「リサ!」

その声に振り返ると、お母さんが手続きを済ませてこちらにやってくるところだった。おじいちゃんとおばあちゃんにあげるお土産を選んでいたわたしはかばんを持ちなおして背を起こした。

「どう?いいものあった?」
「うーん、……食べ物がいいのかな?」
「そうね……お仏壇のお供え物にもするだろうしその方がいいかもねえ」

お母さんはなにやらぶつぶつとつぶやきながら、土産物屋のなかを見てまわりはじめた。わたしはポケットから携帯電話を取り出して時間を確かめる。1時20分過ぎ。搭乗まであと1時間半以上もある。大きい方のかばんはもう預けちゃったし、空港でとくにすることはなかった。わたしは土産物屋を出て、つるつるした床にパンプスの音を響かせた。……飛行機に乗るのはいつ以来かな。小4の夏休みにおじいちゃんちに行って、それっきり、かな。向こうは田舎で、まわりは田んぼと畑と山と川で、30分くらい歩かないとコンビニがないんだよなあ。べつに嫌いなわけじゃあないけれど、都会での生活になれるとどうしても不便に感じるだろう。そんなことより、トイレがいまだに水洗じゃないのが問題だ。網戸に虫がいっぱいついてるから、入るたびにびくびくしていた記憶がある。ムカデやマムシも出るし、危険がたくさんだ。

大きな液晶テレビの前に並べられたイスのひとつに腰かけて、高い天井を見上げた。最後に東京をひとめぐりしたかったけど、そんな時間なかったなあ。 水族館とか、また行きたかったけど、仕方ないよね。 ゆっくり、頭をおろすと、左手の薬指できらりと指輪が光った。……照美くんがくれた、クリスマスプレゼント。

「……外しとこうかな」

搭乗前にはボディチェックがあるし、ひっかかると困る。 わたしの指に驚くほどぴったりだったそれを抜き取って、手のひらの上に置いた。……もう左手の薬指にはつけられない、なあ。

『さあー始まりました!冬期中学サッカー大会、開幕を飾る第一戦です!』

テレビから実況者のはきはきとした声がきこえてきて、わたしは顔をあげる。画面にうつる緑のグラウンド。そびえる観客席をうめつくす、人、人。やがて選手たちにカメラが向いて、ある選手がズームされていって、わたしは目が釘付けになる。

『それでは間もなく、御影専農対世宇子戦、キックオフです!』
――――照美、くん。





*





どさり、大量の袋をわたしのとなりの席において、お母さんはへなへなと座り込んだ。

「はあぁ〜、重たかったー……ちょっと、探したんだからねリサ」
「買いすぎだよお母さん。そんなに知り合いいたっけ」
「ばかねえこれはわたしが食べるのよ」
「……ああそう……」

わたしはため息をついて、テレビ画面に視線を戻した。前半も終盤に近づき、スコアは1-3で、世宇子中が押している。ちらちらとうつる金髪にばかり目がいく。 「あー、アフロディくん出てるじゃない!わたし彼のプレーすきなのよねー」 お母さんが呑気に言って、わたしは少なからずむかついてしまった。……だれのせいで、わたしたちはこんなことになったんだ。そりゃ、浮気してたお父さんももちろん悪いけど、浮気される原因を作ったお母さんにだって非はあるのだ。いまさらどうこう言ったって意味ないけど。

『ここでホイッスル!前半終了です!御影専農、後半で追い上げなるか!?それとも世宇子が逃げ切るか!?目が離せない展開です!!』

わたしは携帯電話のサイドキーを押して、時間を見た。搭乗まで、あと1時間を切った。後半45分、ギリギリ見れる、と思う。たぶん最後になるから、照美くんの姿をしっかり目に焼き付けておきたかった。……最後になる、から。





*





『決めたァー!!世宇子中アフロディ、華麗なシュートを決めました!!素晴らしいテクニックであっと言う間に5人を抜きさった!去年より衰えるどころかさらに進化を遂げています!かつて神といわれた実力はまだ健在のようです!!』

スカートのすそを握りしめる手に力が入った。照美くん、すごいや。プレーしてるところを見るのははじめてじゃないけど、今日は段違いに動きがいい。フィールドの上を滑るように動いて、パスをカットして、軽やかにつないで。照美くんがすごいのは重々承知していたけど、あらためて思った。彼はほんとにすごいひと。

……遠く遠く、感じた。

一時期はあんなに近く、手を伸ばしたらすぐ触れられる位置にいたのに、いまはもうちっとも届きやしない。元々ゆめみたいだとは思っていた。こんなきれいでかっこよくってやさしいひとが、わたしみたいなやつをすきになってくれるだなんて。いやもしかしたら全部ゆめだったのかも。わたしが照美くんをすきですきでたまらなくて見たゆめだったのかも。一種の自己暗示ってやつ? わたしは自分が照美くんの彼女なんだと思い込んでいただけかもしれない。だとしたらなんと自己中でふざまなおんなのこなの。…………なんてくだらない考えを、握った手の中にある指輪が全部かき消してしまう。わたしが照美くんをすきだったのは、すきなのは、事実だ。そして、照美くんがわたしをすきなのも――すきだったのも、事実だ。わたしはたしかに照美くんの彼女で、彼にだきしめられたりキスされたり、していたのも、ほんとうのことだ。でもじゃあどうして、わたしはこんなところにいるんだろう?どうして、あの観客席で彼を応援していないんだろう?照美くん、がんばって、って、なぜ本人に一度も言えてないんだろう?

「リサ?どこ行くの?」
「――ん、トイレ」

お母さんをひとり残し、わたしは席を立った。トイレに行く気なんてもちろんなく、ふらふらとその辺を歩く。……そういえばここ、屋上に上がれたんだっけ。思い立ったわたしはいちばん近くのエスカレーターに乗り、上の階に向かった。

ときたま冷たい風がひゅう、と吹くものの、屋上に差し込む光はあたたかく、なかなか居心地がいい。規則的に植えられた何本もの木の間をゆっくり歩きながら、わたしはいろんなことを思い出した。生まれてからずっと東京で暮らしてきたから、そりゃあたくさんの思い出がある。 自動販売機でカルピスソーダを買って、ベンチに腰かけた。屋上のはしの手すりのしたがガラス張りになっていて、そこから滑走路を走る飛行機が見えた。わたしも何分か後、あそこから飛び立つのだ。

「ふー……」

缶をあけると、プシュ、と炭酸が逃げる音。なんだかやるせない気持ちで見上げた空は眩しくて目が痛かった。いまだに、あんまり実感はない。生まれ育った東京を出るなんて、うそみたいだ。……うそならよかったんだけど。

屋上の床はプラスチック製の茶色いすのこで埋めつくされていて、パンプスのかかとがあたるたびにカコン、カコンと軽い音がした。――いっそこのまま、搭乗時間を過ぎるまでずっとここにいようかな。

「……あと30分」

携帯電話を握りしめて呟いた。……わたしがいなくなったら、お母さんはどうするかなあ。放っておくことはまずないと思う。じゃあ、必死になって探すんだろうか?放送で迷子の呼び出しをかけるだろうか?それでも見つからなかったら、どうするんだろう。
誰かがわたしを連れ去ってくれないかな、と半ば本気でそう思った。誰でもいい。わたしを拐っていってほしい。東京に、稲妻町にいられるようにしてほしい。――なんて、お母さんを悲しませるようなことをしたら、きっと照美くんはほんとにわたしを軽蔑するだろう。照美くんにきらわれることは、わたしにとって、稲妻町をはなれるよりつらいこと。だから、それだけは避けたい。なら、やっぱりわたしはこのままちゃんと搭乗時間までにお母さんのところに帰って、ボディチェック受けて、飛行機に乗り込んで、東京とばいばいしなきゃならない。わたしにとって苦痛じゃない選択肢なんてどこにもない。


カルピスソーダを飲み干したとき、携帯電話のサブディスプレイがきらきら光って、メールが来たことを知らせた。案の定お母さんからだった。搭乗時間まであと20分。





*





液晶テレビ前には、わたしがはなれたときと見違えるくらいの人が集まっていた。びっくりしたわたしがおろおろしてお母さんに電話すると、人混みかきわけて来てみなさい!と叫ぶように言われた。怖じ気づきながらも人の間をすり抜けてそばにたどり着くと、わたしがまだなにも言わないうちにお母さんが 「テレビ!」 と興奮した声で言った。いったいなんだとテレビを見ると、御影専農VS世宇子戦がクライマックスに突入していた。 激しいボールの奪い合いを制し御影専農のゴールの前に躍り出たのは、――照美くん、まさにそのひとだった。

「アフロディくん、いけーっ!!」

お母さんが女子高生顔負けの黄色い声で叫ぶ。照美くんがシュートを打つ体勢に入り、テレビを取り囲むひとたちが息をのむ――、

『ゴオォォオール!!世宇子中アフロディ、またもや彼が決めましたァーッ!!――っと、ここで試合終了のホイッスル!!4-7!世宇子中の勝利です!!』

まわりのひとたちが喚声をあげて、その大きさにわたしは思わず飛び上がった。ぜ、世宇子中ってこんなに人気だったの……?

「リサ!リサ!アフロディくん!すごい!!」

きゃあきゃあ喜ぶお母さんを横に、わたしは呆然と突っ立っていた。照美くん、……照美くん、どうしよう、わたし、どうしよう。屋上でお母さんから、そろそろ行くから戻ってきなさい、ってメールがきたとき、わたしは覚悟をきめたはずだったのに。後悔しないって。未練残さないって。照美くんといっしょにいられたあのきらきらした日々を、綺麗な綺麗な思い出にしよう、って、きめた、のに。いまさらこんなに、照美くんをすきなきもちがあふれでてくるだなんて。

『こちら現場レポーターです!試合後の世宇子中選手に突撃取材してきたいと思います!――ええと、やっぱり彼がいいですかね――』

ぱたぱたとフィールドを走っていくレポーターのお姉さんと、それを追いかけて揺れるカメラ。画面にうつった金色の髪。 『すいませーん、アフロディくん!試合後の感想をお聞かせ願えますか?』 タオルで汗を拭いていた照美くんが顔をあげる。わたしの心臓がどくんと脈をうつ。

『……ごめんなさい、僕急いでるんで、他の選手にあたってくださいますか』
『え、えっと、もう控室に戻られるんですか?まだ監督とか、他のみなさんも――』
『行かなきゃいけないところがあるんです』

レポーターもカメラにも一瞥もくれず、照美くんはフィールドの出入口に向かってすたすたと歩きはじめる。レポーターが必死に彼を追いかけてマイクを差し出す。 『ど、どこに行かれるんですか?大事な用事なんですか?』 『ええ、とても大事です。それじゃ』 『あ、待ってください、あの、一言でいいです、ファンの方々になにかコメントを――』 照美くんはぴたりと足をとめて振り返った。画面越しにわたしと目が合う。 『じゃあ、一言だけ』 レポーターの持つマイクに向かって、彼が言う。

『今行くからね』




19:/せかいでいちばん
いとしいきみへ、








「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -