――いま思い返せば、ことの言い出しっぺはわたしだった。




*




「辺見さん辺見さん辺見さん辺見さん辺見さん辺見さん!」
「るっせーな呼びすぎだよ何だよ!俺ぁいま忙しいんだよ下っ端」

回転イスをおおいに活用しぐるんと振り返った辺見さんはいつになくいらいらいらいらしていて、仕事は大詰めであることくらいわたしにだって容易くわかった。この数日我慢してきたかいあって、やっと掴んだこのチャンス。元陸上部エースとして、わたしの前を行く者は逃してなるものか!

「あっあのですね!スバラシイ企画を思いついたんで会議に回していただけないでしょうか!」
「ハァ〜?企画ゥ?んなもんお偉いさん方や俺の神格的な企画でもう枠はいっぱいだっつーの!」
「ほ、ほっほう!わたしの企画を回したら自分の企画が負けるかもしれないから怖いんですね!さすが辺見さん!打算的な男!」
「…………あァ?」

その時の辺見さんはズバリ、ヤから始まる自由業の方々とか、巷にたむろする気の短いチンピラたちのそれを彷彿とさせるような目をしていた。プライドの高い (っていうイメージのある) 彼が下っ端の女にそんなことを言われっぱなしにしておくわけがない。仕事のラストスパート、いらいらしている彼がノってこないわけが、ない!

「言ったな、この馬鹿女。……わーったよ、俺の企画といっしょに回してやらあ。だけどな、通らなかったからっつって俺を恨むなよ?」
「大丈夫ですよ、通りますから」

わたしがにっこりわらって言ったら、辺見さんはひきつった笑顔を返してきた。うーん、わたしはなかなかこのひとの扱い方を理解してきたような気がする。




*




「偉いひと?」

照美くんは紅茶の入ったマグカップを傾けながら、わたしの差し出した茶封筒を受け取った。

「そう。なるべく偉いひとにそれを渡してほしいの」
「……ふうん……なあに、リサさん、世宇子に興味あったの?」
「えっ?あ……いや、そういうのじゃないんだけど」

わたしは目を泳がせつつ、あのときの辺見さんの顔を思い出した。苦虫をかみつぶさたような顔とはまさにあんな顔なんだろう。

「えっと、仕事でね、是非とも世宇子大学を取材させて頂きたいって、編集長が。それで、わたし前に、彼氏が世宇子大学なんですって他の女子社員と話してたのばれちゃって……」
「うーん、世宇子大学はパンフレットに載せている情報以外は外に漏らしたがらないから、校内に関係者じゃない者は絶対に入れない秘密主義的な学校なんだけど――」
「そこをなんとか、照美くんの顔に免じて許してもらえないかなあ」
「どうだろうなあ……頼むくらいならしてあげてもいいけど、断られたらごめんね」

紅茶が残り少なくなったのか、照美くんはカップをくるくると回した。わたしは内心はらはらどきどきで、考えてることがばれたらどうしようとばかり思っていた。

「ところで、もしいいって言われたら、リサさんが取材にくるの?」
「あ、いや、……企画提出した先輩が」
「ふーん、じゃあだめでもリサさんにしわ寄せは行ったりしないよね」
「……編集長が、受諾してもらえたら、わたしにボーナスくれるとかなんとか言ってた、けど……」

照美くんのあかい瞳が見開かれ、 「ほんと?じゃあ頑張る」 と彼が言ったときわたしは正直そのきれいさに見とれていてなんにも聞いちゃあいなかった。 数秒してから記憶を手繰りよせ照美くんの言葉の意味を考え、それからやっと赤面した。なんだそれ。

「リサさんのためなら、絶対受諾させてみせるよ、僕」

わたしはなんでこのひとを疑ってんだろうと思って、自分ってやつは最悪だと思って、でも彼女と電話しているのを聞いてしまった早朝の光景はまだはっきり目に焼き付いていて、なんだかもう天使と悪魔が脳内で陣取り合戦まっただなか。 照美くんを信じてあげようよ! と天使が言って、間髪入れずに悪魔が だから信じるために大学まで確かめにいくんだろ! と叫んだ。照美くんがシャワーを浴びているとき開いた彼の携帯のアドレス帳で見つけた彼女の名前。備考欄が 『中学の友達』 だったことに、わたしはまだショックを隠せなくて。 つまりは中学のころからずっと面識のある女の子で、今も同じ大学で仲が良くて夜に電話とかしちゃったり、まあ、なんだ。遠距離恋愛中も会ってたのかなあとか考え出したらわたしは爆発しそうになるわけだ。照美くんがわたし以外の女の子に優しくしたり笑いかけたり抱き締めたりキスしたり、そんなのを想像して、ひとりでこっそり泣いたこともある。 でも照美くんはいつだってわたしのことをいちばんに考えてくれるじゃない、現に今だって。 天使が言った。 全部カモフラージュだったらどうするの?他に恋人がいることを隠すための。 悪魔が言った。

「……照美くん」
「うん?どうしたの?」
「わたしのこと、……すき?」

照美くんは一瞬不思議そうにわらって、 「もちろん、だいすきだよ」 ああもうほらわからなくなる。




*




「まあまあやるじゃねーか」

そう言う辺見さんの笑顔はひきつっていた。反対にわたしはにんまりとわらってやった。どうだ、下っ端の本気 (と言っても校長に話をつけてくれたのは照美くんだけど) !

「じゃあ、明日からさっそく取材に行くぞ。メンバーは俺とお前でいーんだな?」
「はい」

照美くんには嘘をついてしまった。取材にはわたしも行く。学校での照美くんの様子を見るためだ。当たり前ながらちゃんと仕事もする。

――あーあ、彼氏の浮気調査っていう隠しミッションがなければ、本社入り後の楽しい初取材になったかもしんないのに。

悪魔がそっぽを向いて言った。天使は膝を抱えて、 まったくその通りよ と呟いた。わたしの手はほんの少し震えていた。




*




「つーかさ、言ってなかったけど俺世宇子にゃちっとトラウマっつーか恨みあんだけどなー。いや、中学んときのハナシだから今更どうこうってわけじゃねーけど、なんつーかホラ、俺も俺で思春期だったわけ。わかるか?信じて尊敬してそれまで従ってきた大人に急に裏切られる気分。ひでーんだぜ、なあ。俺一応サッカー部だったんだけどよ、あ、先言っとくがそこいらのイモみてーなのじゃねーよ?なんたって帝国学園サッカー部だからな。お前だって知ってんだろ?エリートだよ、エリート。あの頃弱小だった雷門とやるまでは天下無敵だったんだよ。それでな、フットボールフロンティアでな、雷門をこう……ギッタギタにしてやろうと思ってたらよ、世宇子っつー名前も知んなかったよーな学校のサッカー部にやられちまったんだよ。しかもな、そこの監督、元々俺たちのサッカー部の監督だったやつなんだぜ?ひどくね?スゲーひどくね?今まで育ててきた俺たちをあっさり切り捨てて世宇子んとこ行きやがったんだ。……まーそいつもそいつで色々あったらしいんだけどな。FFI覚えてっか?アレでイタリアの監督やっててな、円堂んとこ行った鬼道と――あ、鬼道わかるか?帝国学園サッカー部のキャプテンだった――つーかお前円堂も知らないんじゃね?サッカーとか興味なさそうだしな」

円堂くんは、中学3年のとき同じクラスで風丸の幼なじみで、明るくて仲間想いのサッカーバカで、鬼道くんは同じクラスにはなったことはないけど成績優秀で有名で、辺見さんのいた帝国学園を率いていた影山さんというひとが事故で亡くなったのはニュースで見たし、神のアクアを使ってフットボールフロンティアに出ていた世宇子中サッカー部のキャプテンの亜風炉照美くんは中学のときからずっとわたしの彼氏だったけれど、わたしは辺見さんの話なんて最初っからまるっと全て耳にも頭にも入っていなかった。人の波の向こう側に見えた輝く髪の毛の男の人の、仕草や動作を目で追うのに忙しかったからだ。そのそばにいる女の子には見覚えがあった。中学のとき、一瞬だけど見たことがあって、わたしはいまだにあの時の気持ちを忘れていない。というかむしろいま、あの時とまったく同じ気持ちだった。

も と か の

そう言った照美くんの口の形すら鮮明に思い出せるわたしはさすがにちょっと記憶さえも照美くんに依存しすぎてて気持ち悪いなあと思った。

「で、そのアフロディってのが、女みてーなナリしたいかにもひ弱そーなやつだったんだけどよ、」

辺見さんそれわたしの彼氏です。
なんて、言えたら、よかったんだけども。浮気調査という隠しミッションがなかったらわらいながら言ってやって、辺見さんを驚かせれたかもしれない。

「……辺見さん、昔話はそのへんにして、仕事しましょーよ」

生意気言うんじゃねー、とか言ってくれたらよかったのに、 「お前なんで泣いてんの」 だなんて聞いてくるからわたしはやっぱり辺見さんなんかきらいだきらいだーと思った。不器用な手が戸惑いがちに頭を撫でるから、可笑しかったのに、わらえなかった。影山さんに裏切られた辺見さんの気持ちがなんとなくわかったような気がした。




3:/秘密の花園






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