romantic mauve

 芸能人だ。
 瀬名泉に抱いた第一印象は、そんな小学生じみたものだった。
 高校まで地元で過ごし、過保護な両親をなんとか言いくるめ、一人暮らしのために都心の大学へと進学した。バイトとサークルに明け暮れた学生生活の後、そこそこ名のあるメーカーの子会社に就職。繁盛期こそ残業はあるものの、有給は取れるし一人で生活するには十分な給料を頂いている。可も不可もなく。そんなザ・普通代表の私が有名人である瀬名泉と接点をもつことになったきっかけは、運命なんてドラマチックなものではなかった。
 TV番組の企画でうちの会社が関わることになり、上司と共に打ち合わせへ行くと、部屋にやたらオーラを放つ人物がいた。それが瀬名泉との初対面であった。打ち合わせも終わり、番組プロデューサーと話し込む上司を置いて帰れず、自動販売機で飲み物でも買いに行こうと慣れない通路を歩いているところ話し掛けられた。
「その靴、イタリアのブランドのやつだよねぇ」
 初任給で両親のプレゼントと別に、自分へのご褒美として買ったのは、学生時代から憧れていたブランドのパンプスだった。

 好きなブランドと同い年。共通点はそれぐらいで、仕事も趣味も違う私達であったが不思議と話が合った。なんとなく連絡を取り合って、互いに都合が合えば食事に行く。友達。それが現在の私と彼の関係を名付けるのに相応しい言葉。だからふとテレビに映る彼を見て遠い存在であることを認識する度、胸が苦しくなる意味は知らない。この距離感のまま、心の裏でひっそりと育ち続ける感情には気付かないよう名前もつけずに蓋をした。
 でもそんな私の気持ちを知ってか知らずか、食事に誘われる頻度、連絡がくる頻度が増えていて。彼との距離は少しずつだが、確実に近くなっていた。同い年なんだからタメ口で良いなんて言われ続けているけれど、私の中でそれは距離を保ち続けるための道具の一つ。歳に比べ大人びた雰囲気だから気軽に話せないなんて言い訳。半分本当で半分嘘。

 今日も“夜時間空いてる?”なんて簡素なメッセージ一つで、いつもの2倍の速さで仕事を終わらせて美容室へと駆け込んだ。彼に指定されたバーの雰囲気は落ち着きがあって好みだったけど、新入社員から「初めて見たとき同期かと思ってました」なんて言われてしまう童顔な私は、入るのに少し躊躇した。カウンターの端の席。彼の行きつけらしく、マスターから配慮された人から見えづらい場所に二人で並んで座っている。
「そういえば、見ましたよCM」
「ん、なんの?」
「リップのやつですよ。Knightsでやってる」
 スマホの履歴の中で、昼休憩に見ていたコスメブランドのトップページを開いて見せる。5色の色鮮やかなリップをメインにしつつも、それを手にしている麗しい男性達に目が惹かれる。
 コスメのイメージモデルといえば、普通は女性タレントを起用するものであるが、そのコスメブランドは少し前からKnightsを起用している。“誰でも素敵なお姫様になれる”をコンセプトにしており、彼らは消費者である我々を姫と見立てたときの騎士。これがなかなかに好評なようで、新作が出る度に世の女性達は色めき立つ。
 もちろんコスメ自体もデパコスよりも抑えめな値段にも関わらず質が良いと、コスメ好きからも人気なようだ。今回も今の季節に相応しい新作リップティントということで、先日からCMが放映されている。
「新色5色がちょうど5人に当てはめられてる演出が良いですよね。月永さんがテラコッタ、瀬名さんがモーヴピンク、朔間さんがバーガンディー、鳴上さんがベージュブラウン、朱桜さんがレッドで。皆さんとても素敵でした!」
「そう?ありがとう。イメージ合ってたでしょ」
「はい!後輩がどれも素敵すぎて全色買いするなんて言ってましたよ。私も全部欲しいですけど、流石にお財布が寂しくなっちゃうので、今回は一色で我慢します」
「へぇ。どの色にするの?」
「えっと…」
 買おうと思っていた色はすでに決まっていたのに、その答えを言うことを躊躇ってしまう。何故ならば、それは瀬名さんが担当していたモーヴピンクだったから。いつもは明るいピンク系を選ぶことが多いけれど、あのCMを見たとき何故だかあの大人で上品さを持ったくすみカラーに惹かれたのだ。しかしそれを、本人を前にして言うことは気恥ずかしい。素直に言うことは出来ず、質問を質問で返す卑怯な手段を使うことにした。
「どの色が似合うと思います?」
「俺の」
 考えるそぶりもなく即座に出た答え。「俺の」なんて、あくまで色のことを指していると分かっているのに心臓が反応してしまう。
「……どうしてですか?」
「最初見たときに、あんたに似合いそうだと思ったから」
「…普段つけないような色じゃないですか」
「いつものピンク系も悪くはないけど…前から大人っぽい落ち着いた色も合うと思ってたんだよねぇ。こういう深みのある色はイメージ変わるし」
「そう…なんでしょうか?」
「まあ何より、俺以外の色つけて欲しくないんだけど」
息を呑む。最近の瀬名さんは、こういった思わせ振りな言動が多い気がする。私の反応を探りながら、どこまでなら大丈夫だろうかなんて石橋を叩いて確認するような。でも意気地のない私は、その言葉に聞こえないふりをする。
「せ、瀬名さんに言われたら買うしかないですね」
「次会うときに、つけてきてくれる?」
「…お望みでしたら」
「へぇ」
 アルコールが入っているせいか、少し下がった目尻。でもその瞳の奥は鋭い。いつもなら私が引けば、すぐに引いてくれるのに。今日の瀬名さんは意地悪だ。
「キス、しちゃうかもねぇ」
「…は!?」
 いきなり何を言い出すのかと思えば、彼は私のスマホ画面をその綺麗な指先で軽く叩いた。液晶にはコスメブランドのトップページが開いたままで。
“キスしたくなる唇に”
 今回のリップティントのキャッチコピー。顔が熱くなるのが分かる。そんなつもりじゃなかったのに。
「瀬名さん、酔ってますよね?眠くなる前に帰りましょう。タクシー私呼んで…っ」
 スマホをバッグに仕舞おうと手を伸ばすが、触れる前にその手を掴まれてしまった。振り払おうにも、彼の目によって金縛りにあったように動けなくなる。
「ねぇ。俺、もう我慢の限界なんだけど」
「何が…」
「その気付いてないふり、いい加減やめなよ。俺は気付いてるよ。自分の気持ちも、あんたの気持ちも」
「ちょっと待って…」
 掴まれた手は瀬名さんの口元に持っていかれ、そのまま手首の内側に柔らかな感触。
「次にする?それとも、今しちゃう?」
 キス、と手首を通して伝わる音に、もう逃げ場がないことを悟った。

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