ほろ甘い珈琲

 スプーンとフォークで器用に、形の崩れそうなタルトを一口大に切り分ける様子を眺める。司君は普段から育ちの良さがよく分かる。話し方や食事する姿、しぐさからにじみ出ていた。けれど年相応な部分は存在している。
 司君が満面の笑みで、分けられたケーキを口に運ぶ。ハムスターのように、頬を膨らませながら食べる姿は、実に可愛らしい。
「おいしい?」
「はい!このpistachioのmousseとstrawberryのsourceがmatchしていて、とてもおいしいです」
「そっか。良かった」
 私はその笑みを見ながら、手に持つコーヒーカップに口をつけた。
 司君に連れられ入ったのは、都心から少し外れた隠れ家的なカフェ。静かで落ち着いた雰囲気のこの店は、席同士で仕切りがあるので人目を気にする必要がない。
 およそ一ヵ月前、二月十四日。その日付を聞けば誰しもが思い浮かべるだろう、バレンタインデーの日。私は司君にチョコレートを渡した。それはとくに深い意味のない、ただの義理チョコ。司君以外のKnightsの人達はもちろん、夢ノ咲学院、ESのアイドル達ほぼ全員に同じものを渡している。普段お世話になっている職場の人たちにあげるようなものだった。お返しなんて求めていない、業務的なもの。しかしホワイトデーが近付くとほとんどのアイドルたちが律儀にお礼を持ってくるものだから、みんな良い子だな、なんて思っていた。その中で彼、朱桜司君はわざわざ私を呼び出し、こうしてアフタヌーンティーへの誘ってくれた。
「名前さんは、本当に頼まなくても良かったのですか?」
「私は甘いもの得意じゃないからね」
 私が注文したのは、この店のおすすめと書かれていたブレンドコーヒーだけ。幼いころは好きだった生クリームいっぱいのショートケーキも、年を重ねるごとに食べなくなっていった。最近ではスイーツを食べるより、おつまみのような、しょっぱいものが好きだったりする。恥ずかしくて人前では言えないけれど。
 しかしそんな私に司君はどうも不満のようだった。
「ですが、私はwhite dayのお返しをしたくてお誘いしたのです。これでは私ばかりが楽しんでしまっています」
「ここのコーヒーおいしいから、それで十分だよ」
「それでも……」
 司君は不服そうに口を尖らす。実際、このコーヒーに満足しているのは嘘ではなかった。
 ちらっとカウンターを見たが、おそらくマスターであろう人がハンドドリップでコーヒーを入れるところを目撃している。かなり本格的だと見た。他に比べて苦味が強いが、マイルドな舌触りで飲みやすい。
 それに、おいしそうに食べる司君を見ているだけでお腹いっぱいだったりする。
「そういえば、司君。どうして子供はコーヒーが苦手か知ってる?」
「理由があるのですか?」
 年相応に可愛らしく首を傾げる司君に、私はコーヒーを一口飲んでから答える。
「子供は舌が大人に比べて敏感なんだって」
「敏感、ですか?」
「うん。だからコーヒーの苦みが強く感じちゃうみたい」
「そうなのですね。さすが名前さん、物知りです」
「私も聞きかじった程度なんだけどね。大人になればなるほど鈍くなるらしいよ。苦い野菜とか食べられるようになるのも、これが理由の一つかもね」
 よく子供が嫌いな食べ物でたびたび上がってくるピーマンなんてその代表格。苦みで嫌っていた子が多いだろうが、大人になれば次第に気にならなくなる。食べるられるものが増えるのは良いことだが、その理由が味覚の鈍化というのもいかがなものかと思わなくはないけれど。
 すっかり慣れたコーヒーの苦味を得ようと、カップを口へ運ぼうとした。すると、司君が不思議そうに聞いてきた。
「では、どうして名前さんはsweetが苦手なのでしょうか?」
「え?」
「舌が鈍くなることで、苦みを受け入れられるようになるということは分かりました。ですが、それは名前さんがsweetが苦手という理由には結びつかないです」
 どいうことでしょうかと聞く彼の問いに、私はすぐに答えを出せなかった。そもそもこの話題自体、コーヒーを飲んでいて思い出したただの小話であって。甘いものが苦手な理由を説明したかったわけではない。しかし改めて苦手な理由を聞かれると困る。
「……大人だから?」
「私を子供だとおっしゃりたいのですか?」
「ああ、いや、そういうつもりはないんだけど……」
 お菓子など甘いものは子供の食べ物。コーヒーのような苦いものは大人の飲み物。そんな固定概念があることは否めない。学校の職員室も、お洒落なカフェも、大人の世界のイメージ。だからコーヒーが飲めれば大人の仲間入りになれるなんて、子供の頃に思ったこともあった。そんなわけはないのだけれど。
 苦手となる決定的な何かがなくて。今覚えば、甘いものが苦手というのは、大人になりたい一心の思い込みなのかもしれない。けれど実際にお店でパフェを頼んでも、途中で苦しくなって食べれなかったりするし。思い込みが体に刷り込まれたのか。でも、まさか。
 司君にどう説明しようかと考えていれば、甘酸っぱい香りが鼻をくすぐり意識を戻す。鼻先には薄緑と深紅の鮮やかなコントラストがのったスプーンがあった。
「司君?」
 問いかけても、司君はニコニコするだけで、むしろスプーンを近づけてくる。考えるまでもない。このスプーンの上のものを食べろということだろう。だが、これはいわゆる、あーんという行為。司君にとっては、はしたないに属するものに思えるが良いのだろうか。
 改めて司君を見やる。邪なんて言葉は知りません、とばかりのキラキラとした表情だった。これは完全なる彼の純粋な好意だ。ここで私が無碍にするわけにはいかがなものか。これからの関係性にも悪くしたくない。それにこのまま待たせるのも悪い。
 私は覚悟を決めて、口を開けた。
「美味しいですか?」
 舌にまとわりつくのは甘ったるさでなく、甘酸っぱい苺と芳ばしいピスタチオ、素材そのものの味。どちらも主張が強すぎず、お互いに協調しあって一つの味を織りなしていた。
「美味しい!こんな美味しいケーキ初めて食べたかも!」
「本当ですか?」
「うん。甘過ぎなくて食べやすいし。これなら全然平気で食べられそう」
 久々に食べたスイーツは思っていたよりも、美味しいという素直な感想が出た。さすが、舌が肥えてらっしゃるであろう司君が選んだお店といったところか。今度スイーツ好きの友人にでも教えてあげよう。そう思っていれば、再び、目の前にスプーンが差し出されていた。今度は苺と生クリームがのっていた。
「もう一口どうですか?」
「司君のケーキでしょ。司君が食べないと……」
 そう言ってみても、鼻先のスプーンは引っ込まなかった。そして半ば無理矢理、口へと放り込まれる。今度は酸味の強い苺とさらっとした生クリームが程よい甘酸っぱさを出していた。
「美味しいですか?」
「……美味しいです」
 先ほどと同じ会話に、変な感じがしつつも、司君につられて丁寧語で返した。彼は私の返答に嬉しそうにしている。戻っていったスプーンは、また彼のケーキの端を丁寧に掬い取った。そして当たり前のように、その先は彼と反対方向へ進むので、私は急いで止める。
「待って、司君。もう良いから!」
「ですが……」
「確かに美味しかったよ。でもそれは司君のだし、別に私は食べなくても……」
「名前さんにも食べて欲しかったんです」
 司君ははっきりとした声で言った。
「私が美味しいと、好きだと思ったものを貴方とshareしたいと思ってしまうのは、傲慢なことなのでしょうか?」
 ひどく純粋でまっすぐな瞳を見てしまえば、誰だって拒むことはできない。
「……間接キスになっても?」
 だから私は、対抗して大人げない一言を漏らす。
 味覚は鈍感になるし、甘いものが苦手な理由も曖昧で。憧れていた大人なんて案外適当なものだ。それなら私はまだ子供でいる方が良いのかもしれない。
 私が言ったことで、ようやく気付いたのだろう。スプーンと私の顔、おそらく唇を交互に見ながら、司君は頬を染めていく。その姿を微笑ましく眺めながら、たまには甘いものも悪くないなんて思い始める。少なくとも、司君がいればの話だけれど。
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