風丸は少しだけ眉をつりあげて、わたしの話を聞いていた。わたしの前に置かれたグラスのお茶はちっとも減らないまま、時間だけが過ぎていく。照美くんはもう帰ってきただろうか。わたしがいないことについて、なにか思っただろうか。どこにいるの、なにしてるの、というメールをくれているだろうか。 気にされていないことが怖くて、カバンの奥に入れた携帯電話には触れなかった。

「だいたいのことはわかったけど……とりあえず問題は、寝泊まりする場所……だよな?」

風丸の低い声に、わたしはこくりとうなずいた。頭をよぎるのは、中学時代仲のよかった友達の顔。わたしがいきなりたずねていって、泊めてくれるような子なんて、いるのかなあ。そう考えたら不安になってきた。4年間まともに連絡をとり続けていたのは照美くんくらいだ。今目の前にいる風丸にだって、ほんとうに4年ぶりに再会したわけだし。

「……お前の会社、社員寮とかはないのか?」
「えっ……と……多分ないんじゃないかな。そんな話聞いたことないもん」
「そうか……」

ふたりきりのリビングは、深夜ということもあって、ひたすらに静かで、なんだか逆に落ち着かない。 風丸に頼んだら、今晩くらいは泊めてもらえるだろうか。雰囲気から察するに、いま風丸のお母さんは不在のようなので、無断で泊めるとなると厳しいかもしれない。 一度つよく決心したはずなのに、わたしの志はいともたやすく折れかけてしまっている。昔から後先考えずに突っ走るタイプで、――わたしはやっぱり、ちっとも成長していないみたい。

「……風丸、……お母さんは?」
「今日は夜勤。朝には帰ってくるよ」

今思えばわたし、風丸のお母さんの顔も知らない。なのに勝手にお家に上がりこんで、まったく礼儀がないっていうかなんというか。自分の人間のできてなさにがっかりしまくりだ。

「風丸、話聞いてくれてありがとう。こんな言い方あれだけど……すっきりしたよ。なんだか、もういいかなって思う。大人しく帰るよ」
「……帰るって、どこに」
「照美くんのアパート」

うん、そうだ、もういいじゃないか。どうせわたしには行くところなんてないんだ。路頭をさ迷うホームレス会社員になるくらいなら、彼氏の浮気に気づきながらもがまんしてあのアパートにいたほうがいいに決まってる。わたしが耐えさえすればいいんだから、断然そのほうが楽なはずだ。

「じゃあ、ね。こんな時間にほんとごめん、風丸」

立ち上がって、風丸の反応も見ないまま、わたしはきびすを返し、玄関へつながる廊下に出る扉に向かって足を早めた、……のだけど、ドアノブに伸ばした手をうしろからつかまれ、そのまま強い力で引き寄せられてしまった。 「――――なっ、」 繋ぎ止めるようにしっかりと回された腕は風丸のもので、首筋に触れる透き通る色の前髪も風丸のもので、耳に直接飛び込んできた言葉も、風丸の、もので。

「無理しなくていいから、俺ん家にいろよ。母さんは大丈夫、萱島はいい奴だから、絶対許してもらえる。部屋ならあるし、布団もなんとかする。心配はいらない、俺がいる。だから、そんな、……そんな男のところなんかに、帰るな」

背中からじんわりと体温が伝わってくる。嗅いだ記憶のない匂いがする。照美くんじゃない男の子の腕のなかでわたしは、どくどくと暴れる心臓を抑えることができない。 ――――これは裏切り行為よ――――頭の中で誰かが言った――――先に裏切ったのは向こうじゃない――――別の誰かが言った。わたしは後者の意見をとった。どうしようもないくらいに、こころもからだも、やさしいぬくもりを求めていた。ひとつなくした分の窪みをほかのひとつで埋めようとしているわたしはすごく悪い子だけど、ひとつじゃ飽き足らずふたつめまで手に入れてしまうような彼より、ずっとずっと良い子だと思う。わたしが風丸の腕にすがるように身をゆだねたことを、誰がとがめるっていうんだろう。

「風丸、わたしってずるい女の子かな」
「……何で?」
「いますごく、風丸にどきどきしてる。わたし、照美くんの彼女なのに。こんなの、だめなのに」
「嫌なら振りほどけばいい」
「……風丸もずるいや」
「そりゃ、だって、お前がすきだから」

仕方ない、と言って風丸がわらうから、わたしもわらいたかったけど、どうしてもわらえなくて、代わりに大粒の涙が出てきた。

あーあ、なにやってるんだろう、わたし?

……わたしは、照美くんの彼女で、照美くんにはわたしのほかにもすきな子がいて、今日はわたしよりその子を優先されて、悲しかったから、家を飛び出して、昔すきだったひとにすがって、――――なんていやなおんな。

でもじゃあ、どうしたらいいっていうの。わたしだって女の子なのだ。傷つくのは嫌だ。優しくもされたい。差し伸べられた手をつかむことは、そんなにいけないことなの?照美くんよりわたしのほうが罪が大きい?浮気の仕返しなんて馬鹿げてる、情けない、愚かしい、……そんなの、わかってるけど。

「ごめ、っなさ、い」

嗚咽まじりの謝罪の言葉は、照美くんにか、風丸にか、もしくは、『照美くんの彼女の萱島リサ』にか、自分でもよくわからなかった。頬を流れてく涙の熱さだけが、妙にくっきりとわたしに刻み込まれた。



6:/晩春






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