ショートにご注意

 床はクイックルワイパーで念入りに掃除したし、干してあった洗濯物もすでにしまった。先程届いたメッセージには、近所のケーキ屋に寄ったなんて書いてあったから、そろそろ着いてもおかしくない頃だ。普段カロリーの高いものを避けている彼が、私のためにケーキを選んでいるなんて。そんな姿を想像すると、思わずにやけてしまう。
 そんなことを考えていれば、インターフォンが鳴った。少し足早に向かい、扉を開けるとそこには待ちかねていた彼の姿。毎日のように連絡を取っていたし、彼の姿はテレビなどのメディアを通して目にするので、特段寂しいと思うことはなかった。けれど、直接こうして触れあえる距離に存在するというのは、やはりたまらない。

 あらかじめ作ってあったポトフを火にかけて温め直しながら、朝一で買いに行ったライ麦パンを丁寧に切り分ける。今日も先程まで仕事だった彼のために、寛いでもらえるよう準備をしてきた。
 それにしても、先程からやたら視線が気になる。一緒に座るためにと買った二人掛けのソファに腰かけている泉は、落ち着かないとでもいうように視線を惑わせていた。しかも必ず私を最後にして止まる。実に奇妙。私の住むこのマンションに、彼はすでに何度も足を運んでいるのだから慣れているはず。特別模様替えなどしておらず前回と特段変わったところはないし。ああ、夏だからと羽毛布団をしまってタオルケットに変えたか。いや、それだけだ。
 彼の様子がいつもと違うように感じたのは玄関先で会ったときからだった。私の顔を見るなり、少し目を開き動揺した様子で、声をかけてみても歯切れの悪い返答。となれば、原因は私の可能性が高い。スキンケアは口うるさく言われないように毎日気を遣っているし、今は繁忙期とは外れているからストレスもなく万全だった。泉と会うということもあって、今日はここ最近のベストコンディションを持ってきている。
 再び目が合う。これで五度目だ。さすがに私まで落ち着かなくなってきた。いったん鍋の火を消し、泉の座るソファーの横に並ぶように腰をかけた。
「どうかした?」
「何が」
「いや、なんか今日いつもと違くない?」
「……名前の方こそ」
「え、私?」
「髪、短くなってる」
 言われてから気付く。確かに以前はセミロングぐらいの長さであったが、今は肩より少し上に切り揃えられたミディアムボブ。
 しかし髪を切ったかなんて今問われることに、私はどうしても違和感を感じてしまう。何故ならば私が美容院に行ったのは月始め、現在はもう月末である。周囲の反応も始めは目新しいと沸き立っていたが、今じゃ過ぎ去った話題だ。私自身もこの長さが見慣れてしまい、言われるまで気付かなかった。そういえば、切ってから泉に会ってなかったっけ。
「一ヶ月前くらいかな。切ったばかりの時は顎ちょい下ぐらいだから、それよりは結構伸びたけど」
「一ヶ月……」
 頭を洗うの楽になったよなんて笑ってみたけど、泉の顔は浮かない。似合ってないのだろうか。もしかして泉はロングの方が好みなのかもしれない。何だか不安になって、自分の服の端を小さく握りしめれば、その手は上からの暖かな体温で包まれた。
「何かあった?」
「ん?」
「髪の長い子がバッサリ切る理由って、失恋とかストレスで気分転換したいときって聞くから。もちろんあんたに限って失恋なんてあるはずないけど」
「私には素敵な彼氏様がいるからね」
「分かってるじゃん」
 誇張したつもりが、そのまま受け取ったらしい。図々しい。まあ嘘ではないのだけれど。ふんと鼻をならした泉だったが、「いや、そういうことじゃなくて」と言ってすぐに心配そうな表情に戻った。
「一ヶ月前にそんな素振りなかったし、まあ会ってなかったんだけど。そもそも髪切るとかも聞いてないし……」
「うん」
「ねぇ、俺には言えないこと?名前のことだから、また一人で抱え込んでんじゃない?」
 そこでようやく気付く。彼は私が髪を切ったことに何か心境の変化があったのではないかと心配していて。さらに、何も言われなかったことにショックを受けているようだ。彼の少し下がった頭を、彼に握られていない方の手で撫でてやる。珍しく落ち込んでいる彼を励まそうとしたのだが、キッと睨まれた。まあその落ち込んでいる原因が私だから仕方ないか。しかし心配されているというのに、なぜか私の頬は緩み始めていた。
「ちょっと!俺が心配してるってのに、にやけてるとかどんな神経してるのぉ!」
「ふふ、だって控えめな泉が珍しくて……なんか可愛い」
「かわ、可愛くないし、なんなの!」
「ごめんって。髪切ったのは夏で暑いからってだけ。連絡しなかったのは特に意味はなくて……特別言うほどのことじゃないかなって。こんなに顔会わせなくなるとは思ってなかったし」
「……寂しかった?」
「んー、そうでもないかな」
「相変わらず素直じゃないよねぇ」
「泉は?」
 そう問えば、私の手の上に置かれていた泉の手が絡むように繋がれ、それと共に肩に確かな重みを感じた。擦り付けるように動かされるたび、頬にあたる柔らかな髪にくすぐったさを感じる。
 泉は会えない時が続くと、いつもよりこまめに連絡をくれる。だから、寂しかったなんて言うつもりはないけれど。でもこうして触れあって、温もりを感じあえば、気付かなかった心の隙間が全て満たされていくのが分かる。ずっと近い距離で、彼がぼそっと呟いた。
「ちょっと後悔してる」
「何に?」
「切ったの一ヵ月前なんでしょ。短いと少し伸びただけで雰囲気変わるから、その時のあんたを見れなかったことに後悔してる」
 泉が一つ溜息をつく。
「こういう時、嫌でも実感させられる。会えない時間とか、その間の俺の知らないあんたとか。やっぱり会う時間増やしたいよねぇ」
「無理しなくていいよ」
「無理しても会いたくなるんだから仕方ないでしょ」
 その気持ちだけでも十分嬉しいと思う反面、もっと一緒にいたいという自身の気持ちに嘘は付けそうになかった。どちらも本心なだけに厄介だ。恋愛感情とは難しい。
「一応切ったばかりの写真撮ってあるけど、見る?」
「見る」
 返事が早い。まあ別に面白くもない、ただの髪切りました記念の写真だけれど。それで彼が満足してくれるなら、あとで写真ホルダーから探しておこう。
 そういえば一つ、大切なことを聞き忘れていた。
「ねぇ、どう?」
「何が」
「前の方が良かった?」
 いろんな人からの評価は聞いたけど、肝心の貴方の言葉をまだもらっていない。だって、周囲がどんなに褒めてくれても満足できない。一番に欲しいのは貴方の言葉だから。
 彼の顔を覗き込むようにじっと見つめる私に、ようやく意図に気付いたのか静かに微笑む。そして優しく、私の一ヶ月前に比べて短くなった髪にそっと触れた。それだけで先ほどまでの一抹の不安なんて、あっという間に消え去ってしまった。
「可愛いに決まってんじゃん。ばか」
 余計な一言を付け加えるあたり、実に彼らしく、そして愛おしい。貴方の言葉で私の全てが満たされる。
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