dolce text | ナノ
キス ミー
30000〜90000! No.1
大事にされていることは分かっていた。 まるで壊れ物のガラスを扱うように俺に触れるそいつは、別にへたれてなんかいない。それどころか腹が立つくらいどこまでも紳士的で、俺がどんな我が儘を言ってもその笑顔を崩さず、そしてどこまでも俺を甘やかすのだ。
ある日、二人きりで部室に居た時の事。あいつは唐突に好きだと言ってきた。
そこそこ女子にモテているあいつが、男である俺に、だ。
まぁ、長い付き合いで俺も源田を嫌っている訳ではなかった。 寧ろあいつの隣が定位置だった俺は、あいつの隣を他の女に取られると思うと嫌で仕方なかったし、何より源田の隣は変に気取らなくていいから居心地がよかった。何かとメンタルが少し脆い俺(自覚はある)をさりげなく支えてくれるのもこいつだった。
つまりは、俺も源田が好きだったんだろう。
二つ返事で所謂恋人という関係になった俺達は、その日からもう随分経つというのに、間柄はそれ以前と殆ど全く変わってやいなかった。 抱きしめられるなんて事は何度かあったとしても、『それ以上』をあいつはしてこない。
「なぁ、源田」
授業をサボって部室にて二人きり、ユニフォームではなく制服を着込んだ背中をやつの背中にもたれ掛けながら、俺は呼び掛ける。
「俺達、一応付き合ってんだよな」 「俺はそのつもりだが…嫌か」 「嫌も何も“らしい事”ひとつもやってねーだろ」
今まで、自分から手を出そうなんて気は起きなかった。でも俺は確かに源田を好いていた。もちろん恋愛的意味で。
俺があいつから受けていると感じるものは、友人やチームメイトとして付き合っていた頃とさほど変わらぬ気遣いと、少し過剰なくらいの心配。
「確かにそうだな…」
渇いた笑いでそう呟く広い背中のこいつは、本当に優しい。
知っている。 手を出したら俺が汚れてしまうと思っていること。触れたら、ひびが入って壊れてしまうと思っていること。壊したくないから、俺に触れないこと。欲望を理性で抑えて笑っていること。そんな自分を情けないと思っていること。 俺の幸せを一番に考えてるくせに、恋人という言葉で自分の隣に縛っているなんて思ってること。
「あのな、確かに俺は女顔でこんなナリだけど、お前と同じ人間のオスなんだよ」
「お前がどこ触ろうが、力いっぱい抱き着こうが、俺は壊れねえんだよ」
「お前の優しさは、優し過ぎんだよ」
呟くように、俺は俯きながら言葉をぶつける。背中合わせのそいつが今どういう顔をしているかなんてことは、知らない。
言葉にしてみて初めて気付く、なんて事は嘘だと思っていた。 俯いた自分の視界が揺れて、歪んで、ぽとりという音を立て制服に濃い染みをつくる。 あぁ、俺はあいつに触れられたかった、のかもしれない。
すると突然項を擽る自分のものとは違う髪質と、肩に乗っかる重みと、腹に回されたいつもゴールを守る両手。
「すまんな、佐久間」
いつもの低い声で、いつも以上の優しい声で、いつもの源田じゃないみたいな声で囁かれた。
「俺、優しさでお前を傷つけてたんだな」 「遅ぇよ……ばか」
唯一の視界が揺れて歪んで雫を零す。瞬きをしても歪んだままの視界のせいで、制服はそこだけ水分が染みていく。 そんな雫を拭い取ったのは俺が一番よく知る指だった。そのまま優しく後ろを向かせられ、試合の時とはまた違ったぎらついた視線と目が合う。
俺の『知らない』源田。
瞳の奥底に潜むその淀んだぎらつきに、心臓がはねる音を自分の中で聞いた。
キス ミー
「…キスしろ」 「佐久間…」
甘く低く名前を呼ばれる。視線を絡めとられて次第に近付いてくるそいつの瞳に吸い込まれ、気が付けばそっと触れていた唇。
酷く優しいキスだった。
end
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