昔から、走ることはだいすきだった。

陸上をはじめたのは小学4年のとき。クラブ活動への参加が許されるようになって、わたしは友だち何人かとともに色んな部を見学に行った。友だちはかわいくて器用な子が多かったから、みんな手芸部や音楽部、工作部に入ると言っていた。わたしは特に器用でもなければ不器用でもなく、ただ、みんなが文化部に入るからわたしもと、その3つのなかで悩んでいた。 「手芸部にしようよ、お菓子食べれるらしいよ」 当時いちばん仲のよかった女の子がそう言ってきたから、うんいいよ、なんて軽い気持ちで、クラブの入部届に手芸部と書いて提出した、その日の帰り道。グラウンドを颯爽と駆け抜けていく、陸上部の部員をみたわたしは、どくん、どくんと、心臓がはげしく高なって、まばたきもわすれて、そのひとをみつめた。風のように、というのが、いちばんしっくりきた。わたしはたいして走るのがはやいわけじゃなかったけれど、でも思った。わたしもあんなふうに走りたい、と。気づいたときには職員室にかけこんで、入部届を返してもらって、走り書きのきたない字で陸上部、としるした。

それからもう5年以上たつけど、わたしはいままで、走るのをきらいだと思ったことは、1度だってなかった。

「……はぁ、はぁ、……っ」

いつの間にか景色はいつもの見慣れた町並みに戻っていた。稲妻町にかえってきたのだ。なにか尖ったものでも踏んでパンクしたのか、急に進まなくなった自転車は悪いと思いながらも道ばたにほうって、わたしは、走って、走って、走った。息がきれたけど、走った。途中で思った。 わたしはどうして照美くんから逃げてるんだろう? はじめて走るのをいやだと思った。 どうして、照美くんから逃げなきゃいけないんだろう。 でも逃げるしかなかった。だって、あんなのって。あんなの、ひどい、ひどいよ照美くん。 練習なんてうそだったの?ほんとはあのこと遊ぶためだった?あのこと付き合ってる?わたしなんか遊びだった?キス、とか、デートで、舞い上がってるわたしをみて、面白かった?照美くん、照美くん、わたしなんか、やっぱりあなたには釣り合わないみたいだね。

「ふっ、……うぇ」

どうせ追ってきてやしないんだ。
わたしは立ち止まって前屈みになり、膝に手をついて息を整えようとした。 もう、いやだ、なにもかも。わたし、ばかみたい。浮かれてたんだ、照美くんの彼女だから、って。ほんとばか。もうやだ、やだ、やだ。照美くんなんか、きらいだ。……なんて、うそ、まだすきだ。だいすきだ。でも照美くんはそうじゃないのかもしれない、わたしなんか、ほんとはこれっぽっちもすきじゃないのかも、しれない。 わるいほうにばかり考えて、吐き気がした。なみだが、ぼろぼろ、ぼろぼろ。ふらふら歩くわたしの足跡をつけるみたいにてんてんと、コンクリートにおちる。おなかのうえあたりがきゅうとしめつけられているような、へんなかんじがして、苦しかった。このかんじは、覚えがある。なつかしい。照美くんと出会うまえのわたしは、大会で走るまえになるとよくこんなふうに苦しくなったもんだ。たぶんストレスをかんじているのだ。照美くんをうしなうことは、わたしにとって、走れないのとおなじくらい、致命的なことなんだろう。だからからだが警報を発しているんだ。
道を行くひとたちが、わたしのことをじろじろとみていく。そりゃ、こんなきたない顔をして歩いてる女子中学生がいたら、みんなへんに思うだろう。だけどそんなの、どうだってよかった。わたしは照美くん以外なら、だれにきらわれたっていい。照美くん以外なら。

「さすが陸上部、脚、はやいね」

目の前に人影があらわれたので顔を上げると、困ったようにわらう照美くんがいて、わたしは驚愕した。うそ、 「この僕でも追いつくのに時間がかかっちゃったよ」 うそ、うそだ。だってわたしは途中まで自転車に乗っていたのだ。スピードもかなり出ていた。パンクして、わたしが自転車からおりて走ったとしても、ふつうの人間ならまず追いつけるはずがない。だとしたら、タクシーとか?でもそれならば、照美くんが珍しく、かすかに息を乱しているのは、なんで。

「て、照美く」
「突然行っちゃうからびっくりしたよ。なにか誤解させたみたいだね、ごめん」
「ど、して?なんで追いつけたの」
「……うーん、まあ、それはいまは置いとこうよ。あの子のことちゃんと説明したいから」

いやな予感がして、わたしはまた逃げ出したいと思ったのだけど、脚を動かすまえに照美くんに腕をつかまれてしまって、それはかなわなかった。 すごくすごく、怖かった。別れたい、終わりにしよう、もうやめたい、きらいになったんだ、すきじゃない。照美くんの口から、そのどれかを聞くのなんて、たえられるわけない。 「い、いや」 わたしは首を振った。 「やだ、いや、いやだ」 照美くんはあからさまにびっくりした顔をする。そういえばわたしが照美くんに、いやだなんて拒絶のことばをつかうのははじめてだ。照美くんといて、いやだなんて思ったことがなかったから。 「なにがいやなの」 照美くんはあやすみたいにやさしい声でわたしにそう言う。相変わらずぼたぼたとなみだをながしながら、わたしは首を横に振る。 「リサさん」 照美くんが眉間にすこしだけしわを寄せる。わたしはさらに怖くなって、照美くんにもっときらわれたと思って、ますますどうしていいかわからなくなって、いや、いやとばかり繰り返した。 照美くん、照美くん照美くん、きらいになっちゃやだ。 「照美、くんが、すきなの」 しぼりだした声は情けないくらいに震えていた。



10:/夢みるカーリー






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