夏と線香花火と

 机を陣取る大量のプリント達に一つため息をこぼす。
「……おかしい」
「おかしいのはあんたの頭でしょ。口動かしてないで、さっさと手動かしなよねぇ」
「だっておかしいじゃないですか!華のJKですよ!青春真っ只中ですよ!なのに夏はイベントの運営に駆り出され、部屋に引き込もっては衣装を作る日々。気付けばセミはその短い一生を終え、今は鈴虫鳴く秋…。そして残るは課題の山」
「最後のはあんたの自業自得なんだけどねぇ」
 自身の輝かしい青春を犠牲にし、アイドル達に尽くした結果、待っていたのは先生の苦虫を噛み潰したような笑顔であった。これに関しては夏休みの宿題を忙しいことに託つけて逃げていたつけが回ったものだが。プロデュース科に入ったことに後悔はないが、想像以上の忙しさに文句の一つくらい許してもらえないだろうか。
「私の計画では可愛い水着で海に行ってナンパされて、その彼と一緒にバーベキュー、夏祭り、花火大会、遊園地。夏前に比べて焼けた肌を嘆きつつも、今頃は夏の思い出に浸りながら、クリスマスに向けて愛を育んでいる…はずだったのに!」
「フッ」
「鼻で笑うの止めてくれません?」
 小学生で甘酸っぱい恋愛に胸をときめかせ、中学生で大人なシーンに顔を赤らめながらドキドキさせていた少女漫画の青春。いつか自分もなんて思って、いざその番となった今。現実目の前には進まない課題と口の悪い先輩がいれば溜め息が出てしまうもの。
「あー、夏したかったなー」
 今年はもう終わりだ。諦めよう。まだJKな私の夏休みは来年もあるし。来年の私、よろしく。
 そんなことをぼやきつつ、日が傾き始めた窓の外の景色を見て現実逃避する。唐突に椅子と床が擦れ合う音がした。音の方向に目を向ければ、先程までスマートフォンを操作していた先輩が、今は鞄を肩にかけ立ち上がっていた。帰るのかな。まあ、そもそもなんで彼がここにいるかも知らないけれど。
 いきなり教室に入ってきて、私の前の席に座った彼に「ここ先輩の教室じゃないですよ」なんて言ったら「馬鹿にしてんの?」と睨まれ、怖くてそれ以上聞けなかった。どうせいたのなら課題の答え教えてくれても良かったのに。
「何してんの。行くよ」
「は?」
「夏、したいんでしょ?」

 明日締め切りと言われた課題を放り出し、瀬名先輩のバイクの後ろに乗せられ着いたのは、鮮やかな橙色に染まった海だった。…それにしても寒い。
「確かに海とは言いましたけど…可愛い水着はないし、今海入ったらたぶん凍え死んじゃう」
「うっさいなぁ。ほら、袋開けて」
 手渡されたのは長方形のビニールで包装された何か。言われたとおり開けてみると、中から和紙のような手触りの、細い長いものがいくつか出てきた。
「線香花火…」
「仕事の余り。春先にもらったやつだけど、まだ火ぐらいつくでしょ」
「ああ、それで途中ホームセンター寄ってたんですね」
 彼の手には小さいろうそくとマッチ、そして手のひらサイズのプラスチック容器。おそらくバケツ代わりだろう。さすが先輩。抜かりがない。
 渡されたプラスチック容器に海水を汲んで戻ってくると、砂場に立てられたろうそくに火が灯っていた。夏に比べて日の落ちる時間が速くなったこの頃、人気のない薄暗い砂浜の中で、その光は何故だかセンチメンタルな気分にさせた。
 瀬名先輩に線香花火を1本渡すと、素直に受け取ってくれた。二人で先端にそっと火を近付ける。息づき始めたそれは少しずつ膨らみ始め、やがて音をたてながら弾け始めた。しかしそれを眺めるも束の間、海岸の砂表面を撫でる風によって地へと落ちた。
「…結構呆気ないものですね」
「まあ安物だろうしねぇ」
「先輩、線香花火を長持ちさせる方法知ってます?」
「何それ」
「こうやって捻ってですね…」
 それから親直伝の線香花火長持ち方法を試し、見事に失敗して。2本くっつけて火をつけてみたり、瀬名先輩の花火を邪魔してみたり。まさか海に来るなんてと思っていたが、すっかりとこの小さな花火大会を楽しんでいた。ここに連れ出してくれたのは、きっと普段素直になれない先輩なりの、私へのご褒美。珍しい彼の厚意だ。この際放り出した課題のことは忘れておこう。
 確かに今年の夏は憧れていたものとは違ったけれど、こうして瀬名先輩とくだらない話をして過ごすのも悪くはなくて。むしろとても居心地が良い。ずっと続けばいいななんて、図々しくも思ってしまう。でもそんな彼は3年生で、来年隣にはいない。

 気付けば最後の2本となっていた。ほとんど私が実験と称して遊んでいて、先輩がそれを眺めるだけだったけれど。最後はせっかくなのでと、二人で分けあった。始めた頃に比べ短くなったろうそくに、再び始めたときのように二人で先端を火を灯す。
「そうだ先輩、勝負しましょう!」
「勝負?」
「よくあるじゃないですか。どっちが長くもつかって」
「相変わらず発想がガキだよねぇ」
「私、駅裏の隠れた名店とか言われてる、朝8時から並ばないと買えない黄金プリンが食べたいです!」
「それ、あんたが食べたいやつじゃん」
「私が負けても、ちゃんと買ってきてあげますよ」
「当たり前でしょ。てか、別に俺は興味ないんだけどぉ」
「じゃあ、先輩は何が良いんですか?」
 体型に気を遣う瀬名先輩だから、スムージーとか豆乳?まあ何にしても負ける気はないので、プリンは私のものだけど。波の音と火花の音の間に、小さく息を吸う音が私の耳に届く。
「俺が勝ったら、来年もこうやって花火付き合ってよ」
 落とさないようにと、大切に育てていた灯火から目を離し、思わず顔をあげる。すっかりと周囲は暗くなっていて気付かなかったけれど、ろうそくの火と線香花火の灯りで照らされた彼の顔は思っていたより近かった。
 でも、そんな彼の視線の先は手元の花。
「ほら、ちゃんと集中してないとプリン食べられないよぉ」
 そんな優しい声で。そんな優しい顔で。そんなの、ずるい。この頬の赤みは、決して海の肌寒さや火花の熱が原因ではないことは私が一番分かっている。そして彼はまだそれに気付いていない。
「…花火だけですか?」
 私の小さな抵抗。彼と目が合う直前、視界の端で、私の育てていた灯火がゆっくりと地に沈んでいくのが見えた。
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