服やらなんやらを乱暴に詰め込んだキャリーケースはもちろんしまらなかったけれど、それよりもわたしの感情のほうがよっぽど溢れ出して止まらない。色々なものが散乱した部屋のなかはまるで空き巣か何かに入られたみたいだから、帰ってきた照美くんはきっと驚くだろう。わたしがいないことよりも、たぶんそっちの方が一大事なんだろう。なんて薄情なひとなの。ひどい、ひどいから、とてもひどいひとだから、わたしは散らかしたものをちゃあんと定位置に戻してあげておくことにする。照美くんは綺麗好きにみえて意外と大雑把なところがあるから、これくらいはしておいてあげないと。 キャリーケースに入らなかった服は仕方がないのでタンスにしまいこみ、ああ、この服たちはいつか照美くんにごみ袋に入れられて下のごみ捨て場に出されるのかな、とちらりと考えた。そしてこのタンスには、あの子の服がたくさん入れられるのだ。 ハッハッハ、いいじゃない。服もアクセサリーも何もかも、溢れるくらい買って上げればいいじゃない。 2年くらい前のクリスマス、わたしは彼に言われた言葉を覚えている。 『きみってあんまり何も欲しがらないよね』 男の人はすきな女の子に色々してあげたい、買ってあげたい、そう思うものらしいから、わたしはとてもつまんない女だったのかもしれない。 それがどうした。こちとら小さいころから、ひとに奢らせたりお金を借りたり貸したりするのはあまりするべきじゃないと言われて育ってきたのだ。

「よしっ」

ばん!となんとかしまったキャリーケースは散々詰め込んだわたしに文句も言わず、ただただ寡黙を守った。だけどどこからか、 おまえほんとにこれでいいのか、 なんて、聞こえてきたような気がしないでもない。ふん、なによ、向こうだってきっとこの方がせいせいするんじゃないの。わたしなんてたぶん完璧な彼には邪魔なだけだったんだから。おなじく完璧な彼女の方が明らかにお似合いなんだわ。わたしなんて、……わたし、なんて。 ――……わたしは、いったい、照美くんのなんだったんだろう?

キャリーケースを玄関に運びだし、お気に入りの春物コートをばっと羽織って、部屋の電気を消そうとスイッチに手を伸ばしたとき、目についたのは冷蔵庫であった。

「――卵……」

たくさん買ってしまった特価の卵。照美くんひとりで食べきれるかな。毎日卵三昧になっちゃうかもしれないなあ。腐らせちゃったらもったいないし。でも持って行くわけにはいかないし。

「どうしよう……」

時刻は18時すぎ。照美くんからの連絡はまだない。ひどい、ひどすぎる。浮気だとしても、先に約束してたのはわたしなんだから、メールのひとつくらいくれたっていいのに。ごめん今日遅くなるんだって。それとも、晩ごはんは食べずに帰ってくるのかな。だとしたら、おなかをすかせて帰ってきて食べ物がなかったら、照美くんは困るんじゃないかなあ。

わたしは迷ったあげく、コートをばさりと脱いで床に落とした。

改めて部屋の電気を消したとき、テーブルの上にはラップのかかったできたてのオムライスがちょこんと乗っかっていた。スプーンの下に挟み込んだメモには、 『あっためて食べてね』 とだけ、書いた。未練がありすぎる自分が情けなかった。春の夜はまだ肌寒かった。




*




大きな問題に気付いたのは、大江戸空港に向かう電車のなかだった。わたしはいったいどこに行くつもりだったのか。お母さんのいる向こうに帰るにしても、東京に戻ってきてからはじめての給料日はまだだから、お金が足りない。なにより、わたしの仕事場はいまここにあるのだ。当たり前のことだが片道一万円も費やして通うわけにはいかない。稲妻町に部屋を借りるにしても、もう時刻は20時近い。今夜は――外で過ごすことになるかもしれない。恐ろしいことだ。

「あああああああ……!!」

頭を抱えたわたしがいまいるのは稲妻町の河川敷にある小さな広場のベンチ。すっかり日も落ち、正直言って、一晩ここで過ごすなんてあり得ないというか、無理な話だ。今をときめく19歳が野宿だなんて……!

今日は諦めて照美くんの部屋に戻ろうかとも考えた。たしかに、まだ照美くんからなんの連絡もない今戻れば、なにもなかったかのようにあそこにいられるかもしれない。……でも、わたしのこころのもやもやは晴れることがないだろう。こうしているいまも、照美くんはあの子と――、なんて考えたら、わたしはとても、あの部屋に帰る気にはなれなかった。たぶん、4年前のあの日、お母さんとお父さんの離婚が決まったときからもう、ちょっとずつわたしたちはズレはじめていたんだ。そりゃそう、遠距離恋愛なんて、よっぽどの愛と覚悟がないと続かないって。雑誌かなにかの恋愛特集で、男の人はこころは満たされてもからだがほしくなっちゃうんだって、だから遠距離恋愛中は浮気されて別れることになるケースが多いって。照美くんはとっても素敵な男の子だけど、そう、どうしようもなく男の子なんだ。わたしとのメールや電話や手紙や、半年に1回会うくらいじゃ、きっと足りなくなってしまったんだ。

ふと、頭に浮かんだのは、東京を離れる前住んでいたあの家。もしかしたら、お父さんが一晩くらい泊めてくれるかも。……いや、無理かな。お父さんはいま、浮気相手だった女のひととあそこで暮らしてるかもしれない。それかもしくは、もうあんな家売ってしまって、違う家族が住んでいるかも。どちらにしろ、わたしがあの家に今日泊まれる確率は限りなくゼロに近かった。望みが薄すぎて試す気にもなれない。

「さむ……」

ぶる、と身震いした。夜の河川敷は暗くて怖くて、とても心細い。ホームレスのおじさんひとりいない。こんな八方塞がりな状況でもわたしはやっぱりまだ、ここで眠るなんて考えられなかった。稲妻町は決して治安が悪いわけではないんだけれど、でもだからと言って。

いちばん近くの電灯は切れかけてチカチカしていた。――帰りたい。素直にそう思った。照美くんの浮気なんて見なかったことにしたらいいじゃない。わたしがなにも言わなかったら、気づいてないふりをしていたら、きっと照美くんはいままで通り接してくれる。あのアパートのあの部屋で、きっと……。

はやくも挫けてしまったわたしがベンチから腰を浮かせようとしたまさにそのとき。夜闇のなかで、何かが動いた。

「――――っ」

人影。
それも大股でこっちに近づいてくる。やだ、うそ、待って。どうしよう、どうしよう、危ないひとだったら?わたしは仮にも女の子だし、もしそういう、トラウマになるようなひどいめにあったら……!ばくばくと暴れだすわたしの心臓なんてお構いなしに、点滅するぼやけた光の下にその人は姿を現し――、 「……っえ、なん、おまっ……、もしかして、萱島、か?」 わたしを見て、びっくりしたような声を上げた。わたしも、思わず口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。

「か、……かぜま、る……?」

震える声で名前を呼べば、風丸は呆然とした顔をして、それからぱあっと笑顔になった。わ、中学のころから変わってない。風丸だ。風丸、だ……!

「久しぶり、だな!おまえ、稲妻町に帰ってきてたんなら、メールくらいくれたってい――うわっ!?」

抱きついたら、なんとなく懐かしいような温もりがあった。突然胸に飛び込んできたうえさらに泣き出したわたしに、風丸は最初あたふたしながら 「大丈夫か?」 「どうした?」 「何かあったのか?」 なんて繰り返し訊いていたけど、最終的にわたしの背中をぽんぽん撫でて、 「いやじゃなかったら、話してくれ」 と優しい言葉をかけた。わたしのなみだはぼたぼたと風丸の服を濡らして、こんなこと前にもあった気がする、となんとなくそう思った。



5:/アンドロイド・アンドロメダ






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