ぱこん、とタッパーのフタを開け、中身を確認する。昨日の夜に大急ぎで作ったにしてはなかなかの出来なんじゃないの、と心のなかで呟く。たくさんの義理チョコが入ったタッパーをかばんに押し込み、家を出ようとしたけれど、ブーツにかかとをちゃんといれないまま、わたしは冷蔵庫でおとなしくしている特別なチョコレートのことを考えてしまった。渡す勇気が無いに等しくて、義理チョコとは別に作ったもののラッピングさえしていない、わたしのたったひとつの本命チョコ。どうせ渡せない、なんて、はじめから諦めて、帰ってきたら自分で食べるつもりだったけど。どちらにしろ虚しくなるのなら、持って行くだけ持って行ってみるべき、……なのかな。 わたしが想いを寄せる彼は、フィディオやジャンルカみたく、これでもかってくらいモテるからわたしなんかが渡せない、っていうような人ではなく、ただ、うじうじうじうじしり込みばかりしているわたしに自信がないだけなのだ。拙いけれど、すきだという気持ちを込めて精一杯がんばって作ったチョコレート。本命です、あなたがすきです、なんて言わなくてもいいから、渡すだけ。うん、それなら臆病なわたしでもなんとかなるかもしれない。
ブーツを履き捨ててリビングに飛び込んだ。材料といっしょに買っていた、ラッピング用の紙の箱を手に取り、覚悟を決める。大丈夫、彼ならきっと何も聞かずに受け取ってくれるはず。
*
イタリアはバレンタインの発祥の地で、毎年2月14日はお祭り騒ぎだ。かくいうわたしは今までその行事にあやかって男の子にプレゼントしたことなんてなかった。何故なら好きなひとなんていなかったから。でも今年は違う。わたしには今、ちゃんと好きなひとがいる。不器用なわたしでもできそうなチョコレートをいろいろ思案して、台所をぐちゃぐちゃにしておかあさんに怒られながらも完成させた、彼へのチョコレート。タッパーのかげに隠すように、本命チョコの入った箱をかばんに入れて、今度こそほんとに家を出る。心臓がばくばくしていた。彼らがFFIの準決勝で戦ってたとき以来だ、こんなにどきどきするの。
イタリアチームの練習場は、わたしの家からそう遠くないところにある。走ったらすぐ着いてしまう距離だから、心の準備をするためになるべくゆっくり歩いた。それでも数分後には、スパイクが地面に食い込む音や、チームメイトの声とか、そんなものが、わたしの耳に届く。わたしは壁の後ろに隠れながら、こっそり彼らの練習風景を覗いた。指示を出しながら走り回るフィディオがまず目に入って、それから、フィディオの後方に彼が見えて、わたしの心臓は否応なく跳ね上がる。……友だちはみんな、わたしのことを変だって言う。せっかく、イケメンの多いイタリアチームと近しい立場にいるのに、どうして好きになるのが彼なの、って。そんなこと言われたって、好きになってしまったのだから、どうしようもない。彼はわたしのなかでいつだって一番輝いて見えたし、もうほかの男の子に興味なんて持てなかった。
「なまえ?何してるの、そんなところで」
背後からの声にわたしは思わず、ひっと息を呑んだ。どぎまぎしながら振り返ったわたしを見て、アンジェロは不思議そうな顔をする。
「……何かあったの?」
「う……ううん、差し入れ持ってきたの。でも練習中みたいだから、どうしようかなって思って……アンジェロはどうしたの?」
「ボク?ボクは朝ちょっと用事があって、今から練習に参加するつもりで……なまえほんとに大丈夫?汗すごいよ」
「あ、あははは、今日暑いよね!」
「……なまえ、今冬だよ?まあ大丈夫ならいいけど……」
わたしはぎこちなく笑って返し、かばんを隠すように自分の後ろに回した。チームのみんなは、わたしが彼に想いを寄せていることなんて知らないのだ。
*
タッパーを開けると、チームからは歓声が上がった。一番簡単なカップチョコレートだったけど、みんなは嬉しそうに食べてくれた。もうすでにほかの女の子にもらっている選手もいるだろうけど、美味いと言いながら食べてもらえてわたしは満足だった。
「まさかなまえがチョコレート作れるなんて思わなかったなあ」
「ちょっと、それどういう意味なのフィディオ」
「ハハハ」
「ハハハじゃない」
まあ確かにわたしは面倒くさがりでぶきっちょで女の子らしさのない女の子ですけど。わたしは心のなかでフィディオのばーかと言いながら、ちらり、彼の方を見た。わたしの作ったチョコレートを、食べてくれてる。
「お、おい、どうしたんだなまえ、大丈夫か?」
急に座り込んだわたしにマルコが声をかけてくれる。どうしたもこうしたもない。きゅんきゅんしたのである。みんな用の義理チョコの方だけど、あの彼が、わたしの作ったものを食べてくれている……! もう本命チョコの方は渡せなくてもいいかも、なんて思ってしまう。
「だ、大丈夫、なんでもない」
わたしはなんとか立ち上がると、へらりと笑ってごまかした。だ、だめだ、緊張してきた。やっぱり渡せないかも、ううん、でも、でもせっかく作ったんだし、本命チョコレートも食べて欲しい……! あっという間に空になったタッパーのフタを閉めて、覚悟を決めた。
*
休憩時間、わたしは彼の背中を追いかけて、備え付けの水道の傍までやってきた。水分補給をしにきたらしい彼に、意を決して声をかける。
「ブ……ブラージ!」
首にかけたタオルで口元を拭っていたブラージが振り返る。わたしは息がつまりそうになる。
「なんだ、なまえか?どうした」
「あっ、あのね、これ……チョ、チョコレートなんだけど……」
「……?チョコレートならさっき貰ったが?」
わたしが差し出した紙の箱を見つめ、ブラージはきょとんとしている。ちゃんと言わないと伝わらないのはわかっているけれど、いざとなるとうまくしゃべれなくて、もどかしい。
「え、ええと、なんていうか、その、あれはみんなのための、で、これは、ブラージのためので」
「……オレの?」
恥ずかしくて彼の顔をまともに見れないまま、わたしはこくりと頷いた。どうしよう、変だって思われてるかな。それとも、わたしがブラージを好きなの、ばれちゃったかな。彼がどんな顔をしてるのか見たかったけど、自分の真っ赤な顔を見られたくなくて、やっぱりうつむいたまんま、わたしはあれやこれやと思いを巡らせた。 「た、食べて、くれるかな」 絞り出した言葉は小さく震えていて、わたしってやっぱり情けないやつだなあ、なんて思いながら、彼の反応を待った。
「……ああ、ありがとう、貰うよ」
す、と紙の箱がわたしの手を離れて、彼の手にうつる。おそるおそる顔を上げてみて、わたしはびっくりした。ブラージ、顔真っ赤だ。
「ど、どうしたの?真っ赤んなって……」
「い、や、その」
今度はブラージの方が目を逸らす。わたしはわけがわからなくて頭の上にクエスチョンマークを飛ばす。いったいどうしたっていうんだろう?こんなに焦っているブラージは、はじめて見る。
「オレ、……期待するぞ、こんなの」
「き……たい?な、なに、期待って」
「だから、おまえが、――おまえが、オレを好きなんじゃないか、って」
ぴたり、時間が停止したみたいな感覚に襲われる。一瞬、何を言われたのか理解出来なくて、でもすぐに気づいて、わたしは彼よりも真っ赤になった。ば、ばれてる、なんでっ!? 「あ、う、えっと、わたし、その、」 驚きと混乱で舌が回らない。ま、まさかこんな簡単に最機密事項がばれてしまうなんて予想外だった……!
「ご……ごめんなさい、迷惑だよね、わたしなんかが」
「いや、そんなことはない、というか、むしろ逆で」
「ぎゃく?」
「う……」
わたしが見つめると、ブラージは居心地悪そうにたじろぐ。逆って、もしかして。
「オレは、おまえが好きだったさ、ずっと。だから、おまえの気持ちはすごく嬉しい」
「うそ、……ほんとに?」
「……ああ」
夢でも見ているような気分だった。あんなに憧れ続けた彼が、わたしのことを好きだと言う。こんなことってあるだろうか。
「おまえも言ってくれないか」
「えっ?な、なにを」
「おまえの口から、ちゃんと聞きたい」
どく、と心臓が脈打つ音が、やけに大きく響いた。恥ずかしい、だけど、今なら言える気がする。 「わ、わたし、ブラージのこと、す―――」 あと1文字、というとき。「ちょっ、押すなって、うわああああああっ!?」
突如背後から聞こえた叫び声に慌てて振り返ると、折り重なって倒れているイタリアチームの選手たちが見えた。一番下にいたフィディオと目が合うと、ぎこちない笑顔で やあ、と言われた。……見てたんだな。
「おまえたち、何して……覗きなんて趣味が悪いぞ」
「いやあ、念願のカップル成立を見届けたくて……ほら、オレたちずっと君の応援してただろ、ブラージ」
「それはそうだが、しかし」
「ちょ、ちょっと待ってよ、話が見えないよ!?な、なに、みんなもしかして知ってたの?わたしがブラージを好きだったこと、も……」
わたしが言うと、なんとか這い出して起き上がったアンジェロが、小さく笑いながら、 「だって、なまえわかりやすかったよ?」 と言う。
「いーっつもブラージの方ばっか見て、顔赤くしてるんだもん。気づいてないのはブラージ本人だけだったんだから」
「ま……まじでか……」
自分の単純さに呆れながら、ブラージに視線を戻すと、なんだかへにゃりと笑われたので、わたしも段々可笑しくなってきて、笑い返した。
*
「ゴリゴリする」
わたしのチョコレートを一粒食べたブラージがそんなことを言うので、わたしは大いにショックを受けて、 「そういうチョコレートなの!」 と言い返した。い、いやでもたしかに味見したときわたしもちょっと ゴリゴリ……する……? と思ったけど、でもロシェってそんなもんだし!もしかしたらナッツ入れすぎたかもしんないけど!
「うん、でも美味い」
「……それはよかった」
地平線に沈みかけている夕陽の色が、わたしたちを包んでいる。フィディオたちが、ごゆっくり、なんて言いながらそそくさと帰っちゃうから、気まずくなったらどうしようかと思ったけど、そんな杞憂は必要なかったみたいで。チョコレートを頬張る彼に聞こえるか聞こえないかというくらいの声で、わたしは言った。
「ブラージ、好きだよ」