腹部に容赦ない蹴りを食らい、亜風炉照美は浅い眠りから覚めた。むくりと起き上がり、隣で寝息をたてている南雲を一瞥、ため息をついた。狭い部屋で大の男3人が雑魚寝するのにももう限界がある、と思いながら、照美は乱れた髪を掻いた。ブラインドから淡い光が差し込んでいる。どうやらまだ起きる時間ではないようだ。照美は少しの間考えていたが、結局毛布から出て台所に向かった。喉に冷たい水道水を通すと、なんとも言えない孤独感に襲われた。妙な気分だ。いまこの部屋には自分の他に2人も人間がいるというのに。

上着を羽織って早朝の町に降り立ったけれど、行くあてなどなかった。どれだけ忘れようともがいても、昨日の出来事は瞼の裏に忌々しいほど焼き付いている。霞がかった空はまるで今の自分の心みたいで、なんだか憎らしい。

照美は、あの水色の髪の男には見覚えがあった。確か雷門中サッカー部のユニフォーム2番の足の速い選手で、フットボールフロンティアの世界大会にも出ていた。体格のいいディフェンダーと組んで、必殺技――名前は忘れたが――を打ってきて。フルネームまでは残念ながら思い出せないが、風……なんとかだったはずだ。リサさんと交流があったのは初耳だが。

ひんやりとした朝の風を受け止めながら、活動をはじめたばかりの照美の頭はぐるぐると同じ場面ばかりを思い起こす。

―――キスを、していた。

生々しい程鮮明に思い出せる。リサさんは、その男に応えるように身をそわせていた。南雲の言った通りだ。リサさんは、浮気していたんだ。

たどり着いた答えに照美は狼狽した。そんなこと、信じたくなかった。だけど見てしまった。決定的な場面を。彼女は自分よりも、あの男を選んだのだ。だから急にアパートを出て行った。すべて辻褄があう。合ってしまう。

まだ、認めたくはなかった。リサさんは、自分のことだけがすきなんだと、疑うこともせずそう思っていた。仕事で東京に来ることになって、自分と一緒に住めるとわかって、あんなに喜んでいた彼女だ。でもそれももしかしたら、自分ではなく、あの男に再び会えるようになることからくる喜びだったのかもしれない。

悪い想像ばかりが腹の内を満たし、照美は気分が悪くなるのを感じた。何がいけなかったんだろう。どこで間違えたんだろう。講義中とはまるで正反対の、使い物にならない頭に苛立ちをおぼえる。

リサさんを取り戻したい。

その想いだけは妙にくっきりと抱くことができるのに、じゃあどうやって取り戻すか?という所まで思考がたどり着くと、途端にすべてがぴたりと停止する。取り戻すことなんて出来やしない、と、頭のどこかで誰かが呟く。照美は自分の弱さを認識していた。幼い頃から、神童だとか、天才だとか、散々もてはやされて。なんの不安もなくすくすくと成長した照美はある日、自分の重大な欠陥に気づく。亜風炉照美は、弱かった。怖かった。自分のすべてが、誰かの思うままに動かされている気がしていた。照美には、これとわかる確かなものが何一つなかった。自分が生きる意味になるような、"軸"を、見つけられていなかった。照美は、怖くて、むしろその怖いという感情が怖くて、それを掻き消すための絶対的な力が欲しかった。そして間もなく、変わるきっかけとなる影山零治と出会った。彼の力により、"神"と讃えられる存在にのぼりつめながら、それでも照美はまだ、自分にある違和感を拭いきれていなかった。 なにかが、まだ足りない。 それは掴めない、答えのない思いであった。信頼を寄せる影山でさえも、照美に答えを与えるこ
とは出来なかった。そうして挑んだフットボールフロンティア決勝戦、亜風炉照美率いる世宇子中は、雷門中に敗北をする。

前を見ずに歩いていた照美はいつの間にか、萱島リサとはじめて出会った坂道まで来ていた。そう、ここで、彼女に一目惚れをしたのだ。その時の照美の抱いていた、荒んだ心をすべて巻き込み、春風のように駆け抜けていった彼女。目を奪われて、直感的に思った。自分に足りないのは、あの子なのだと。もう1度彼女を目撃した日、照美は確信した。穴を埋めてくれるのは、きっとあの子なのだ。あの子に近づきたい。いつしかプライドも薄れ、彼女にぶつかってしまったあの日、怪我をさせたにも関わらず照美は彼女と繋がりを持てたことをこっそりと喜んだ。なんとか仲良くなりたくて試行錯誤した。神のアクアが欲しいって言う彼女にはすこしだけ力を貸してあげた。大会新の嬉しさが実力からだと知った彼女が泣き出して、たまらなくなってキスをした。拒まなかった彼女に、もしかしたら、もしかしたらと期待をこめて。

空から差す光が眩しくて、照美は朝の訪れを感じた。

「…………帰ろう」

ひとり、呟いて、小走りで来た道を戻り、ひとつめの曲がり角を曲がったとき。

「う、わっ!」

どん、と人にぶつかってしまい、相手がそう声を上げた。照美はすぐさま謝ろうとして、その男が誰かに気づいて、目を見開いた。

「いてて、すいません、大丈夫で―――」

顔を上げた風丸も愕然とした。

ふたりの間を吹き抜ける、夏前の独特の空気は生温い。まだ慣れない、人の家の布団で眠る彼女はすこしだけ悲しい夢を見ながら、遠いとおい、幸せに溢れた日を手探りで見つけようともがいていた。絡まった糸がもうすぐほどかれることを、彼女は知るよしもなかった。



11:/アントワネットの想い人






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