dolce text | ナノ



今日で最後



明日で俺達の世界は終わる。

今日で最後の一緒の晩ご飯、今日で最後の一緒のテレビ、今日で最後の一緒のお風呂、今日で最後の一緒のベッド。今日はやる事成す事総てに『今日で最後』が付く。だからせめてなんの変哲もない日常風景でも、目に、脳に、焼き付けておこうと思った。そのなんの変哲もない日常風景も『今日で最後』だったから。

明日になってしまうのが嫌だったから、ベッドに潜り込んだ後もスタンドライトの明かりを弱く燈して二人で話していた。
寝なければ明日は来ない、なんて事はない。寝なくてもいつかひぐらしは鳴くし鳥も囀るし朝日も昇る。時は時に残酷。止まってしまえばいいのに。
不可能だとわかってるからそれに少しでも抗いたくて、眠い目を擦りながらも無理矢理『今日』に踏み止まっていた。


「明日から敬語だよ。おかしいよね、ヒロトに敬語なんて」
「俺なんかファーストランクのキャプテンだって。しかも晴矢と風介と」
「あの二人って仲いいけどケンカばっかで、ヒロトが大変そう」
「リュウジだって、ジェミニストームが先陣切るんでしょ」
「…そう、だよ」

弱く燈したスタンドライトの光を受けて、揺れる瞳。無理にへへっ、と笑う隣の彼を見て、本当に明日なんか来なければいいのに、とどこにぶつければいいか解らない静かな怒りを覚える。

「失敗しないといいんだけど…」
「大丈夫だよ、だってあれだけ練習したんだから」
「だといいけど…」

ふぁあっと欠伸を零す彼。
スタンドライトの橙の弱い光を頼りに目覚まし時計を見遣れば、既に二時半が過ぎていた。


「ねぇ、ヒロト」
「なに?」
「名前、呼んで。たくさん」
「リュウジ」
「ヒロト」
「リュウジ」
「ヒロト、もっと」
「リュウジ、俺の大好きなリュウジ」
「ヒロト、俺も大好き」
「…リュウジ」

たくさん名前を呼び合った。『今日で最後』だから。明日からは「レーゼ」と「グラン」になる。だから忘れないように。
抱き合ってお互いの名前を紡ぐ。いつの間にか力が入った腕を背中に回してぎゅうぎゅう抱きしめる。無意識に瞳から溢れる液体の粒で互いの衣服を濡らすことも厭わずに。耳に、脳に、唇に、心に、自分とお互いの名前を刻み込むように、鳴咽混じりの震えた声で呼び続ける。


「…ほんとうは、はなれたくない」
「それは俺も同じだから…」

わがままだって知ってる。だからこそ口にした。
『今日で最後』のわがまま。


「あのさ、ヒロトの名前を呼ぶ度、胸が苦しいんだ」
「うん」
「きっとさ、これが『愛』っていうものなんじゃないかって思うんだ」
「どうして?」
「今まで味わったことのない苦しみだから…」

抱き合ったままの腕を少し緩めて彼の顔を伺えば、目が合ったその黒い瞳から流れ出た涙で頬は湿っていて、それでもにこりと微笑んだ。上気したその頬を撫でて、つられて自分も穏やかな表情になる。

「リュウジ、愛してる」
「俺もヒロトの事、愛してる」

ずっと、と口にした黒の瞳がまた揺れる。鼻をすんと鳴らして、こちらに微笑む唇。柔らかい桃色の頬。すべて愛おしい。
ゆっくりと近づいて呼吸を奪う。ねっとりと深いくちづけを交わし、咥内を舌でまさぐる。唾液でぴちゃぴちゃと音を鳴らせて、聴覚的官能を刺激する。
そっと離した頃には肩で息をしていて、座った瞳が色っぽかった。
これが『今日で最後』のキス。


「ぜんぶ、忘れちゃうんだよね」
「俺が全部覚えていてあげるよ」
「だめ、それじゃヒロトが辛いだけ」
「リュウジの苦しみに比べたらどうって事ないよ。それに、」
「それに?」
「全力で思い出させてあげるから。嫌とは言わせないよ」
「、うん」

エイリア石の影響を受ける彼は、今日在った事含め今までの過去総ての記憶が抹消される。もちろん自分自身の事もすべて。
それは、『今日で最後』の約束。


「リュウジ、俺すごく今幸せな気分なんだ。おかしいよね、今日で終わりなのに」
「うん、おかしい。…ヒロト、俺も今までにないくらい幸せ」

お互い笑い合って、そっと抱き合う。ゆったりと落ちる瞼。耳を掠めるのは、『今日で最後』の「おやすみ」という柔らかい声音だった。


これが『今日で最後』の思い出。
これが『今日で最後』の二人の記憶。




今日で最後

俺達は、しあわせでした。




























「レーゼ、何か思い残す事は?」
「…ありません」
「そう。じゃあ、」

ふっと笑みを零して、立ち上がって平伏す彼に近づき、髪の毛を引っ張って無理矢理立たせる。胸元で怪しく輝く紫のそれに手をかけた。

「さようなら、レーゼ」
「さようなら…グラン様…」

すうっと潔く目を閉じた彼から、勢いよくその紫の石をもぎ取った。



記憶を共有したのはヒロトで、記憶を無くすのはグランで、記憶を思い出させるのはヒロト。

(矛盾ばっかだなぁ)

他人事のように呟いた「グラン」の言葉は、妙に渇いていた。











end









*****

エイリア襲撃の前夜。今更な気もしますが切ないのが書きたくなりまして…。せめて前夜くらいは幸せであって欲しい。


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