歩き慣れない町の道路を携帯電話を片手に進むふたりは、昔話に花を咲かせていた。まあ昔といってもほんの4、5年前、彼らが中学生だったころの話だ。サッカーがすきだった彼らふたりは、今もそのときのように、ライバルとして、ときにパートナーとして、数々の試合を乗り越え制してきた。 久しぶりにあいつに会いに行ってみないかと持ちかけたのは、真っ赤な髪をした男のほうだった。
「しっかし、信じられるか?あいつ今じゃ、あの有名な大学の看板背負う天才だと」
「それを言うなら君だって、あり得ないくらい真面目にフツーの会社員をやっているじゃないか」
「ニート同然のおまえにゃ言われたくないんだがな」
「私はさらに上を目指すための修行をしているんだ」
「あのな、浪人生が中2病って、救いようねえぜ。おまえ早く大人になれよ」
「私も君も同じ19歳だろう」
青い髪の男がにらみつけると、赤い髪の男はやれやれと言わんばかりにおおげさなため息をついた。 稲妻町は彼らにとって、思い出とともに少し苦い記憶もある場所であった。かつて敵として戦った者の顔を思い出せるだけ思い出しながら、赤い髪の男は口元だけでわらった。 「何をにやにやしているんだ、気持ち悪い」 その隣の青い髪の男は汚いものでも見るような目つきでそんな彼を見やったあと、携帯電話の地図検索機能を切り、辿り着いたボロいアパートを見上げた。
「予想以上だね」
「あいつ醜いもん嫌いじゃなかったか?」
「さあね。でも5年もあれば人なんて変わるんじゃないかい?会社員の南雲晴矢くん」
「はいはいそうかもしれねえなあ、クソニートの涼野風介くん」
「失敬だな、私は受験生だ」
*
「なんだ……きみたちか……」
僕が遠慮もなく残念そうな顔をしてみせると、南雲が眉間にしわを寄せ、 「なんだとはなんだよおまえ」 と低い声で言った。いつ帰ってくるかわからない彼女の為に、学校をサボって、ひとりきりの部屋のなかでそわそわはらはらしている僕の気持ちなんて、彼らにわかるはずがないのだ。チャイムが鳴ったから、彼女かもしれないと思って、あわてて出たというのに、まったくもって損をした。
「せっかくオレたちがはるばる来てやったっつーのに、どうしたんだよ?なんつーか……死にかけですって顔してるぜ」
「…………はは、そう見える?」
死にかけ、かあ。どうなんだろう。そうなのかもしれないな。昨日から1秒たりとも寝てないし、クマもできて、きっとそういう顔をしてるんだろう。
「何かあったのか?アフロディ」
涼野の問いに、僕は曖昧にわらって返した。何かあった、どころじゃあない。僕の今後の人生にかかわる大事件だ。もし彼女が帰ってきてくれなかったら、僕は、僕は――――考えるのも恐ろしい。
「よくわかんねーが、まあとりあえず入れてくれよ。話くらい聞いてやるから」
「……うん、そう……だね、君たちに話しても何も変わらないとは思うけど」
「聞き捨てならないな、アフロディ。私は相談に乗るのは得意だぞ」
「だあーっもうおまえなあ、そりゃ他の浪人生たちのことだろ!こいつは真逆だ、真逆!」
久しぶりに彼らに会い、微笑ましいくらいの仲のよさをみても、僕の気分はやはり晴れなかった。リサさんを失った僕なんて、もう元の僕じゃない。亜風炉照美じゃ、ない――――。5年前、ちゃんと向き合うことを決めた現実から、また目を逸らしてしまいそうになる。僕は不完全な人間で、だからあの頃神に近づきたくて、いちばん大切なものを代わりに捨てて。彼女に出会って僕は変われたのに、自分がただの人間で、でも彼女を想うことで強くなれると思ったのに。高等部に進学し、首位をキープし続け、大学に上がり、色んな人に認められ―――、やっとここまできたのに、まさか彼女がいなくなってしまうだなんて。
「全部……話すよ」
僕の重苦しい声に、ふたりは顔を見合わせた。
*
荒れた部屋の中を見て、いてもたってもいられなくなったらしい南雲がひととおり掃除をしてくれた後、僕ら3人はいつかのように丸く円を描くようにして座っていた。次の試合に向けての作戦会議――――なら、よかったんだけど。
「愛想尽かされたんじゃねーの?」
呆れたように言う南雲をきっと睨むと、口が滑ったとでもいうように彼は肩をすくめた。 「でもさ、女が急に出ていく理由なんざ、それしかなくね?心当たりもないんだろ」 まあ、そりゃ、心のどこかで、僕だってそう考えた。だけど、だけどリサさんに限ってそんなことがあるだろうか。僕が自分で言うのもなんだけど、あの子は、 「あの子は僕がだいすきなんだ」 呟くみたいに言った僕に対して、南雲はふうと息を吐き出す。そんな反応されたって、事実だ。僕がリサさんをすきなのと同じくらい、リサさんだって、僕のことがすきなはずだ。長かった遠距離恋愛も終わり、やっと傍にいられるようになったんだ。こんな急に冷められるなんて、あり得ない。……と、信じたい。
「……その、リサとやらに、何か悪いことでもしたんじゃないのか?」
ずず、とカルピスをすすりながら、涼野が問い、僕は必死に考える。リサさんに、何か、悪いこと……。もしかして、昨日、遅くまで家に帰らなかったこと、……かな……?いやでも僕は、ほんとにごめん、どうしてもはずせない用事が入った、って、メールして……でもそのメールに返信はこなくて、気づかなくて、そのまま家に帰ったらリサさんがいなくて、テーブルの上にはオムライスとメモがあって……。それで、僕は、おかしいなと思って彼女にメールして、やっぱり返ってこないから不安になって、電話したら、 『おかけになった番号は電波の届かないところにいらっしゃるか、電源が入っていないため、繋がりません』 を10回くらい聞くハメになって、仕方なく留守録に 『リサさん今どこにいるの?なにしてるの?仕事?時間が出来たら連絡ください』 というくどいくらいのメッセージをいれて、――――翌日0時すぎ現在、携帯電話に届いたのはメールマガジンのみ。もう発狂しそうだ。
「えっと……」
南雲と涼野に今の話を聞かせたら、何故だかふたりとも、あわれむような目を僕に向けてきた。何だいきみたち。言いたいことがあるなら口で言ってもらえないか。
「あ……の、さ、おまえってほら、ちょっと自敬のアレがあるだろ?僕スゴイ、みたいな……いやべつにそれ自体が悪いわけじゃねーと思うんだけど、なんつーか、あの、おまえ、ちょっとは並みの感覚で考えてみようぜ?おまえも人間で、リサも人間だろ。おまえは確かにスゲーけど、リサだって、そんなスゲーおまえばっかり見てるわけにはいられないんじゃねえ?話聞く限り、おまえと釣り合うくらいの美人でも秀才でもなんでもねーみたいだし」
「…………ねえ。……何が言いたいの?」
「……女……ってさ。スゲーものに惹かれるかもしんないけど、逆に、フツーのものにも、興味を示すと思うわけ」
「まあつまりはだ、アフロディ。君は、リサとやらに、浮気をされているのではないのか、と」
僕の脳裏で、赤と青のヒヨコがぴょこぴょこと元気に跳ね回っている。
「あ、そうだ南雲。僕新しくパソコン買ったんだけど、いまいち使い方がわかんなくって。南雲器用だから機械もさわれるよね?パワーポイントの制作手伝ってくんないかな」
「……はぁ?」
「そうそう、涼野、この前奮発してハーゲンダッツの詰め合わせ買ったんだけど、まだ残ってるんだよね。涼野バニラすきだったでしょ?よかったら食べる?」
「たべる」
「いや食べる?じゃねーしおまえもフツーに食べるとか言うな風介!ちょっ、待て、アフロディおまえ、しっかりしろ!現実を見ろ!」
「現実?」
現実って、なんだ?
僕が今生きている世界?3次元?地球温暖化が着々と進んでいること?今もどこかで戦争が起きて人が死んでること?僕をたいへん気に入ってくれている教授がクラスに僕がいないせいで機嫌を損ねて他の生徒に恐ろしいくらい難しい課題を出しているであろうこと?
他に行き場もなく冷蔵庫につっこんだオムライスにはまだ箸をつけていなくて、彼女が大量に買い込んだ卵は僕ひとりじゃ食べきれない。
いつ帰ってくるかなんてわからないし、もしかしたらもう帰ってきてくれないかもしれない。僕にとってリサさんがいないという現実はあまりにも痛くて、痛くて。例えば世界で罪のないひとが何人も死にかけていたって僕はそんなのどうでもよくて、リサさんを失った僕のほうがよっほど瀕死の重傷だと本気でそう思う。
「まあ、そう気を落とすなって。まだ浮気と決まったわけじゃないだろ」
「む、なかなかいけるじゃないか」
「おまえはダッツ食うな!」
ふいにリサさんの笑顔が頭に浮かんだ。僕にだけ見せてくれるあのたいようみたいな笑顔。……リサさんは、同じ笑顔を、僕以外の男にも向けているんだろうか?――――ううん、そんなはずない。リサさんはいま、手放せない仕事に追われているとか、きっとそういうので。一段落したら連絡をくれるだろう。メールも電話も返せなくてごめん、って、ほんとに申し訳なさそうにそう言うだろう。僕はそれをもちろんすぐに許しながらも、でも言うのだ。 「オムライス作ってくれたら許してあげる」 それからふたりでテーブルを挟んで、他愛ない会話をしながらそれをつつくのだ。
「――――南雲、涼野」
突如響いた僕の低い声を聞き、言い争いをやめたふたりはこちらを向いた。僕は決意をこめて言う。
「リサさんを取り戻すのを、手伝ってくれないか」
待ってましたとばかりににやりとわらった彼らを見て、僕はまだ諦めてはいけないんだと思った。
7:/君とオムライスが食べたい