日課だと言っていた早朝のランニングから帰ってきた風丸を見て、わたしは目を疑った。まるで喧嘩でもしてきたみたいに傷だらけのボロボロで、服も汚れていて、いったいなにしたのとたずねたら 「転んだ」 と真顔で答えられた。わたしは呆れてため息も出ない。風丸もうそをつくのが下手くそなひとみたいだ。

「どんな転け方したらそんな風になるの」
「階段から落ちた」
「……うそばっかり」
「朝ご飯食べたい」
「できてるよ」

誰といざこざがあったんだろう。気になったけれど、風丸がなんだか険しい顔をしているので、聞くことが出来なかった。わたしの作った簡素な朝ごはんを5分とたたないうちに平らげ、風丸がなにかぽつりと呟いた。食器を洗っていたわたしにはそれが聞き取れなかったので、 「何か言った?」 と背中がわにいる彼に聞いたら、さっきより大きな声で 「おまえもう帰れよ」 と言われた。

「……うん?」

わたしは流していた水をとめて振り返る。風丸は眉間にしわをよせて、わたしを睨むように見ていた。びっくりした。なに、なんか悪いことした?卵焼きおいしくなかった?

「いつまでここにいるんだよ」
「……わ、わかんない」
「わかんなくないだろ」
「だって、どうしたらいいのか、まだ」

風丸の様子は明らかにおかしい。急にどうしたんだろう。やっぱりさっき何かあったんだ。 「ここにいてもいいけど、」 ふいに近づいてきた風丸にわたしは思わず後退りする。 「何されたって文句は言えないぞ」 手首を掴まれ、強い力で引っ張られると、わたしは風丸に大して恐怖を覚えた。な、なに、こわい。そのままずるずると引きずるようにして連れていかれたのは風丸の部屋だった。入ったのはじめてだ、なんて呑気に考える間もなくベッドに放り投げられた。枕の傍にあった目覚まし時計に頭がぶつかる。

「いっ、いたぁ、ちょっと風丸―――」

起き上がろうとしたわたしを押さえつけるように、風丸が上に跨がってきて、わたしはいよいよ焦り出す。じたばたもがいてみたけれど、綺麗な顔してたって風丸も立派な男の子で、わたしなんかが力でかなうはずがなかった。両手をまとめて捕らえられるともう何も出来ない。

「な、なにす」
「おまえ、馬鹿だよな」
「え、」
「油断しすぎなんだよ。俺なら大丈夫とでも思ってたのか?」
「何、言って、っ」

風丸の唇がわたしの唇を塞いだ。この前とはまるで違う、強引なキスだった。わたしは驚いて目を見開く。嫌だと、はっきりそう思った。 なんで、こんなことするの? 押し付けられた唇は次にわたしの首筋をなぞりはじめた。ぞわり、身体中をなにかが走っていくような感覚。ひんやりした風丸の手のひらが服のすそから入ってきた瞬間、わたしは息を呑んだ。

「い――、っいや!やめて!風丸、やだあ!」

荒々しい力がわたしの胸を圧迫した。必死になってもがいたけれど、たいした抵抗にもならない。

「や、あ、やめっ、いやっ!かぜま、る、どして、ひどいよ、こんなのっ」
「うるさい、なあ!」
「う、えぇ、やだ、やだっ、照美く、照美くん!照美くん、たすけて、照美くん!」

わたしの目から涙がぼたぼたとこぼれ落ちたのを見て、風丸の動きがぴたりと止まる。 「リサ、」 風丸が表情を歪めて、辛そうな声でわたしの名前を呼ぶ。掴まれていた手が自由になったので、わたしはそれで顔を覆った。涙が止まらなかった。

「やだ、やだよぉ、っう、わたし、照美くんじゃなきゃ、やだ、こんなの違うよ……風丸、へんだよ……」

ぐすぐすと泣き続けていると、しばらくして、身体の上にあった重みがなくなった。風丸がわたしの上から退いていた。息を乱しながら、彼は一言、 「嫌いだ」 と言った。

「お前なんか、……萱島なんか、嫌いだ、俺は」

痛かった。心が締め付けられて、苦しくて、まともな呼吸が出来ない。風丸はとても優しいのだ。優しいから、こんなことをしたのだ。わたしは馬鹿だから、こうでもされないとわからなかった。わたしがほしいのは、そばにいたいのは、すきなのは。どこにいたって、なにをしていたって、変わることなんてなく、ただひとりだけ。照美くんしか、いらなかったのに、わたしは。

「ごめんなさい、ごめんなさい、風丸、……ごめん、なさ……っ」

帰らなきゃ。
そう思った。照美くんのところに帰らなきゃ。照美くんがいま誰をすきでも、もうわたしのことなんかすきでもなんでもなくても、わたしは帰らなきゃならない。だって、わたしがすきなのは彼だけなのだ。気づくのが遅すぎた。わたしは彼がいないとこんなにも嫌な女の子になる。彼がいないとしんでしまいそうになる。風丸を傷つけて、自分を傷つけて、照美くんを傷つけた。

「……あいつは待ってる」

風丸がぽつりと呟いた。わたしは目をこすりながら起き上がった。

「早く行ってやれよ」

唇を噛み締めて、わたしはこくりとうなずいた。




*




荷物をまとめてトランクに詰め込み、わたしはリビングをこっそり覗き込んだ。ソファに腰掛けていた風丸がこちらに気づいて、 「用意できたか」 と問いかけてきた。

「なんとか、ね」
「萱島」
「……うん?」

立ち上がった風丸が近づいてきて、わたしはさっきのことを思い出して少しだけ身を硬くする。そんなわたしを見て、風丸は悲しそうな顔をした。

「ごめん、な。俺、その」
「……ううん、わたしこそ……。今までありがとう、風丸。お母さんにもありがとうございますって伝えてくれるかな」
「ああ。……萱島、絶対あいつとちゃんと仲直りしろよ?」
「うん、わかってる。……それじゃ、わたし行くね」
「ん。じゃあ、な」

くしゃり、風丸がわたしの頭を撫でた。わたしはまた泣きそうになったけれど、なんとか笑顔を作って、言った。

「ばいばい、風丸」

重いトランクを持って玄関を出たら、びゅうと風が吹き付けた。わたしは乱れた横髪を耳にかけ、あのアパートに向かって、しっかりと足を踏み出した。



12:/マイリトルガール






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