淡雪に残す

 カラッと乾いた空気が、マフラーから出た頬や耳を突き刺す。泉は肩をすぼませながら学院の渡り廊下を歩いていた。予報では雪が降るといっていたから、交通渋滞を予測して家を早めに出たけれど、どうやら早く着きすぎたらしい。校舎にいつもの賑わいはなく、廊下を歩く泉の足音だけが響いていた。
 いや、違った。泉が鳴らすものと違う、何かを踏みしめるような音が耳に入った。
「名前、そんなとこで何してるのぉ」
 真っ白な雪の絨毯の上に数歩、跡を付けた先にしゃがみ込む人物がいた。この校舎でスカートを履く人間は限られる。加えてこんな冷え込んだ日に外へ出るような、理解できない行動を取る者は泉の知る限り一人しかいなかった。
 服についていた雪を払い、立ち上がった少女は笑顔で振り向く。コートを着ているだけで、十分な防寒もしていないせいか、頬を赤らめていた。
「あ、瀬名先輩、おはようございます。今日は早いんですね」
「……おはよう。で、雪が積もるぐらい寒い中、間抜けな俺の後輩はいったい何やってるんだろうねぇ」
「初雪ですからね。ちょっと遊んでみたくて。でもそんなに積もってないから明日になったら溶けちゃいそう」
 靴が少し埋もれる程度の積雪。もしかしたら昼には溶けてなくなってしまっているかもしれない。まあ初雪なんてこんなものだ。
 まさか雪が降ったからという理由で、こんな早くに登校してきたわけではないだろうか。雪を踏み鳴らしながら近づいてきた彼女は、今の状況など取るに足らないとでも言うようにいつも通り。しかしスカートから伸びる足が妙に痛々しい。
「どこ見てるんですか」
 視線に気付いたのか、名前は晒された太ももを手で覆うけれど、そういうことではない。泉は自分のしていたマフラーを取り、彼女に二周巻き付けて後ろで結んでやった。さすがにパンツを貸してやることはできないが、少しは暖が取れるだろう。きつめに結んでやれば、うめき声が聞こえて少し笑う。彼女は隠れた口元の代わりに、もの言いたげな目を寄こしてきた。
「あんた、マフラー持ってたよね」
「教室に置いてきちゃいました。でもこれじゃ、瀬名先輩が冷えちゃう」
「寒そうな格好してる奴が悪い。ほら、さっさと中に入るよぉ」
 マフラーを貸してしまったから、首から熱が奪われ全身が冷え始める。ここまで人影がないならば、おそらくクラスメイトだって誰も来ていないはず。だからこそ、早く暖房をつけに教室へ向かいたいところだが。
 泉は校舎へ戻ろうと踵を返すが、彼女の足はそこから動かない。代わりに足元の雪を、冬用でもなんでもない運動靴で左右に払っていた。
「真新しい雪の上って、最初に足跡付けたくなりませんか?」
「小学生?」
「失礼ですね。純粋な心を持っていると言ってください」
 頬を膨らます顔は、純粋なんて聞こえの良いものでなくガキのそれ。
「新しいノートに初めて字を書く時とか、買ったばかりの本に折り目を付ける時とか。綺麗なものを汚したくなる感じ。瀬名先輩もあるでしょう?」
 そう無邪気に笑う名前を見て思う。確かにその通りだ。綺麗なものは汚したくなる。けれど泉が思い浮かべたのは、彼女とはきっと違う。子供みたいな無垢なものでなく、むしろ後ろめたいもの。
 とくに名前に対しては。
「瀬名先輩?」
 名を呼ばれてドキっとする。こんな邪な感情を抱いていることを知られたら。こんな自分が彼女に触れてしまったら。いったいどうなってしまうのだろう。
 しかし真っ白な彼女はなんの疑いもなく、泉の手を掴んだ。
「つめたっ!」
「はは、せっかくですから、一緒にどうですか」
 さっきまで雪を触っていた手だから、氷のようにひどく冷たい。その手は泉を中庭へ連れ出す。一歩、二歩と純白のキャンバスに二種類の足跡が付いていく。
「ちょっとぉ」
「瀬名先輩も共犯ですからね」
 別に誰に悪いことをしているというわけではないのに。悪戯をしかけてやろうみたいな姿は、やっぱりまだまだガキだ。この感情に気付かれるようなことがあっても、それはずっと先に決まってる。
 泉の白い吐息は、すぐに宙に溶けて消える。
 外の空気は凍えるし、掴まれる手は冷たいし。それでも楽しそうに跡を残していく名前に笑みをこぼす。泉から手を離すことは出来ない。だから今はこの不純な気持ちをしまうことで、純な彼女に触れる。ただ、しまいきれなかった分だけはと、らしくもなく彼女の隣で自ら白に足を踏み入れた。
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