R-15



数分後、ちらりと隣にいる彼女に目をやると、見えたのは華奢な背中だけで。舞い上がって空回りしている自分がなんだか馬鹿らしくなって、晴矢は聞こえない程度にため息を漏らした。そりゃあ、べつに、彼女に自分と同じような状態、心境を期待したわけじゃないけれど。久しぶりに同じベッドで眠るのだから、少しくらいは動揺の色を見せてくれたっていいんじゃないかと、理不尽な怒りを抱く。――わかっている、彼女が淡白な女の子であることは。それも含めてすきになったのだ、いまさらとやかく言うつもりはない。だけど――。 枕元に置いた携帯電話に手を伸ばし、時間を確認すると、丁度日付が変わる寸前であった。 べつに焦っているわけじゃない、 晴矢は自分にそう言い聞かせて、もう寝ようと思い身体をもぞもぞと動かし、彼女に背を向けた。自然、ふたりの間には隙間ができ、そこから冷たい空気が入り込んでくる。

冷え症というのはやっかいなものだ。なかなか脚も手も温かくならない。本当は彼女の高めの体温が恋しいけれど、背を向けられて明らかに拒まれているのに、そんなこと。 だいたいなにがいけなかったんだっけ。晴矢はゆっくりと瞼を落としながら、ついさっきまでのことを思いだそうとした。

他府県に単身稼ぎに出ていた彼女が久々に帰ってくるというから、最近奮発して借りたこの部屋に呼んで、せっかくだからと彼女が手料理を作ってくれて、それがとても美味しくて。向こうではちゃんと毎日自分でご飯を作っていたから、いつの間にか上手く出来るようになったの、って言うから、そういや学生時代バレンタインに彼女がくれたチョコレートは美味いとは言えない味だったなあと思い出して、それから、そのチョコレートは義理だったなあ、と。

彼女は『彼女』じゃあない。今も昔も。たぶんこれからも。

晴矢はなんとなく、この関係ももうすぐ終わるのではないか、と予感していた。元々が変な仲であったのだ。言い方は悪いが、彼女は浮気相手だった。その当時付き合っていた彼女よりも愛しい、浮気相手だった。元を辿ると長くなるが、最初彼女に惚れ込んだのは晴矢の方である。

高校生の頃、晴矢にはすきな女子がいた。その女子の親友であったのが彼女だ。3人はとても仲がよく、男子1人女子2人だなどということは関係なしに、なんでも晒け合えるような間柄であった。ほどなくして、晴矢が意中の女子に想いを告げてから、3人の関係は崩れ始めた。恋人になりたいという晴矢と、友達のままでいたいという親友の間で、彼女はとても悩み、そして2人を励ました。失恋した晴矢は彼女の優しさに、自分がすきになるべきだったのはこの子だと、後に気付いたのである。

当時彼女にはまたべつに恋い慕う男子がいた。中学生の頃からお互いを想い合っていたのに、すれ違ってばかりいたらしい。彼を追ってこの高校に来たという彼女を晴矢は応援していたが、しかしこころの奥で、うまくいかなければいいとも思っていた。だから、彼女に何度もすきだという言葉を贈った。その度に彼女は居心地悪そうに、きごちなくわらっていた。

その微妙な関係を変えたのは、晴矢を熱心に口説いてきたひとりの女子であった。晴矢はその女子から驚くべき真実を聞かされた。 ――あの子は言い寄ってきてばかりのあなたが鬱陶しいんだって――。 軽くあしらわれはするものの、決して嫌われてはいないと思っていた晴矢は度肝を抜かれ、そして同時に酷く落胆した。その日から彼女を想うことをやめ、自分をすきだと言ったその女子と付き合うことで、晴矢はなんとなく、これでいいと思った。

そしてある程度日が経ったとき、晴矢は暫く連絡をとっていなかった彼女に、自分に 『彼女』 が出来たことを伝えたのだが――、泣き出した彼女に対して再び芽生えたのはたしかな恋情であった。彼女は、わたしのものでなくなってから、恋だと気付いた、と言う。晴矢は今更だと思った、が、あんなに恋い焦がれた彼女が自分をすきだと言ってくれたことに、どうしても気持ちが揺らいでしまった。 『彼女』 に悪いとは思いながらも、晴矢は彼女と愛人のような関係を築いてしまったのである。

「……さみー……」

カチカチカチカチ、時計の針の音というのは、不思議と1度意識してしまうと耳から離れなくなってしまう。月明かりすらカーテンで遮られた薄暗い部屋のなかで、晴矢は初めて彼女と肌を重ねた日のことをぼんやりと思い出した。あのときは時計の音なんて掻き消すくらい、ただ、必死で、彼女が愛しくて。 『彼女』 がいる身で――なんて、若かった晴矢にとっては些細な問題であった。目の前にいる彼女を繋ぎ止めるので精一杯だったのだ。 「――なあ、俺のこと、好き?」 荒い息遣いに紛れ込ませた問いに、彼女は小さな声で肯定を示した。 「じゃあ、俺と付き合って」 続けた言葉に、彼女は静かに眉を顰めた。晴矢はいたたまれない気持ちであった。殴られた方がましだと思った。

――今、彼女に同じ質問をしたら、どうだろう?なんと返ってくるのだろう?

好奇心ゆえにそう思ったが、なんとか思いとどまった。 『彼女』 のいない今の身で、もう1度首を振られてしまったら。そう思うと晴矢は、やけ酒した夜より酷い胸焼けに襲われた。 彼女は、彼女で、たぶん今、彼氏か、またはすきな男がいるだろう。 『彼女』 がいる男に抱かれるのを嫌がらなかった彼女のことだから、きっとこうやって俺の部屋に来ることくらい、なんでもないのだろう。

そこまで考えたとき、晴矢の脳裏には、彼女の親友で、元々すきだった女子の顔が浮かんだ。今あの子はどうしているのだろうか。3人のうちの2人が、こうして同じベッドのなかにいることなど、知るわけもないだろうが。

「そりゃ、離れたら寒いよ」

ふいに背中側から声がした。晴矢は一瞬耳を疑ったが、恐る恐る振り返ってみると、凛とした瞳がしっかりと自身を貫いていた。

「……まだ起きてたのか」
「うん」

彼女はふわりと微笑んで、晴矢の頬に手を伸ばした。途端伝わる、優しい熱。つくづく嫌な女に捕まってしまったと、晴矢は思う。明らかに順番を違えてすきだと言ってきて、 『彼女』 と別れさせておいて、でも自分はいつまで経っても付き合ってくれなくて。幾度と道を誤らせられ、憎くてたまらないのに、けれどこの温もりが、笑顔が、どうしようもなく愛しい。

「晴矢、意外に冷え症だもんね」
「意外ってなんだよ」
「ふふ」

何故これほどまでに、彼女でなければ嫌なのだろう。晴矢は何度もそう考え、悩んできた。が、結局答えは出ないまま。

「ね、晴矢。あったかくなること、しよっか」
「――あったかくなることって、」
「女の子にそんなこと言わせるの?」

そういえば、初めての時も彼女から言い出した気がする。まったく、いつもいつも振り回されてばかりだ。もう散々だというのに、それでも彼女へと伸びる自分の腕を、晴矢は忌々しく思った。


久々に触れる彼女の肌は相も変わらず柔らかくて心地いい。時折吐息に混ざって洩れる嬌声はどうしようもなく晴矢を煽った。ずいぶん磨り減らした理性の最後の一欠片を遠くに放り投げ、汗の滲む彼女の背中に腕を回した。

「――なあ、俺のこと、好き?」
「う、っん、すき、……だいすき……」
「……じゃあ、俺と付き合って」

飛びそうになる意識のなか、彼女はうっすらと目を開けて俺を見る。やがて開かれた唇から紡がれる言葉は、もちろん俺が考えていたものと同じだったわけだけど。



蛇と石










第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -