遠慮と後悔はどちらが愚かな感情か?

一昨日の講義内容がふと頭をよぎる。あの時は何ともなく聞いていたけれど、今考えたらあれはとても難しい質問だ。遠慮してもしなくても後悔は訪れる。後悔ばかりしていたら遠慮しかできなくなるか、または遠慮しなくなるかのどちらかだ。

あんなことがあったあとだというのに、リサの作るハンバーグは美味しくてなんだが涙が出そうになる。俺はごめんとも言えず、ただ一言、 「美味い」 とあんまり美味いとは思ってなさそうな低くかすれた声で言うので精一杯だった。リサは変わらず笑ってくれるけれど、その笑顔は無情にも俺のこころをぐさぐさとえぐる。リサごめん、リサのハンバーグ美味いよ、ほんとに美味いんだよ。

「風丸のお母さん遅いねえ」

なあ頼むから俺を殴るとか怒るとか責めるとかしてくれよ、なんで笑うんだよ。なんで笑えるんだよ。

「風丸?どしたの?」

いきなり立ち上がった俺を見上げ、リサがびっくりしたように訊ねる。どうして、俺は、こいつを幸せにしてやれないんだろう。どうして俺じゃだめなんだろう。

「……少し散歩してくる。ちょっと食べ過ぎたかもしれないんだ」
「え、うん……大丈夫?」
「ああ。俺の分の残りはラップかけておいてくれるか?後で食べるから」
「うん、わかった」

逃げるように家を出ると、俺は夜の町を走り出した。自己嫌悪で死んでしまいそうだ。俺はどうしてあんなことをしたんだろう。リサが、……リサが俺をすきだったなんて言うから、たまらなくなって、それで。
なんてのは言い訳だ、わかってる。俺はあの時期待したんだ。リサは俺を強く拒まなかったから、もしかしたらって思った。俺は今アフロディに勝っているのかもしれない、と。ところがどうだ、タイミング良く、いや悪く、アフロディが現れて。躊躇いもなく、俺を振り返りもせずあいつの方に駆け出してしまったリサを見て、ああ、なんだ、俺なんて、と。

ちっぽけな男なんだ、俺は。すきなのに、こんなにすきなのに、今もまだ心のなかでしか彼女の名前を呼ぶことが出来ない。誰に遠慮してるんだ。呼びたいなら呼べばいいのに、どうしても呼べない。リサと呼んでいいのはアフロディだけという、くっきりとした先入観に、いつだって邪魔されてきた。あいつはリサだけじゃ飽き足らず他の女にまで手を出すような男なのに。


アフロディの住むアパートは、リサの話を聞いて、なんとなくの場所はつかめていた。無意識というか、気づいたら、その場所にたどり着いていたあたり、俺はアフロディにもの申したい気持ちがあるんだろうと思った。ボロい階段をのぼったら、予想は的中で、プラスチックの白いネームプレートに、達筆で亜風炉照美、とあった。そしてその下に、丸っこいかわいらしい字で、萱島リサと書かれてあるのを見た瞬間、胃がぎゅうと締め付けられた。指を伸ばして四角いボタンを押すと、ピンポーン、と空気を読まない音が響いた。

「アフロディ?おい、開いてるだろ、入れよ」

どこかで聞き覚えのある声だった。どこで聞いたんだろう、確かに知ってる口調だ。
おそるおそる金属製のドアの取っ手を引くと、かちゃりと音がし、中の様子が見えた。狭い部屋だ。俺の家のリビングよりも小さく、そして意外にも散らかっている。寝そべっている人影がひとつ目に映った。そうっと覗き込んでいると、咎めるような声が飛んでくる。

「何してんだ、アフロディ?」
「…………あ、いや、俺は」

起き上がった男は、赤い色の髪を変わったセットにしていて、俺は あ、の形に口を開ける。

「な、ば、バーン、おま」
「っえーと、……雷門の……あー、誰だっけ、知ってる、知ってるぞ、お前は、円堂の……あぁやべえ思い出せねえっ、つうかバーンとか呼ぶなよ、いつの話だよ忘れろよ」
「い……いや、悪いな、ええと……、本名なんだったっけお前」
「おい」




*




「なるほどねえ」

南雲は感慨深そうにそう言って、俺をじいっと見つめる。

「お前も大変そうだなァ」

はあ、とため息をつく彼は恨めしげに、ソファですやすやと寝息を立てるもうひとりの男、涼野に目をやった。熟睡しているらしい涼野は俺が来たことになんかお構い無しだ。

「幼なじみのよしみでな。浪人中のこいつの面倒を見てやってんだ」
「へえ……宇宙人も人間らしくなったもんだな」
「だからそれ忘れてくれっつってんのに何だ?わざとか?あ?おいてめー」
「どこの不良だお前は」

――南雲の話によると、アフロディはどうやら、リサがアパートを出ていったのは、浮気しているからだと思っているらしい。だから、夕方俺とリサを見て、リサにあんな冷たいことを言ったんだろう。
……リサは、アフロディが浮気しているんだと言っていた。その点について聞いてみると、あいつはその女しか眼中にねえように見えるけどなあ、と返ってきた。矛盾がひとつ、生まれる。

「そういや、アフロディは?」
「さあ?今まで学校も行かずにさんざ引きこもってたくせに、急に外出てって、夕方1回帰ってきて、また出てって、それから帰ってきてねえんだよ」
「……帰ってきたとき、なにか言ってたか?」
「いんや?……あ、あー、いや、なんかやけに明るかったな。へらへら笑って、よかったよかった、みたいなこと呟いてたが……」
「……よかっ、た?って、何が」
「知らねえよそこまでは。なんか怖くて話しかけられなかったもん俺」

……多分、俺とリサを目撃したあとで、ちょっとおかしくなってたんじゃないだろうか。そういえばあの時も、よかったって言ってた。リサが楽しそうでよかった、って。

「……何だよ、俺、……馬鹿みたいだ」
「は?どーしたよ、風丸」
「いや、こっちの話。……そうか、そうだ、うん、俺、ちゃんとカタつけなきゃ」
「お、おい、何だよ教えろよ」
「ありがとうな、南雲。本当のことを知れてよかった」
「ちょっと待て、え、なに、帰んの?もう帰んの」
「ああ、邪魔してすまなかった」

アフロディと話をしなければいけない。南雲に伝えてもらうテもあるけど、それじゃあ俺が納得いかない。直接、ぶちまけて、あいつに全部さらけだして、それから、リサのことを諦めよう。今度こそ、しっかりと、思い残さないように。
すきな男とすれ違ってばかりいる、俺のすきな女の子。この手で幸せに出来ないのなら、せめて幸せにしてくれるやつの所に返してあげよう。

南雲に手を振って、小走りで家に帰る。荒い息を整えながらリビングに入ったら、テーブルの上はもう片付いていた。テレビがつけっぱなしなのに、リサの姿がなくて不思議に思い、テレビを消しに行ったら、ソファでに横たわるようにして、リサが眠っていた。目尻を濡らした涙らしき粒が、きらりと光る。もしかしたら、泣いていたのだろうか。だとすれば俺の前では我慢していたということ、だろうか。

「リサ、」

ほんとは手離したくなんかない。アフロディの所になんか返してやりたくない。俺がふたりの間をとりもってやらなければ、リサとアフロディはずっと別れたまんまかもしれない。リサは、そしたらリサは、いつか俺を見てくれるようになるかもしれない。

「……てる、みく」

俺とキスをした唇が、俺じゃない男の名前を呼ぶ。目尻に溜まっていた涙がつう、と頬を伝って流れた。俺はしゃがんでそれを指で拭って、それから、ごめん、と呟いた。俺はなんていやなやつなんだろう。このごに及んでまだ、リサが幸せにならなきゃいいなんて思ってる。傷ついて、傷つけられて、ずっと俺に頼ってればいいのに。どうしてお前はあいつがすきなんだ。どうしてあいつがいいんだ。

「リサ、すきだ、すきだよ、すきなんだよ、お前が、俺は」

夢の中でリサはきっとアフロディといるのだ。俺はどうやったってその夢に入り込めない。どれだけリサがすきでも、リサは俺を、俺が思っているくらい"すき"にはなってくれない。loveとlikeの間の差をこんなにも痛々しく、悲しく感じる。中学生のあの日、もう少しだけ早くリサにすきだと言えていたら、違う今があったはずなのに、なんて、後悔するのにも遅すぎた。リサを愛していた。



10:/エンドレスエンドロール






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