すぐ目の前に見えている赤いお花をつかんでぐいっと強くひっぱったら、その根っこ――もといわたしの上司である南雲さん――が悲痛な声を上げた。

「っだだだだだだ!馬鹿やめろはげるだろ!」
「馬鹿はどっちですか!!」

あらんかぎりのちからをこめて怒鳴ったら、南雲さんはお母さんに叱られた子どもみたいにびくりと肩をすくめた。まったく、この人は……!

「何考えてんですかあなたはもう!」
「何って、セック」
「みなまで言わないでください!そう言う意味じゃないです!南雲さん、……南雲さん、ほんとに熱ある癖に!」

南雲さんは一瞬きょとんとして、でもすぐにきっとわたしを睨んできた。……やっぱり、図星なんだ。おかしいと思ったんだ、わたしに触れる南雲さんの体温があまりに高いから。さっき首もとに吸い付いてきた唇だって資料室でキスされたときよりずっと――、 「お前、もう帰れ」 …………は? 「な、なぐ」 鋭くて冷たい視線がわたしを貫いた。明らかな拒絶の目だ。獣みたいにいきなり襲いかかってきといて、自分が不利な事実を突きつけられた瞬間帰れだなんて、身勝手にも程がある。 わたしの上からどいた南雲さんはベッドをおりて、シンクの横の冷蔵庫を開け、冷えたペットボトルのジュースを口に流し込んだ。 わたしはゆっくりと起き上がって、南雲さんのせいで乱れた襟元を直す。……唇があてられたところがまだ熱いような気がした。ここくらいならなんとか制服で隠れるだろう。たぶん一応そのへんを配慮して跡をつけたんだと思うけれど。

「南雲さん」

わたしが呼んでも彼は反応もしなかった。

「ご飯ちゃんと食べました?」
「……うるせえな」
「カップラーメンだったんでしょう」
「しつこい」
「空腹時に薬は飲まない方がいいです、胃に悪いから」
「うるせえっつってんだろ!」

びりびり、空気が揺れた。南雲さんを、こわいと思った。だけど、今まで彼に感じていた恐怖とは違う。――どうして、この人は誰にも頼らないんだろう。あくまで全部をひとりで片付けてしまおうとするんだろう。 「わたしがいるじゃないですか」 呟いたらなぜか目頭が熱くなってきた。わたし、……わたしは。

「しんどい時くらい素直になってくれたらいいのに。あんなことして誤魔化そうとして、そんなにわたしが信用できないんですか?わたしのことがすきだなんて言いながら、南雲さんはちっとも自分のこと教えてくれない。そんなんで、付き合うこと真剣に考えてくれ、なんて、無理に決まってます。わたしは、困った時に頼ってもくれない彼氏なんか欲しくない、です」

南雲さんがペットボトルを置く音がやけに大きく聞こえた。数秒後わたしを抱きしめる彼の体はやっぱりすごく熱くて、自分に不器用なひとなんだなあと思いながら、わたしより一回り大きな背中を撫でた。南雲さんを可愛いだなんて思ったのははじめてだ。 「ごめん」 もっと大人だと思っていたんだけど。……でも、こっちの南雲さんの方が、わたしはすき。

「すげえヤだったんだよ、すきな女に弱ってるとこ見せんの」
「じゃあなんで部屋にひっぱりこんだんですか」
「……お前に触れたかったから」
「矛盾してると思うんですけど」
「だって、」
「だって?」
「……寂しかった」

結局わたしは、彼の罠にはまってしまったなあと思った。いまこんなにも南雲さんのことを愛しく感じるのは、やっぱり、……いやでも今までされたことを考えるとはっきりそうとは言えないけど。
大人しくわたしによしよしされている南雲さんはなんだかおおきい猫みたい。南雲さんのこんな姿、わたしくらいしか知らないんじゃないのかな。だとしたらわたしってば、いますごく貴重な時間を過ごしてるのかもしれない。

「……南雲さん、お腹すいてます?」
「あんまり」
「薬飲むんなら何か食べなきゃ」
「いらね……」
「ちょっとでいいですから。ね?」
「……ん……」
「ええと、冷蔵庫特になにもないみたいだったし、お粥とか」
「お粥味ない、いやだ」
「やでも食べなきゃだめです」
「……なまえが作ったやつなら、食う……」
「……いいこいいこ」

これが母性本能っていうやつなのか、と思っていたら、ふいに南雲さんが顔をあげて、わたしの額にキスをしてきて、ちょっとびっくりした。 「な、なんで額」 「口にしたらうつるだろ」 「どっちにしろこの距離で話してたらうつると思いますけど……」 「それもそうか、じゃあ遠慮しない」 言葉通り、遠慮なく深く口付けられて、わたしは反応に困ってしまう。 「っん」 熱いあつい彼の体温に芯までとかされてしまいそう。前よりもずっとゆっくり動く舌はなんだか余計にわたしをかき乱した。なんでこんなことしてるんだろう、と一瞬考えてしまったけど、いまはどうでもいいやと思った。

「っは、ぁ」
「……なまえ、抵抗しねーの」
「だ、だって」
「なに」
「えっ、と、あの」
「会社じゃねえから?」
「……ちが、」
「じゃあなに?」

熱があるせいなのか、どこかとろんとした南雲さんの瞳。本気で聞いてるのか、それともわざとなのか、区別がつかなかった。でも、彼の熱にうかされたわたしの口は自然に言葉を紡いだ。 「南雲さんのキス、……気持ち良くて」 細められた瞳の色に重なるまつげはすらっと長くて色っぽい。南雲さんはほんとにかっこいいんだと今更ながら感じた。 「もう1回、するか?」 彼の手のひらがわたしの顎をくいと持ち上げて、たまらなくどきどきした。

「はい……」

だめ、すきになってしまう。






つづ……く





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