季節なんて関係なしに照りつけてくる太陽を忌々しく思いながら、帰路を急いでいた。急いでいると言ってもこの暑さの中だ、当然足取りは重い。残念ながらあたりに休める木陰などという気のきいたものはなくて、一直線に園に帰るほかない。

(…あつい)

はあ、と深くため息をついて上を見上げたら太陽光を直に見てしまい目が眩んだ。早く帰りたいのに、さっきまで酷使していた両足は鉛のようだ。昨日の真夜中からずっと練習を続けていたのだから、仕方ないことなのだけれど。…それにしても、本当に暑い。喉はからからだし、腹は減ったし、汗はかいているし、最悪である。

「あのっ」

暑すぎて思考回路がうまく機能しない。どこぞの馬鹿みたいに、ワープ魔法などというものが使えたらいいのに、とまでは思わないが、お日さま園が私に向かって来てくれたら楽なんだがな、とか、ああもうくだらない。

「あのっ、すいません!」

振り返った私は大分酷い顔をしていたのかもしれない。後ろにいた女は少し驚いたようなそぶりをしたが、すぐ持ち直して「よかったら、これどうぞ」と透明な袋に入ったものを差し出してきた。

「今日暑いですね」

そう言ってふにゃりと情けない笑顔を浮かべた女は私と同い年くらいか。桜色の長いスカートが風にはためく。余計なお世話だ、と思いつつも、手は勝手に袋のアイスに伸びていた。ミルク色をしたそれはわたしがすごく好きな味のはずだ。だが押しつけてきたのはあちらなので礼は言わない。無言で袋からバニラバーを取り出す間も、女はにこにこと締まりない笑顔で私を見つめたままでいる。

「…なんだ」
「きれいな顔してるなあと思って」

不可解な言動の奴はあまり好きではなかったし、何より意味のない笑顔ばかり浮かべる奴は信頼できないということを私は知っていたので、さっさと踵をかえしてまた園に向かって歩き出した。

「あ、ちょっと待ってください」

サンダルのぱたぱたという音を纏って女が私の隣を歩く。

「袋、わたしが持って帰ります」
「いい」
「いえ、わたしが出したゴミなので」

女は私の左手首を掴むと握っていた透明な袋を指の間から抜き取って、「食べてくれてありがとうございます」と言った。そしてまた笑う。私が黙ったままでいると今度は、サッカーの練習してたんですか、と聞いてきた。馴れ馴れしい女だ。

「…君には関係ない」
「あっ、すいません、わたしサッカーすきなもので、つい」
「……」
「…あのっ」

強い力で袖を引かれて私は思わず立ち止まった。引き止めた張本人がそれに一番驚いたらしく、大きな目をさらに見開いて私を見る。一体なんだというのだ。見ず知らずの私になんの用がある。

「…あなた、顔色、あんまり良くないです…休んだ方がいいですよ」
「…君はしつこいな、私に構わないでくれないか」
「だって今にも倒れそうです、放っておけない」

ぐい、とそのまま服を引っ張られてよろめく。頭がクラクラした。暑い、本当に、暑い。元々暑さに強い体質ではないから、自覚がなかっただけでもう限界に近かったのかもしれない。もつれそうになる脚をなんとか動かして、女に連れられ横道に入る。どこに向かう気なのだろうか。

「おい、」
「心配しないでください、わたしの家すぐそこなんです」

私の考えに気付いたのか、女がそう言う。そして、道沿いに立つ純和風の家の門をくぐった。瓦屋根のかなり大きな家だ。どうやら金持ちの娘らしい。
日本庭園、という言葉がなんともしっくりくる庭を横切って、正面に見える玄関へと女は歩みを進める。段々朦朧としてくる意識の中で、ふわりと揺れた女の髪の色だけが妙に目に焼き付いた。


*


「あ、気つきました?」

むくりと起き上がると、額に乗せられていたらしい白いタオルが膝の上に落ちた。しっとりとした冷たさがズボンに染みてくる。つまみ上げて女に差し出したら、「軽い熱射病だったみたいです」と言われた。ああ、通りであの気だるさ。

「お水どうぞ」

倒れる前にも見た締まりない笑顔で、女は私に水の入ったグラスを手渡す。私はそれを受け取りながら、「すまない」と呟いた。女は少し困ったような顔をして、「ただのおせっかいです」と返してきた。わたしはさっきまでの自分の言動を恥じた。グラスの中の水は目が覚めるくらい冷えていた。

「…一人で住んでいるのかい?」

12畳くらいの畳の部屋には家具一つない。私の下に敷かれている布団のシーツは染みなんてなく真っ白だし、まるで誰も使ったことがないようだった。女は曖昧に微笑んだ。作り笑いであることは容易に理解できた。

「家政婦さんが二人います。今は出かけていますけど」
「二人ともか」
「はい」

堂々としすぎる嘘を深く追及しようとは思わなかった。彼女は曲がりなりにも自分を助けてくれたわけだし、それでなくともさっきは酷く失礼な態度をとってしまった。あれが暑さのせいだったとしても。

「…わたし、みょうじなまえといいます。あなたは?」
「…涼野風介、だ」
「涼野さんですね」
「…君は中学生かい」
「はい、2年生です。涼野さんは」
「私もだ」

やはり同い年だったか。「だから、敬語はいい」 言うと、彼女は申し訳なさそうな顔をして、「敬語以外は慣れないんです」と言った。確かにそういう教育をしてそうな家だと思った。まあ、とにかく。

「世話になった」

グラスを返して立ち上がると、彼女は「もう帰っちゃうんですか?」と少し躊躇ったように言う。

「何か用か」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど…同い年の子と話すのなんて久しぶりなものですから、名残惜しくて」

そんなことを言われたって、私だってまともな会話をする相手なんてそういないから、自分でもわかっている通り口下手である。せっかく同い年だというのにバーンやグランとは顔を合わせる度に喧嘩ばかりだし。まあ彼らと対等に話す気などさらさらないのでそれは別にどうでもいい。

「今何時だ」
「4時過ぎくらいです」
「そうか」
「やっぱり帰っちゃうんですか」
「…私は空腹なんだが、」

何か食わせてくれるなら、と続ける前に、キラキラと目を輝かせた彼女に手をとられて、一瞬唖然とした。

「わたし、今すぐ何か作ります!」



*


白ご飯、味噌汁、卵焼き、塩焼き魚、漬物におひたし。これぞ純和食、というか、なんというか…。向かいに座る彼女が妙に緊張したような顔で私を見つめているのをあまり気にしないようにしながら、置かれていた箸を手に取る。

「ま、不味くないでしょうか…?」

味噌汁の椀を机に置いた時、躊躇いがちに問われた。彼女のあまりの謙虚さにため息すらつきかねない気持ちになりつつも、「不味くはない」と答えた。素直に美味いとは言えない自分に少し腹が立ったが、彼女が嬉しそうに笑って「よかったあ」と言ったのでまあいいかと思った。

「…家政婦がいるなんてやっぱり嘘みたいだね」
「あ、ばれちゃいましたか」
「君は嘘をつける体質じゃないらしい」
「あまりつかないので下手くそなんです」

苦笑する彼女は見るからに真面目そうだから無理もないと思った。卵焼きに箸を伸ばしている間も彼女はそわそわしながら私を見つめてくる。平凡な女子中学生がどれくらい料理ができるものなのか知らないが、それでも彼女の作ったものはなかなかである。

「あの、…涼野さん」
「なんだ?」
「わたしと、友だちになって下さいませんか?」
「…友達?」
「はい。…あ、嫌ならいいんです!」
「嫌ではないが…」

友達。
懐かしい響きだ。父さんの計画がはじまる前は、私にだっていた存在かもしれない。だが、チーム同士対立しあう今、もう。まして、マスターランクのダイヤモンドダストのキャプテンである私にとっては、チームメイトは部下であって友達ではないのだ。お日さま園の子供達の中で私が友達だと思える人間は、今や一人もいない。それを寂しいとか悲しいとか思うことはなかったけれど。

「私でいいのか?」
「もちろんです!」

今日見た中で一番嬉しそうな笑顔だった。私もつられて微笑みそうになってしまい、慌てて顔に力を入れた。絶対零度とも言われる私が笑顔なんて。

出されたものを全部平らげ、私は礼を言って席を立った。彼女と他愛ない話をしながら食べていたため、外はもう日が沈みかけている。彼女はやはり名残惜しそうな顔をしつつも私を元いた道路まで見送ってくれた。

「えっと、今日はありがとうございました。無理矢理ひっぱり込んじゃってごめんなさい」
「いや、私こそ本当に世話になった」
「またいつでも来てくださいね。わたし大抵はあの家にいますから」
「ああ。…なまえ」
「えっ」

突然名前を呼ばれて驚いたのか彼女は大きな瞳を懸命に瞬かせる。そして数秒後、夕陽のせいなのか、すこし赤い頬をしながら「なんですか?」と聞いてきた。

「次に会うときまでには同い年に対する言葉遣いを勉強しておいてくれ」
「え、でもわたし敬語以外は」
「友達とはそんな堅苦しいものではないだろう?」

一瞬呆然とした彼女だったが、すぐに笑って、「うん」と言った。

「じゃあ、またね、えっと、…風介」
「ああ、また」

彼女が手を振るので、私も小さく振り返した。空では一番星が誇らしげに輝いている。お日さま園への道を辿る足取りはいつもよりずっと軽かった。





20100509













「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -