行ってきたのに。というか泉もこの謙虚さを見習ってほしい。
 遊木君にすっかり夢中になった泉と関わらないほうが良いだろうということは、思考を動かすまでもなく明白だった。加えて、彼は相談に来ているとのことなので、私は邪魔にならないようお菓子とお茶を手に寝室へ引っ込んだ。とくに今日の予定なんて決まってなかった。泉が見たいと言っていた映画のDVDを私が借りてきていたぐらい。一人で見ようかと思ったが、残念ながら寝室にはテレビがない。手持ち無沙汰。仕方なくスマートフォンを開いて暇をつぶすことにした。
 寝室でゴロゴロしていると、控えめなノックが聞こえた。泉ならこうはいかないから、おそらく今日のうちのお客様だ。しかしいったい私に何用だろうか。私は少し乱れた服と髪を直してから、ドアを開けた。
「あれ、泉は?」
 目の前に立っていたのは遊木君一人で、彼越しに部屋を見ても他に人がいる気配はなかった。
「マネージャーさんから連絡があったみたいで、すぐに戻るって言ってましたけど……」
「そっか」
「はい」
「……」
「……」
 気まずい。別に遊木君が悪いわけでも、もちろん私が悪いわけでもない。泉という共通点があるだけで、私達は初対面なのだから。
「あの、今日、僕が来た理由って知ってますか?」
「いや、まったく」
「ですよね……すみません」
 彼が謝る必要は一切ない。悪いのは言うまでもなく、何も言わなかった泉だ。
「えっと……僕、今度雑誌で特集組まれることになって」
「そうなんだ、すごい!おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
 少し顔を赤らめた姿は可愛らしい。つい頭を撫でたくなるが、初対面の相手にいきなりされたら引くだろう。手を握りしめ、ぐっと堪えておいた。
「普段と違う姿を撮りたいって言われたんです。それで少し悩んでて、泉さんに相談したら呼ばれちゃって」
「ごめんね。泉、強引な所あるから」
「いえ!僕の方こそ突然来ちゃって申し訳ないというか……知ってたら来てなかったんですけど」
 私のことを何も言ってなかったのか。それならば、先輩の家に来て見ず知らずの女がいたらさぞかし驚くことだろう。いや、だからこそ、言ってくれたら最初から部屋の奥で息を潜めておいたのに。
「泉さんの彼女さん……ですよね」
「一応、そういうことに、なってます……」
 改めて言われると、少し恥ずかしく感じてしまうのはなんなのだろうか。
「噂で、その、泉さんが恋人と同棲しているっていうのは聞いていたんですけど……あ、ごく一部の人だけですよ!知る人ぞ知るというか、たぶん僕とか泉さん近辺の関係者だけで」
 彼が心配するところは、なんとなく察する。確かに瀬名泉が同棲なんて知れ渡ったら大スクープになってしまう。知る限りでは、Knightsのメンバーとマネージャーさんと事務所の関係者数人ぐらいか。私の方は親ぐらいで。同棲始める時に泉が挨拶に行きたいと言うから連れて行って、その時に初めて親は私が泉と付き合っていることを知った。それまで言っていなかったことを、逆に泉から怒られたわけだけれど。閑話休題。とにかく私も泉もその辺りは細心の注意を払っている。
 遊木君なら漏らすことはないだろう。
「泉さんと付き合う人ってどんな人なんだろうって、ずっと思って……って失礼ですよね」
「まあその気持ちも分からなくないからね」
 性格は言うまでもなく難あり。というのは置いといて、相手は瀬名泉だ。街を歩けば誰もが振り向く、そんな美しい人の隣に立つのはどんな人間だろうと、誰しもが思うだろう。
「思ったより普通だった?」
 自虐するつもりではないが、私の自己評価は普通オブ普通。とくに特筆すべき点などない一般人である。一般人と少し違うという点で言えば、それこそトップオブアイドルである瀬名泉と付き合っているということか。私が好きになった人が、私を好きになってくれた人が、たまたまアイドルだったというだけの話だけれど。
 しかし私の自嘲めいたような言葉に、遊木君が勢いよく首を振った。
「い、いえ!むしろ逆というか!」
「逆?」
「泉さんに付き合っていられるってだけで尊敬しますし」
 後輩からの泉の評価に少し不憫に感じないこともない。
「それに物腰柔らかで、余裕がある感じが大人の女性って感じして……」
「えぇ……」
「その、なんというか、すごく素敵な人だなって思いました!」
 お世辞だと思いたいが、こんな純粋な目を疑うことなど私にはできない。なんて良い子なのか。
「あ……ありがとう」
 泉と正反対の素直なところは、テレビで見る姿と一緒だ。それに眼鏡で隠されていても分かる綺麗な顔立ちに、泉がメロメロになるのもよくわかる。見つめられてはドキリとしてしまうのは不可抗力だ。
「遊木君」
「は、はい!」
 言われてばかりでは申し訳ない。それにせっかく本人が目の前にいるということで、私も普段思っていることを伝えるべきだろう。
「いつもテレビで見てます。どんなことでも真っすぐに頑張るところ、とても素敵だと思ってました。今日初めて会ったけど、やっぱりかっこいいです。これからも応援します」
「僕なんてそんな……」
 照れる姿はやっぱり可愛い。頭を撫でるぐらいなら許されないだろうか。決して邪な気持でなく、こう、愛でるようなそんな気持ち。
 その時、玄関からバタバタと音がした。その音はそのまま、こちらへと向かってくる。
「ゆうくん、ただいまぁ!って、あんた達、何してるの?」
「泉、おかえり」
 満面の笑みでやって来た泉に、軽く手を振り挨拶をすれば、眉をひそめられた。私への“ただいま”はどうした。
「あんた、ゆうくんに変なこと吹き込んでないよねぇ」
「失礼な。泉と違って、遊木君は良い子だなって話してただけ」
「喧嘩売ってる?」
 嫌味の一つぐらい言ってもばちは当たらないだろう。このぐらいの幼い軽口なんて互いに慣れたもの。しかし純粋な遊木君は、喧嘩が始まったと思ってしまったらしい。にらみ合う二人の間に入り、私をかばうように立った。
「僕から話しかけたんです!」
「ゆうくんが?」
「その……まさか、泉さんの彼女がこんな素敵な人だと思わなくて、それで」
 フォローするつもりだろうが、そういうことは言わないほうが良いと思う。私としてはこの前のやり取りから、深い意味はないということは十二分に理解している。しかしその言葉だけを切り抜けば誤解を招くというもの。私より泉との付き合いが長いはずなのに、なぜそんな見えている地雷をわざわざ踏み抜こうとするのか。
「……はぁ?」
 案の定、泉の機嫌の悪そうな低い声が鳴る。私の前に立つ遊木君に隠れて泉の様子はうかがえないが、その声色から表情を察する。
 泉は遊木君のこととなると盲目となることは知っている。そんな遊木君が、不可抗力とはいえ私を気にかけているような状況は気に食わないに違いない。別に私は泉の大切な遊木君に手を出したりはしないというのに。
 どうしようかと考えていれば、泉は遊木君をのけて無言で近付いてきた。瞬時にそんな彼を警戒する。どんなヒステリーを起こすことやら。
 しかし、実際の彼の行動は、思っていたものとは違った。
「ゆうくんは俺にとって、目に入れても痛くないぐらい大好きな存在で、何でもしてあげたいって思ってるけどさぁ……」
 私の背後に回った泉は、私のお腹へと両腕を回す。そしてそのまま、ぎゅっと抱きしめた。
「名前は譲らないから」
 私には泉の表情が見えない。代わりに遊木君の顔がこわばったのが分かった。そして心の中で湧き出た感情に思考が追いついた頃に、背中の体温はあっさりと離れた。
「さ、ゆうくん、戻ろうか!俺が手取り足取り教えてあげるからねぇ!」
 遊木君がそっと私から距離をとった。原因は明白だが、少し悲しい。だが、私はそれどころでなく、体にまで影響を及ぼし始めた感情をどうにかしなければいけなくなった。
 戻っていく二人を見送りながら、そろそろ夕飯の買い物にでも行こうかと思い始める。今日は特別にエビフライにしよう。泉はカロリーが高いとか言って文句を言いそうだけど、一つぐらいは食べてくれるだろう。
 熱い頬はまだ戻らないようだが、どうにも今の私は気分が良いらしい。

 買い物から帰ってくると、遊木君がちょうど帰宅するところだった。せっかくだから夕飯でも、と言ったら丁重に断られた。結局最後まで警戒されたままだった気がする。
 そんな彼を二人で見送ると、泉はふいに私に向き直った。
「さて、次は名前の番」
「なにが?」
 要領の得ない言葉に、私が首を傾げれば、泉はじれったそうに続けた。
「放っておかれて拗ねてたんでしょ。だから構ってあげるって言ってるの」
「拗ねてる?誰が?」
「嫉妬してたんじゃないのぉ」
「泉に?」
「なんで俺に嫉妬するの!ゆうくんに対してに決まってるでしょ!」
 遊木君への泉のクソデカ感情なんてもとから知っているから、嫉妬なんて感情は湧かない。そもそも泉が私へ向ける感情と、遊木君へ向ける感情は質が違うもので、比べるものではないのだから。
 あえて今日の行動でイラっと来たことと言えば、私への雑な扱いぐらい。それも先程の泉の行為によって解消され、むしろプラスになっていたりする。けれどもそんな私の思いなんて知らない泉は、「本当に信じられない!愛が足りない!」なんてぐちぐち言っている。なんで泉の方が拗ね始めるのか。
「ねえ、泉」
「なに」
 私は泉の腕に絡むように組んだ。嫉妬とかはないけれど、やっぱり彼との時間が大切だから。
「寂しかったから、今からいっぱい構ってよ」
「……仕方ないなぁ」
 泉の嬉しそうな笑みを受け止める。単純だなと思うが、それはたぶん私も同じ。彼と見たいと思ってた映画があるし、彼のためにと用意する夕食もある。今からの彼の時間は私のものだ。
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