dolce text | ナノ



『心臓』が尽きるまで Sample






  〜プロローグ〜


 この世に生を受けた人は皆、誰しも『心(ココロ)』を持って生まれてきます。
 そして生まれ持った『心』は、『命(イノチ)』と同じくらいとても大切なものです。それは『命』が身体の電池であり、『心』が精神の電池であるからです。
 雫の形をした宝石のような『心』ですが、実は完全なひとつではないのです。人が初めから持っている『心』は、実は半分だけなのです。

 では、もう半分はどこにあるのでしょう。

 実際、もう半分の『心』はどうしても自分の力だけでは手に入りません。何故なら、人が皆半分の『心』しか持ち得ていないからなのです。それでも人々は、半分だけでは未完成で不安定な『心』のもう半分を、自然に探し求めるようになるのです。

 そうして、天文学的数字で表されるほどの人類の中にたったひとつだけある、色も型も大きさも総て自分の『心』と共鳴するもう半分の『心』を探し出したとき、ふたつの『心』はこの世のものとは思えないくらいの綺麗な光を放ち、やがて完全な一個体である『心臓(ハート)』、つまりひとつになるのです。

 二人は誓いとして接吻を交わし、そのひとつになった二人の『心』を末永く大切にしていく事が「永遠の愛の誓い」だと、昔からの言い伝えがありました。





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 それからオレは毎日、出来るだけ太陽がまだ高く昇っていないうちから沈むまで、 彼の事を知る為、たくさん話をする為、病室を訪ねる事にした。
ヒロトの事をひとつ、またひとつと知る度、もっと彼の事を知りたくなった。
 パン屋の主人お手製の菓子パンを手土産に持っていけば、ヒロトが実は甘すぎるものが苦手な事を知れたし、そんな甘ったるいパンをヒロトの着替えを持ってくるハルヤについてきた噂のもう一人の同居人(フウスケというらしい)が、うまいうまいと言いながら食べてくれ何だか仲良くなれてしまったし、嬉しいことや楽しい事ばかりだった。
 そんな様子でヒロトの病室に通うなって数日、心配した様子で何を尋ねられるのかと思えば。

 「最近毎日ここに来てるけど、つまらなくない?」
 オレが無理して来ているとでも思って心配してくれているのだろう。でもオレは、育った孤児院くらいにしか友達はおらず、純粋にヒロトや偶に現れるハルヤやフウスケと話すのが楽しかった。無理やり知ろうなんて微塵も思っていない。
 「楽しいよ、ここに来てから毎日」
 「そういえば、最近胸の内に痛みが走らないもんね…それが何よりの証拠って事か…」

 ヒロトの放った言葉に首を傾げると、少々分厚く難しい本を取り出し、栞が挟まれた頁を開いて彼は言う。
 「『心臓』についてはまだ謎が多いんだって。専門書にちょっと目を通してたら気になる文書を見つけてね。リュウジは『心』が融合してから胸の内がびりびりと痛む事なかった?」
 「それなら何度か……激痛も二回くらいあった」
 「その痛みが『心臓』の相手、つまりリュウジで言う俺が精神的に辛いと感じている時らしいんだ。因みに俺も痛い時が何度もあった」

 初めて知った事柄に、思わずへぇ、と感嘆を漏らす。
「辛いと自覚がなくても相手にはそれが伝わる。『心』が繋がっているから相手の異変に気付けるし想える。『心臓』ってすごいよね」
どこかで聞いた事がある。泣く事は一人でもできるが、笑う事は一人ではできないと。まさに『心臓』はそれを形にしたようなものだ。全くヒロトの言う通りだった。『心臓』はすごいと思う。

 そしてヒロトは少々難しい本も読むのだとまたひとつ知ることができた。料理もできるって言ってたし、頭もよくて容姿も贔屓目抜きでかっこいい。少し意地悪でひねくれてる部分もあるけど俺なんかに気を使ってくれてとても優しく、そのくせ大人びてて色っぽい。彼の粗探しをしても見つからないんじゃないかと思うくらい完璧だ。それに対してオレは…。

 「ヒロトは、そんな相手がオレでいいの…?」

 料理なんてパン屋を手伝うくらいの事しかできないし、不器用でそそっかしいくて空回りばかりしてるし、意外と卑屈なくせに負けず嫌いで頑固。自分の粗なんていくらでも挙がる。そんなオレと釣り合う気がしない。ヒロトの事を知れば知るほど、確かにもっと知りたくもなったが、不安も募った。
 「いいも何も、くっついてしまったものは元には戻せない。それにここ数日リュウジと話してて面白いし楽しい。言っただろ、既に俺はお前の『心』に惹かれてるって」
 吸い込まれてしまいそうな優しい緑の瞳に真っ直ぐ見つめらる。彼はそっと微笑んだ。耳の脇のひょんとはねた髪が少し揺れる。透けてしまいそうな程白い肌の綺麗な指先で、頬に触れられた。

 「俺はお前の『心』に出会ったことを後悔していない、寧ろ感謝しているくらいだ。リュウジは自分が思っているよりもたくさんいいところがある」

 それはもう挙げたらきりがないくらいに。そう言って頬にあった右手で耳許の髪にそっと触れられた。少し体温の低い手の名残がオレの頬に残っていて、ほんのり熱を帯びたそこには気持ちいい。





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