「なにを隠してるの?」

照美くんは、えがおだった。すこしこまったような、ふあんげなわらいかた。わたしはもちろん照美くんにそんな顔をさせたかったわけじゃなかったから、なんて答えたらいいのかわからなかった。隠してるつもりはない、けど、わざわざ言うことでもないと思っていた。だってこれはわたしと、わたしの家の問題だから。

「照美く」
「きみが言いたくないんだったらいいやって思ってた。無理に聞くことはしたくないし。でもさ、きみ、あきらかにおかしいよ、今日。ずっとそわそわしてるし、顔色も優れないし。ねえ、何があったの?教えてよ、きみのちからになりたい。それとも、僕が知っちゃいけないことなの?」
「そういうわけじゃ……、わたしは、……でも照美くんには、か、関係のないはなしなの」

照美くんの眉がきゅっとつりあがった。怒らせてしまったんだ。……照美くんが、わたしを心配して言ってくれてるのは、わかる。でも、でもだからって、照美くんとばいばいしなきゃいけないかもだなんて、そんなの言えない。それにまだ、正式に決まったわけじゃない。離婚届に、お父さんとお母さんが名前を書かなかったらいいのだ。わたしがそれをなんとか食い止められれば、お母さんが家を出ていくことはないはずだ。そして、わたしがお母さんといっしょに稲妻町をはなれることも、ない、はずなのだ。

「……なあに、それ。……ねえもしかしてさ、きみ、」
「え?」
「……いや、ううんなんでもない、いまのは忘れて」
「な、なに?どうしたの」
「なんでもないって」

照美くんの声はいつになくぶっきらぼうで、冷たかった。わたしのこころに、ずんと罪悪感がのしかかる。どうしよう、どうしよう、言えないよ。もしほんとうに離婚なんてことになったら、わたしと照美くんは離ればなれになっちゃうの?じゃあ別れよう、みたいな流れになったら、わたしは、きっとつらくてしんでしまうと思う。よくて遠距離恋愛になったとして、もし照美くんがわたしに冷めちゃったり、ほかの女の子をすきになっちゃったりしたら。

「……ごめんね、照美くん」
「そんな言葉は、ききたくないんだ」

照美くんがわたしの両肩に手をおいてうなだれた。わたしは話すことも動くこともできずにただ突っ立ったままでいた。からだをなでていく風はちくちくと指すように冷たい。薄い紫の空の底に沈みはじめているのは、あたたかみのない、照美くんと出会って間もないころのとは別の太陽みたいだった。

「……どうしても言えないんだね?」
「言えない、……ことは、ないけど」
「それを言ったら僕がきみをてばなすとでも思ってる?」
「……え、っ?で、でもわたし、……えっと……」

てばなす、って、どういうこと?もしかしてばれてるの?わたしが東京を出ていくかもしれないこと、照美くんは薄々感づいている?でもいまの言い方じゃ、……わたしがほんとうのことを言ってもてばなす気はない、ということ、かな。じゃあ、言っても大丈夫なんじゃないだろうか。わたしはいちど大きく深呼吸をして、覚悟をきめた。 「……て、照美くん、あのね、ずっと黙ってたんだけど、わたしんち、お父さんとお母さんの仲があんまりよくなくって」 家の前だから、なるべく小さな声で話した。お母さん本人に聞かれるわけにはいかない。 「それでね、……今度、り、りこん、……離婚するん、だっ、て」 ぱたぱたっ、と落ちた水滴が、コンクリートに染み込んでいった。涙と気づくまで時間がかかった。おかしい、だってわたし、お母さんに離婚することを告げられた日には少しも泣かなかったのに。……どうしてわたしは、照美くんの前になるとこんなによわくなってしまうんだろう。

「っう、て、るみくん、どう、しよ……っわたし、どうしたらいいのかなあ、」

目の前にいる照美くんにしがみついたら、あたまのうしろをやさしく撫でられた。だいすきなこの手はあと何回わたしに触れてくれるだろう?お父さんとお母さんは離婚する、たぶんわたしにはとめられない。離婚届なんてもう書いちゃってるかもしれない。 「照美くんと、はなれるなんて、やだ、……ぜったいやだ……!」 お父さんと稲妻町に、この家に残るという手もある、でも、お母さんをひとりにはしたくない。それにお母さんが出ていったら、お父さんはたぶん浮気相手の女のひとをこの家に入れるんだろう。そのひとが、わたしの新しい母親になるなんて、そんなの当然いやだし、その前にまずわたしなんて邪魔だから追い出されちゃうかもしれない。そしたらやっぱりお母さんといっしょにいるしかないけれど、稲妻町で部屋を借りて生活をするだけのお金はないし、残された道は、お母さんのお母さん、つまりおばあちゃんちに行くしかないのだ。東京から遠くはなれて。照美くんともはなれて。

「お母さんに、ついていくんだね」

照美くんの声はとても落ち着いていた。

「そうしたら僕らは会えなくなっちゃうなあ」
「……もし、かして、照美くん、……知ってた……?」
「うん、まあなんとなくそうかなって。電話してるとき、怒鳴り声とか聞こえてたし、きみはしょっちゅううかない顔してるしね。でもぜんぜん僕に教えてくれないから、もしかして浮気でもしてるのかと思って躍起になっちゃったよ、ごめんね」
「う……ううん、わたしこそ、隠しててごめんなさい……」

意地悪だった太陽が沈んでいく。夜がくる。でもわたしはどこか安堵していた。照美くんに、話した。照美くんならなんとかしてくれるかもしれない。はなればなれにならなくてすむようにしてくれるかもしれない、照美くん、照美くんなら 「行ってらっしゃい、リサさん」 ……、え?

するりと手がほどけて、わたしと照美くんのあいだに距離ができた。照美くんはうすくわらっていた。わたしも曖昧に微笑みかえした。……行ってらっしゃい、って、どういうこと?

「照美くん、」
「いつ行くの?冬休み?中学卒業してから?それとも今すぐ――」
「照美くん!」

わたしが叫ぶみたいに名前をよぶと、照美くんは目をぱちぱちさせて、 「なに?」 と聞いた。なに、じゃなくて。 「て、照美くんはへいきなの?わたし、帰ってこれるかわかんないよ。遠距離恋愛になっちゃうよ?いつ会えるかわからないよ、ねえ、照美くん」 わたしが必死に服をつかんで訴えても、照美くんはまたにこにこわらって、 「それがどうしたの?」 と言った。

「きみは、なに?はなればなれになったら、遠距離恋愛になったら、僕がきみをすきじゃなくなって、もしくはほかの誰かをすきになって、別れようなんて言い出すとでも思ってるの?みくびらないでくれるかな、僕はそんな男じゃないしそれくらいの気持ちできみを想ってるわけでもないよ。むしろきみの方が僕に冷めてしまうんじゃないかって、いつもいつも怖くて。きみと会えなくなるのがへいきなわけないだろう、僕はきみがいてくれないと発狂してしんじゃうくらいきみに依存してるのに。だけどさ、仕方がないでしょ?きみの親の考えることを僕が変えられたりはしないんだから。きみが東京をでてくのは避けられない運命だろ。僕はそれを受け入れるくらいしかないじゃないか。たとえどんなにいやだったとしても、行ってらっしゃいというしか、できないじゃないか」

あたりは、くらくて、街灯のあかりだけじゃ、照美くんの顔すらよく見えなかった。それは涙がたえまなく流れ続けているからかもしれないけど。 「照美くん、わたしのこと、すき?」 「うん」 「……わたしも照美くんがすきだよ」 「……うん、」 「照美くんだけが、すき」 「僕も、きみ以外いらない」 かみさまはいじわるだ。さいていだ。わたしたちはこんなにお互いに依存しているというのに、その仲を割こうだなんて、さいあくだ。めぐりあわせておいて、はなればなれにするなんて、そんなの、ひどいよ。

「照美くん、すき、……だいすき……」

照美くんの肩に顔をうずめて、ぼろぼろ、ぼろぼろ、泣いた。わたしと照美くんをみおろしている月は、くやしいくらいにきれいだった。このまま時がとまればいいのに、って、ほんきでそう思った。

照美くんとさよならなんか、したくなかった。




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