dolce text | ナノ
例えば、ぬくもりが 恋しい理由
冷たい風が、ひゅうっとひと吹き。 先日までは少し動いただけで暑かったこの気候も、毎日少しずつ冬の寒さへと向かっていた。 乾いた空気がさっと吹き抜けて、後ろに束ねている毛先を揺らす。はぁっと吐く息はさすがにまだ白くはない。
家から近いスーパーに入ると、改めて外の気温が低い事を思い知らされる。微かでも風が吹いているか吹いていないかだけで、こんなにも体感温度が違うなんて。
切らしていたバターは少し多めに、チョコチップとココアパウダーを一袋ずつ、スーパー専用のかごに入れてレジで会計を済ます。 シナモンと紅茶は買ってきてあると言っていたからこんなものでいいだろう。スーパーの袋に先程購入したものを無造作に押し込んで、また寒い街へと繰り出す。
でも、この季節は嫌いではない。
食べ物が美味しい季節だし、暑さにばててしまう事もないし、洋服の温度調節さえ気をつければとても過ごしやすいし。それに、自然界の緑が赤に染まってゆくあの雰囲気も何だかいい。人肌恋しくなる季節でもあるから、自ら手を繋ぐ口実もできる…、なんて考えているのは自分だけの秘密だけれど。 とにかく、秋は嫌いじゃない。
そんなことを考えながら足早にアスファルトの道を歩いていれば、あっという間に家についてしまう距離にスーパーはあるのだ。これが結構便利。
がちゃりと音を立ててドアを引いた。ただいまー、と少し大きい声で放って両足をうまく使って靴を脱ぐ。 そして靴が脱げたと同時にドアが静かに閉まり、靴下になったオレはリビングのキッチンの方へ向かう。
「おかえり、早かったね」 「だって近いじゃん、あそこのスーパー」
買ってきたものを袋ごとはい、と手渡せば、ありがとう、と彼はそれを受け取る。外気に晒されて少し冷えたオレの指先と、家に居てあたたかいままのヒロトの指先とが、触れた。 そのまま、スーパーの袋を差し出した右手ごとヒロトの右手に捕まって、白い指がオレの四本の指先を優しく包み込んだ。
「寒かった?」 「まぁ、少しは…」
まるで大事なものを触れるようなその手つきに、思わず少しどきりと心臓が跳ねる。 ただ、片手を重ねているだけなのに。 ふふっといつものように微笑むヒロトの手はいつもオレより体温が低いのに、今は確実に指先に体温を取り戻してくれる。
と、甘い香りが微かに鼻を掠め、漸く買い物へ行った目的を思い出した。
「クッキーできそう?」 「うん、もうすぐ焼けそうだよ」 「そういえば、帰ってきて手洗ってない…」 「洗っておいで、あったかいココア入れておくから」
ぱっと離れた右手は、がさごそと音を立てながらスーパー袋の中のものを取り出しにかかった。
オレの右手は、包み込まれていた部分だけがじわりと優しい熱を持っていて、宙にあるまま。ゆっくりと左手でその熱に触れてみるけど、右手にあったのはいつもと変わらない体温を取り戻した指先だけ。
そんな様子をヒロトに見られて、彼は両手にミトンをしてオーブンからクッキーを取り出しているところだった。
甘く優しい匂いが余計に鼻を薫ずる。
「なに?名残惜しいの?」 「なっ…べ、つに、そんなんじゃないし…」 「わかりやすいね」 「…手、洗ってくる…っ」
ヒロトはこうやってすぐオレの気持ちを見抜く。いつもそう。ヒロトの考えている事なんて俺は全くわからないのに、と以前言ったら、それでいいんだよと頭を撫でられた。
ヒロトばかりずるい。
キッチンに背を向けリビングから出て、洗面台へと向かう。 手を洗ったらせっかくあたためてもらった指先、また冷たくなっちゃうよな…なんて姿見を見上げれば、写るのは少し頬が上気した自分の姿。
例えば、ぬくもりが恋しい理由
(ほら、秋はもうすぐそこまで来てるんだよ)
リビングに入ると、第一弾のクッキーが綺麗にお皿に並べられていて、隣に湯気の立ったココアが注がれたカップが置かれていた。 ヒロトは早速第二弾のクッキーに取り掛かっていた。生地に先程買ってきたチョコチップを混ぜて、型抜きをしているところだ。
「食べてていいよ、オーブンに入れ終わったらそっちに行くから」 「じゃあ、…いただきまーす!」
テーブルにつき、出来たてでまだあたたかいクッキーをひとつ頬張る。味付けがバターだけの、シンプルなクッキー。甘さがちょうどよくて、さくっとしていてとても美味しい。
「どう?」 「すごくおいしい…!これ、本当に初めて作ったの?」 「うん、前に姉さんの作ってるのを手伝った事はあるけれど、全部一人で作るのは初めてかな」
ヒロトは本当にすごい。何でもかんでもうまくこなしてしまうその才能は、サッカーはもちろんの事、日常のいたるところでも発揮される。不器用な自分と違って、器用な彼には当たり前の事だが憧れる。
「気に入ってもらえてよかったよ」
ふっとキッチンからこちらに向かって微笑むヒロトは、とても嬉しそうで。
傍らにおいてあったまだ熱いココアを息を吹きかけて冷ましていると、何故だか可愛いと笑われた。
そんな、ある秋に近づく季節の 日常の話。
end
*****
2010年10月拍手文でした。
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