Festa degli innamorati


 バレンタインデーといえば。特別スペシャルデー、一年一度のチャンスなんて歌っている通り、心を込めたチョコレートと共に好きな相手に告白をする日。ありがたいことに私には恋人がいるので、告白というよりは改めて愛を伝える日というところだろうか。
 私の恋人は仕事柄、加えてプロ意識からカロリーの高いものを口にしないようにしている。最初はチョコレート以外のものにしようと考えていたが、やはり一年に一度。こんな日ぐらいでしか彼に渡すことはない。そう考え、一口サイズの小さなトリュフを4つだけ用意した。
 先ほど作り終え、後片付けをしながら部屋に充満する濃く芳しい香りを堪能する。手作りは彼だけで、他の人は既製品で済ませてしまった。そのため大量に余った材料は今チョコフォンデュとして、鍋の中でとろっとした液体になっている。たまに片付けの手を止め、苺やバナナをつけて食べているが、良い素材を使用していたこともあって格別においしい。かなりビターなチョコだが、甘い果物との相性は良い。
 キッチンで一人、チョコフォンデュを楽しんでいれば、リビングの方で単調な音がしているのに気付く。簡単に手を洗い向かえば、充電器に刺してあったスマートフォンが振動していた。コードを抜き画面を見ると、慣れ親しんだ、そして愛おしい文字の並びがそこに表示されていた。
「もしもし?」
『名前?俺だけど』
 機械を通した声はいつもよりも低く、くぐもって伝わる。さも当然というように名乗らない相手に、悪戯心が湧いた。
「オレオレ詐欺は間に合ってます」
『……瀬名泉だけどぉ』
「ディスプレイに名前出てたから知ってたよ」
『……怒るよ』
「はは、もう怒ってる」
 電話越しに小さな舌打ちが聞こえてくる。とはいえ、この程度の悪態はいつものこと。本気で怒っているわけではないので、笑って流した。
 しかし、こうしてわざわざ電話とは何の要件だろう。今日はとくにイレギュラーな仕事はないはずだから、問題が起こっていなければ帰宅していてもおかしくない時間だった。
「どうしたの?仕事押してる?」
『いや、時間通り終わった』
 夕飯の有無の連絡かと一瞬思ったが、すぐに違うと頭の中で否定が入る。泉はここ最近のバレンタイン関連の仕事が多く、いつもより厳しい食事制限をしている。だから今日も、あらかじめ夕飯はいらないと聞いていた。
「そっか。今どこ?」
『玄関』
「ん?」
『家のドアの前』
「……うちの?」
『そう、うちの』
 思わず玄関の方へ視線を向ける。もう家に着いていて、それもドアの前。私の今いる距離からしたら直線5メートル以内。なのになぜ電話越しに会話をしているのか、皆目見当がつかない。
「なんでそんなところから電話かけてるの?」
『来て』
 泉の不可解な行動に首をかしげていれば、さらに謎の要求を受ける。
「いつも通り、鍵開けて入ってくれば良いじゃん。あ、鍵忘れた?」
『そんな名前みたいな間抜けたこと、俺がするはずないじゃん』
「馬鹿にしてる?」
『いいから。早くしてよねぇ』
 言いたいことだけ伝えた泉は、さっさと通話を切ってしまった。言い返したいところだが、こんな近くの距離にいるのにわざわざ電話をかけなおすのもアホらしい。仕方なく用のなくなったスマートフォンをもとの位置に戻し、彼が待つ玄関へと向かう。これで特に用もなく呼んだだけであったなら、どうしてくれようか。怒るほどのことでもないが、対処に面倒くさい悪戯ではある。
 ドアの前に着くが、やはり鍵は開けられていなかった。本当にこの向こうにいるのだろうか。とりあえずサンダルを足に引っ掛け、鍵を回しドアノブに手をかけた。
「泉、おかえ……り?」
 真っ先に目に入ってきたのは深紅。そしてすぐに甘く華やかな香りが外の冷気にのって届く。それは目が覚めるほど鮮やかな、真っ赤なバラの花束だった。驚いてその場で一歩引くが、私を追ってその紅は迫ってくる。
「え……えぇ?」
「ちょっとぉ、早く受け取ってよ」
 眼前に迫っていた花は少し下げられ、その向こうに見慣れた顔が現れる。美しい人に艶やかな深紅のバラ。なんとも絵になる姿だった。
「名前?」
 開いた口が塞がらないとは、まさにこのこと。まぶしすぎる光景に圧倒されてしまっていたが、名前を呼ばれて意識を取り戻すことで何とか口を動かす。
「どうしたの、これ」
「バレンタインでしょ、今日」
 その通りだけれど。だから私もチョコレートを用意していたわけだけれど。しかしそれとこのバラの花束がどう結びつくのか分からない。私の疑問符でいっぱいの頭を察したらしく、泉は丁寧に説明を始める。
「日本じゃ女の子からチョコレート渡すのが一般的だけど、海外じゃ男から渡すのが主流なんだよねぇ」
「へえ。さすがイタリア帰り」
「バラをプレゼントするのが定番だから、バレンタインになると街中が赤いバラでいっぱいになったりしてさぁ。まあ、ここはフィレンツェじゃないけど……せっかくだし名前にあげる」
 あげる、なんてあっさりと言うが、この見た目からして簡単に用意できるものではないだろう。しかし泉は事もなさげに、再びバラの花束を差し出してきた。今度はきちんと顔を見合わせながら。私の恰好はいつもの部屋着で、なんだか申し訳ないと思いながらもそれを受け取る。先ほど視界が埋まっただけあって、なかなかのボリュームのバラは、ずしりとした重量感があった。
 卒業式や送別会でちょっとした贈り物として花をもらうことはあるけれど、たいてい数本程度。こんな豪華な、しかも真っ赤なバラなんてドラマや映画のワンシーンみたいだと思う。官能的な香りは鼻も心もくすぐるものだから、もうどうしようもない。
「嬉しくない?」
 すっかり艶やかなバラに魅入られてしまっていた。反応のない私に泉は勘違いしたようで、慌てて首を振る。
「こんな立派な花束をもらうのが初めてで……すごく綺麗。ありがとう、泉」
 思いもしないサプライズで驚きはしたが、この上ない喜びを感じていた。そう伝えれば、泉は安心したようにふっと笑う。
「花束って結構重いんだね」
「俺の気持ちの重さだと思って、しっかり感じておきな」
「あー重い重い」
 彼に軽く笑いながらも、私は花束を抱きしめるようにしっかりと抱え直した。しかし受け取ったは良いけれど、どうやって保存すれば良いのだろう。あとで調べなければ。
 泉は部屋を見渡しながら、何かを確かめるように匂いを嗅いでいた。
「家の中、チョコレートの香りしてない?」
「泉の作ってて。まあ最近はさんざん食べてるだろうし、カロリーも高いから、ちょっとだけど」
 手作りの、彼に比べれば些細なもの。この重さに見合うかどうかと問われれば難しいけれど。
「量は泉に敵わなそうだけど、質なら負けてないから、しっかり味わって食べてよね」
 冗談交じりにそんなことを言ってみる。見る限りではこのバラも安いものではなさそうだが、気持ちを込めて作ったという点で評価していただきたい。一応素材は良いものだし、味見した感じ悪くはなかったし。何より彼への思いは十二分に入れてあるから。
 私の言葉に、泉の目は少しの間丸くなっていたが、次第に細められていく。じっと私を見つめながら、その顔は近づいてきていた。何をされるのかと身構えていれば、赤いバラ越しに彼は一言。
「口元、チョコついてる」
「げ、本当?」
 つまみ食いし過ぎたせいか。泉を出迎えた時からずっとついていたとしたら、なかなかに恥ずかしい。口にチョコレートつけながらバラの花束を受け取るとか、どれほど間の抜けた光景だろう。映画のワンシーンとしては、私では役不足だったらしい。
 慌てて拭おうと、片手で花を支え、空いた方を口へ伸ばす。しかしその手は彼に取られ、さらにその間にも顎を掬われ、顔を上に向かされた。
「ん……」
 彼の唇と私の唇が軽く触れ合う。そしてゆっくりと離れていく際に、唇の端を彼の舌が舐めとった。
「確かに、甘いねぇ」
 それはこのビターなチョコレートに対するものなのか、それとも。甘さ控えめにしてみたけれど、どうやら隠し味を入れ過ぎたようだ。
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