一昨日買ったペールイエローのパンプスはまだ馴染んでなくて、なんとなく、高校に入ったばかりのころの自分を思い出した。 財布の中の小銭を確認してから自動ドアを出る。一人で飛行機に乗るのははじめてだったから、すこし、いやかなりびくびくしていたのだけど、なんとか無事に東京につくことができた。
「……東京かあ」
たたんたたん、向こうにはなかった快速急行に揺られながら、わたしは早起きしたぶんのツケで眠気に襲われていた。 東京の空は狭いことをひしひしと感じた。この4年見渡す限り田んぼばっかりだったから、都会はとても新鮮だった。
「頑張ってきなさい」
出発間際にお母さんはそう一言だけ言って、手を振った。行ってらっしゃいとは言われなかった。仕事の関係で、わたしは一応『上京』をするのだ。
手の中で携帯電話のライトがちかちか光った。色ですぐにわかる、メールをくれた相手。わたしはぱあっと笑顔になって画面を開いた。
*
「照美くん!」
キャリーケースを放り出して、広げられた腕のなかに飛び込んだ。とたんにふわりと鼻をかすめる匂いはわたしのだいすきな彼のもの。
「半年ぶりだね。……あれ、リサさん縮んだ?」
「ちっ……縮んでないよ照美くんが伸びたんだよ!」
「そうかな?」
照美くんがくすくす笑いながらわたしの頭を優しく撫でた。それだけでもう、照美くんすきだすきだすきだー!と叫び出したくなったのだけど、さすがに駅でそんなことをするほどわたしももう子どもじゃあない。
「じゃあ、行こうか。ここから自転車ですぐだよ」
「う、うん……うわああああどきどきしてきたああああ」
「ふふ、リサさん変わってないなあ」
「す……すんません……」
あああああ言われてしまった!言われてしまった!あれから4年たちわたしは19歳になったというに、やっぱりまだまだ子どもなんだろうか?いやどちらかというと照美くんがぐんと大人になっちゃったんだと思うんだけどなあ……!
わたしは照美くんについていって、ひさびさにあの自転車に対面した。中学時代散々お世話になった、照美くんのさびひとつない自転車。 「お世話になります」 こっそり呟いて、わたしはわらった。
*
「家賃は半分こだよね?」
「君はそれでいいの?」
「うん、だっていっしょに住むんだし!」
「そっか」
雷門駅の近くの町並みは4年前とほとんど変わっていなかった。とても懐かしかったけど、そんなことよりわたしの目は照美くんを映したがる。 ずいぶん背中が広くなったなあ。 照美くんは高校生になってからあの長くて綺麗だった髪の毛をばっさり切ったのだけど、それはそれですごく似合っていて、わたしはすきだった。 身長もぐんと伸びて、さらに大人っぽくなった照美くんは、通っている世宇子大学法学部ではすでにアイドル的存在だろうと思う。
「にしてもすごいよね、大学入ったとたんに一人暮らしはじめたなんて」
「高校生のときにアルバイトしてお金貯めたからね。それにこれからは二人暮らしだよ?」
「え……えへへへなんだか照れるなあ」
わたしはといえば、高校生卒業後すぐに出版社の地方支社に就職して、この春異動で東京の本社に行くことになったのだ。元々東京出身であったわたしにとってはすごくいい話だった。なんてったってまた、照美くんと毎日会えるようになったのだから。
「あ、でも期待しないでね?安さで選んだアパートだから、ほんとにボロくって……女の子にはつらいかも」
「大丈夫だよ、わたし4年間ド田舎にいたんだから!」
「んー……でもなあ、ほんとにほんとに、期待は」
「わ、わかった、わかったよ照美くん」
照美くんとボロアパートなんて、水と油というか、とても想像できないんだけどなあ。わたしは照美くんの服の端をきゅうと握り、これからのことを考えて自然と頬が緩んだ。同じ部屋に住むってことは、おはようからおやすみまで照美くんといっしょ、というわけで。そりゃまあお互い仕事や学校があるけど、離ればなれだった4年間と比べたらなんてことない。毎日メールしたし電話もしたし手紙を送ったし、長期休暇の度に会いに来てくれたから、離ればなれでも寂しくはなかったけれど、やっぱりずっといっしょにいれるっていうのとはわけがちがうのだ。そう、言うなれば夢みたいなことなのだ。照美くんと、どどどどう、同棲!すいませんありがとうございます!
「リサさん、ついたよ」
「あ、うん――、」
キィ、と自転車が止まり、わたしは顔を上げた。そこにあったのは、明らかに建ってから数年も経ってないような真新しい、設備も整った立派かつ小綺麗なアパート。ほらやっぱり、照美くんといったらこういう――、 「届いた荷物は部屋に置いてあるからね」 背後から照美くんの声。わたしは振り返って返事をしようとして、息をのんだ。小綺麗なアパートとの間に道を挟んで、階段や手すりがさびれた古っぽいアパートが建っていた。照美くんがそのわきの駐輪スペースに自転車をとめるのをわたしはぽかんと見つめる。
「照美くん……?」
照美くんはにこりとわらって、ボロいアパートをびっと指差し、 「臨時愛の巣だよ」 と言った。ずるりと手から滑ったキャリーケースが地面に当たってごとん、と鈍い音を鳴らした。……え、ここ?うそ、本気で? わたしの表情から全てを読み取ったらしい照美くんはすこし困ったような顔で首を傾げて、 「いやかなあ?」 なんて言うもんだからわたしはぶんぶん首を振ることしかできなかった。て、照美くんがいれば、場所なんて関係ないよね……!?
ボロアパートの隅っこに根っこをはやした桜の木が風でざあっと音を立てた。薄ピンクの花びらが宙に舞って、あたりいちめんを明るく演出した。 「おいで、リサさん」 そんななか、照美くんがわたしに手を差しのべるから、わたしはもうアパートの外見の悪さなんてすっかり忘れてしまう。
「照美くん、今日からまたよろしくね!」
1:/ハナビラヒトツ